2017年05月31日

榛名山信仰、修験者の霊場・榛名神社

溜まりに溜まった写真を整理して、一気にブログ用に画像処理しました。
見事に山岳系神社オンパレード\(^o^)/
ついに禁断の(?)写真メインでお送りします!

榛名神社(01) 榛名神社(02)

赤城山・妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る【榛名神社】。
駐車場はいくつも点在してるけど大型車両は停めづらいと判断して、早めに下で停めて歩いて登ります。
※5/29に訪れました

榛名神社(03) 榛名神社(04)

例によって例のごとく下調べナシで来たので、これほど栄えているとは驚きました!

榛名神社(05) 榛名神社(06)

現役かどうか分かりませんが、古めかしい宿坊?旅籠?が軒を連ねていました。
国登録有形文化財に指定されている宿坊もあるらしい。

榛名神社(07) 榛名神社(08)

随神門から、いざ神域へ!
巌山、境内地は15万平方メートル!

榛名神社(09) 榛名神社(10)

以下、榛名神社由緒 説明板より↓
当社は第三十一代 用明天皇 丙午(ひのえうま)元年(1300余年前)の創祀で、延喜式内社である。徳川時代の末期に至るまで神仏習合の時代が続き、満行宮 榛名寺などと称えて上野寛永寺に属し、別当兼学頭が派遣されて一山を管理していたが、明治初年、神仏分離の改革によって榛名神社として独立した。


榛名神社(11) 榛名神社(12)

門を見上げると【大々御神楽】の額が。
神代舞(大々御神楽三十六座)は250年前から伝えられたもので、国の無形文化財に指定されています。

榛名神社(13) 榛名神社(14)

写真:左=鞍掛岩。かつて寺院があった名残りで、庭園のようになっています。
写真:右=沿道は巨木の宝庫。

榛名神社(15) 榛名神社(16)

写真:左=売店があった!
写真:右=御神水も汲めます。

榛名神社(17) 榛名神社(18)

写真:左=朝日岳、夕日岳
写真:右=三重塔

榛名神社(19) 榛名神社(20)

写真:左=落石防止なのか、覆道になっている場所も。
写真:右=塞神(さえのかみ)社
御祭神:八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比賣神(やちまたひめのかみ)、来名戸神(くなどのかみ)
この神様は、他界より侵入して災厄をもたらす邪神・悪魔などを防ぎ止め、追い返すことを掌(つかさど)っておられます。
特に道路の四つ辻、分岐点などを守られて悪霊を斥(しりぞ)け災厄を防ぐ、大きなお力を発揮なされ、道路交通安全の守護、悪魔除けの神として尊崇せられ、また、呼び名を「さいの神」と申し上げることから「幸神(さいのかみ)」「妻神(さいのかみ)」として、幸福をもたらす神、特に女性の良縁、妊娠、出産、幼児守護の神として崇敬せられるなど、日本個有の信仰を得ておられます。
トンド焼(どんど焼)、道祖神祭、左義長も、この神の御神徳をいただくお祭りです。


榛名神社(21) 榛名神社(22)

写真:左=神橋
写真:右=神仏習合だった頃、お堂があった名残りの扉。(左の写真のマルの部分も同じ)

榛名神社(23) 榛名神社(24)

写真:左=万年泉。井戸らしきものがありました。
写真:右=右/手水舎、左/矢立杉。

榛名神社(25) 榛名神社(26)

写真:左=神幸殿
写真:右=神門

榛名神社(27) 榛名神社(28)

写真:左=双龍門
写真:右=本殿・拝殿

御祭神:火の神・火産霊神(ほむすびのかみ・カグツチ/鎮火開運)、土の神・埴山毘売神(はにやまひめのかみ/五穀豊穣)
水分神・高靇神・闇靇神・大山祇神・大物主神・木花開耶姫神を合わせ祀る。

榛名神社(29) 榛名神社(30)

【延喜式神名帳】(延長5年(927)完成)に、上野国十二社として位置づけられている。古くから神仏習合が定着し、山中には九世紀ごろの僧坊とされる巌山遺跡がある。

綏靖(すいぜい)天皇の時代に饒速日命(ニギハヤヒ)の御子、可美真手命(ウマシマデ)父子が山中に神籬(ひもろぎ)を立て天神地祇を祀ったのが始まりといわれ、用明天皇元年(586)に祭祀の場が創建されたと伝えられ、御祭神は、うしろに立っている御姿岩の洞窟中に祀られています。

2017年度から2025年度にかけて群馬県内にある文化財の修復事業としては過去最大規模となる総額23億円をかけて百数十年ぶりに大修理を行う。
17年度から19年度までに国祖社・額殿、20年度から21年度までに双龍門、21年度から25年度までに本社・幣殿・拝殿、23年度から25年度までに神楽殿の工事を行う予定である。
榛名神社 - Wikipedia

写真を撮りながら登って、往復1時間ほどでした。
もっと雰囲氣を味わいながらゆっくりしたかったな。


撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



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2017年05月30日

妙義山信仰の中心地・妙義神社

道の駅【みょうぎ】に立ち寄るたびに「次こそ」と願っていた【妙義神社】に、ついに参拝することができました!
※5/29に訪れました

2007年の台風による土砂崩れにより、本殿に繋がる階段以上は立ち入り禁止となっていたそうです(その間は波己曽社殿を仮殿と定めていた)が、2013年12月に復旧工事が無事完了!

妙義神社 - Wikipedia

妙義神社(01) 妙義神社(02)

写真:左=道の駅【みょうぎ】から妙義山を仰ぐ。
妙義山は、日本三奇勝のひとつ(耶馬溪・寒霞渓・妙義山)であり、上毛三山のひとつ(榛名山・赤城山・妙義山)。
「妙義山」とは複数の山の総称で、南側の白雲山・金洞山・金鶏山などは「表妙義」、北側の谷急山・丁須の頭・御岳などが「裏妙義」と呼ばれています。

写真:右=白雲山の中腹にある「大」の文字は、「妙義大権現」の「大」。

妙義神社(03) 妙義神社(04)

写真:左=周辺案内図
写真:右=妙義神社 大鳥居

妙義神社(05) 妙義神社(06)

写真:左=柳の大樹
写真:右=ユキノシタの花

妙義神社(07) 妙義神社(08)

関東一の壮大さと称されている総門は高さ12m、切妻造りの八脚門。国指定重要文化財。
江戸時代、妙義山から採れる安山岩で作った高さ10mの石垣(県重要文化財)も見応えあります。

妙義神社(09) 妙義神社(10)

写真:左=妙義神社から金洞山南麓の石門群に至る、約4.2kmの歩道案内図。いつかは登るぞ〜!
写真:右=青銅製の灯籠

妙義神社(11) 妙義神社(12)

通りすがりの人が、「三本杉の真ん中はパワースポットだから入ってみて」と教えてくれました。
樹齢約500年、静かな佇まいの中にいると、少し面映いような氣にもなりますね(´ω`*)

妙義神社(13) 妙義神社(14)

写真:左=太鼓橋と、165段の参道石段!

写真:右=波己曽(はこそ)社社殿(旧 妙義神社社殿/群馬県指定重要文化財)
妙義山の古名は「波己曾(はこそ)山」、神社もかつては波己曽神社と呼ばれており、『日本三代実録』にその記載があります。

妙義神社(15) 妙義神社(16)

写真:左=石段は急だし狭いし、歪んだところも。妙義神社では、江戸時代から当時そのままに残すように努めているそうです。

写真:右=石段を登って振り返ると、この眺め!.。・:*:・°`☆、。・:*:・°`

妙義神社(17) 妙義神社(18)

写真:左=随神門(群馬県指定重要文化財)
写真:右=意外!とってもユーモラスな阿吽の像。

妙義神社(19) 妙義神社(20)

写真:左=宝暦6年(1756)建造の唐門(国指定重要文化財)。

写真:右=同じく国指定重要文化財である本社(本殿・弊殿・拝殿)。
創建は、宣化天皇2年(537)と伝わっており、現在の社殿は宝暦年間(1751〜1764)の改修によるものです。

数々の彫刻が素晴らしく、色彩も豊か! バシバシ写真を撮らせていただきましたが、ここは是非、ご自身の目で見ていただきたい。

以下、公式サイトより↓
創建は「宣化天皇の二年(537)に鎮祭せり」と社記にあり、元は波己曽(はこそ)の大神と称し後に妙義と改められた。
そもそも妙義と云う所以は、後醍醐天皇に仕へ奉りし権大納言長親卿、此の地に住み給いて明々魂々たる山の奇勝をめで、明魂と名づけしものを後世妙義と改めたと思われる。

ここも後醍醐天皇ゆかりの地だったのね!

妙義神社(21) 妙義神社(22)

写真:左=本殿の裏側、石垣にはイワタバコがたくさん育っていました。
写真:右=天狗様が鎮座されています。心願成就にご利益があり、願い事を「ひとつ」叶えてくれると云われています。

妙義神社(23) 妙義神社(24)

写真:左=北門も石垣で囲まれています。
写真:右=もともとは、お社はなく「影向(ようごう)岩」がその磐座(いわくら)であったと云われています。

磐座・磐倉・岩倉(いわくら)とは、古神道における岩に対する信仰のこと。あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと。
磐座 - Wikipediaより)

妙義神社(25) 妙義神社(26)

写真:左=影向岩の頂部と下部(岩窟)には、複数の石塔が。(朱色の門が北門)

写真:右=名残惜しく、石段を下ります。左側には杉の巨大な切り株が・・・。土砂崩れで倒れてしまったのでしょうか。そっと手を触れると、まだ生命力を感じるような氣がしました。


撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



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2017年05月29日

五智公園と居多神社

※5/26に訪れました

五智公園(1) 五智公園(2)

例によって、ロードマップ『道の駅 旅案内 全国地図 平成29年度版』を参考に、越後国一宮 居多神社(こたじんじゃ)を目指す。
カーナビにも載ってはいるものの、指す場所がどうも道が狭そうな雰囲気。しかも、土砂崩れで通行止め。
迂回して、近くに五智公園の駐車場があったので、そこに停めて歩いて行ってみることに。

五智公園 - 上越観光Navi

五智公園(3) 五智公園(4)

ちょうど直前に雨がザァーっと降ったので、空気が澄んでいます。
池には色とりどりの鯉が泳いでいました。
きっと、この公園はかつて神社の神域だったに違いない!

五智公園(6) 五智公園(5)


遊歩道にはポツポツと道標が立っているものの、「神社」への表示が出たり出なかったりで心もとない。

五智公園(7) 五智公園(8)

雨上がりで澄んだ空気が心地よいけど、誰〜〜〜もいなくて、ちょっと寂しい。

五智公園(9) 五智公園(10)

きっと神社は高台にあるはずだと踏んで、頑張って登って行ったのに・・・開けた場所には街灯があるだけで、建物はなにもなし。

五智公園(11) 五智公園(12)

今どこを歩いているのか、さっぱり分からず・・・。
丘?を降りたらトイレとかバーベキュー場っぽい場所に出て、これはこの場所に神社はないのかも知れないと思いはじめた。

ちょうどトラックがトイレ休憩に来たので、運転手さんに聞いてみたら・・・
「このへんに詳しくはないけど、この公園に神社はないのは確か」だという。ガーーーン!!

キャンピングカーに戻って、もう一度カーナビをチェック。
確かにちょっと離れているけど、歩いて行けない距離じゃないと思ったんだけどなぁ〜。
方向音痴なんだから、スマホのナビを使えばよかった(´Д`;)

時間も遅くなってしまったし、これで辿り着けないんだったら縁がなかったと思って諦めよう。
そう言い聞かせて、ほんの少し走ったところで「神社→」看板を発見!!あったーーー!!!

居多神社(1) 居多神社(2)

以下、案内板より↓
ご祭神/大国主命、奴奈川姫(ぬながわひめ)、建御名方命(たけみなかたのみこと)
由緒/弘仁4年(813)に従五位下を、貞観3年(861)に従四位下を朝廷から賜った。
延長5年(927)の「延喜式」神名帳に記載された式内社である。
越後国司・越後守護 上杉家 上杉謙信の厚い保護を受け、越後一宮として崇敬されてきた。今日、縁結び・子宝祈願の神として信仰されている。

居多神社(4) 居多神社(3)

親鸞聖人 越後七不思議「片葉の芦(あし)」
承元元年(1207)、専修念仏の禁止により、親鸞聖人は越後国府に配流となった。
居多ヶ浜に上陸した親鸞は居多神社に参拝し、

すえ遠く法を守らせ居多の神
弥陀と衆生のあらん限りは


と詠み、神前に供え、はやく赦免となりますようにと祈願したところ、一夜にして居多神社境内の芦が方葉になったという。

居多神社(5) 居多神社(6)

創建は不詳。『頸城郡延喜式神社考』では神代の古跡であると伝える。社地は、慶応2年(1866)まで現社地の北西約1kmの身輪山(みのわやま)に存在した。(略)
居多神社は「気多神」を祀る神社と考えられており、兵庫県北部から新潟県にかけての日本海側に分布する気多神社の一社とされる。この気多神は出雲の人々に信奉された神とされており、『古事記』での大国主命による高志国(越国:現在の北陸地方)の奴奈川姫命への妻問い説話と同様に、気多神の分布は出雲勢力の北陸地方への進出を物語ると考えられている。
居多神社 - Wikipediaより)

居多神社(7) 居多神社(8)

写真:左=小さいけれど、いわくありげな石祠。お稲荷様が祀られているようです。
写真:右=親鸞聖人の像。

居多神社(9) 居多神社(10)

写真:左=雁田神社(かりたじんじゃ)。祭神:高皇産霊神、神皇産霊神。
写真:右=ご神木というわけではないのですが、銀杏の木が立派でした。

南北朝時代以降は、居多神社は守護上杉家からの崇敬を受けて越後国の一宮に位置づけられたとされる。
居多神社を一宮とする史料は、貞和3年(1347)の居多神社所蔵文書を初見として、他の居多神社文書や上杉家文書等にも散見される。
一方、越後国の一宮として知られる神社には弥彦村の彌彦神社がある。これら越後国の一宮制の展開の詳細は明らかでないが、平安期までは「一宮」の呼称自体は使用していなかったものの彌彦神社が実質的な一宮であったと見て、南北朝期に居多神社が上杉家の崇敬を得て一宮を公称するとともに、彌彦神社側でも一宮を称し始めたとする説がある。
居多神社 - Wikipediaより)



撮影:Nikon COOLPIX P900


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タグ:神社 公園
posted by しう@SOTO at 22:30 | TrackBack(0) | 新潟