2011年01月17日

北宮阿蘇神社

北宮阿蘇神社(1) 北宮阿蘇神社(2)

遅ればせながら、『北宮阿蘇神社』に初詣に行ってきました。

第17代菊池武朝公(一説では第16代武政公)が天寿4年(1378)に勧請したといわれています。
主神は国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと/阿蘇神)。
阿蘇神社の“北宮”国造神社と同一主祭神なので、国造神社から勧請したんでしょうか。

征西将軍 懐良(かねなが)親王が指揮を執られた際に使用されたと伝えられる軍配扇が残っています。
扇の表は金塗地に朱の日の丸、裏は地革に金色の日の丸だそうで、国旗のデザインってこの頃から定着してたのかな?

天正6年(1578)、肥前の龍造寺隆信が隈府城(現在の菊池神社あたり/当時の城主は赤星氏)を攻撃した際に焼失、楼門だけが創建当時のままで、本殿や拝殿は江戸時代に再建されました。
昨年の秋に相撲場も完成。

北宮阿蘇神社(3) 北宮阿蘇神社(4)

神社の眼前に流れる菊池川。石碑には『菊池一族御刀洗所/万病の神水』と書かれています。
この近くに、菊池一族の最初の本城があったらしいです。

地元にいながらテレビでしか見たことありませんが、『厄入り祈願』がここで行われます。
前厄の男性が、寒い中(11月下旬)、冷た〜い川に褌一丁で入り、対岸に置かれた『御幣』を持ち帰り神社に奉納するというもの。

北宮阿蘇神社(5) 北宮阿蘇神社(6)

そのちょっと上流に、四方を竹と紙垂(しで)で祀られたご神木があります。
かねてから謎だったのですが、たまたま通りがかったご近所さんによると水神様をお祀りしているそうです。
北宮阿蘇神社で行事を執り行っているそうですが、詳細は不明です。

教えてくださったおばぁちゃんは北宮阿蘇神社を大切に想っておられて、とっても素敵な方でした。
寒風吹きすさぶ中での立ち話でしたが、心が温まるひと時でした(*^_^*)


2007年03月25日に訪れたときのブログ2010年1月4日に訪れたときのブログ

撮影:ケータイカメラ(DoCoMo SH-02A)


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2011年01月18日

菊池三十三観音札所『九儀山大琳寺』

九儀山大琳寺(1)いつものコインランドリーでお洗濯の間にマリリンとお散歩。
たまには違った道をと歩いてみたら、菊池三十三観音札所 第二十九番所『九儀山大琳寺』を発見。


九儀山大琳寺(2)『肥後国誌』によると、もとは禅寺で開基年代は不明とあります。
菊池氏15代 武光により菊池五山が定められたときに、その一寺とされました。
もとの本尊は大日如来であったそうですが、現在は準胝(じゅんてい)観世音菩薩(Wikipediaの解説はこちら)が祀られています。

この観音様、あまり馴染みがないですが手がたくさんあるので一見、千手観音かなと思ってしまいました。
どういった経緯でこちらの本尊となったんでしょうね?

当初は現在地より南の『小堂』と呼ばれる地にあったそうですが、宝歴5年(1755)の台風で倒壊し現在地に移され、今では観音堂を残すばかりとなっています。


九儀山大琳寺(3)大琳寺区の公式サイトによると、正平14年(1359年)の筑後川の戦いで勝利し大宰府を占領し征西府を置き、大いに武威を振るった菊池氏が鎌倉・京都の五山にならって菊池五山の制を定め、五寺に格別の庇護をしたそうです。

ちなみに菊池五山のほか4つは、輪足山東福寺、手水山南福寺、無量山西福寺、袈裟尾山北福寺。


九儀山大琳寺(4)失礼して、お堂内に鎮座するご本尊を撮らせていただきました。
静寂の中にあっても重厚な佇まいです。




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前ブログの『菊池探訪〜三十三観音堂〜
『菊池の散策マップ』はこちら

撮影:ケータイカメラ(DoCoMo SH-02A)


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2011年01月19日

神龍八大龍王神社

今までに何度も訪れてるし、旧ブログにも2〜3度紹介してますが、最新の写真をどうぞ★

(2007年03月07日のブログ『菊池探訪〜神龍八大龍王神社〜』)

神龍八大龍王神社(1) 神龍八大龍王神社(2)

竹林に囲まれた参道(階段)をゆっくり降りると、小さいながらも存在感のある神龍八大龍王神社がひっそり佇んでおります。

神龍八大龍王神社(3) 神龍八大龍王神社(4)

拝殿の背後には夫婦杉がそびえ立っています。

神龍八大龍王神社(5) 神龍八大龍王神社(6)

手入れの行き届いた境内と拝殿。とても大切にされていると感じます。
右の写真は夫婦杉の根元にある石碑。

神龍八大龍王神社(7) 神龍八大龍王神社(8)

拝殿と直角あたりに小さな祠があり、愛染明王像と十一面観音像も鎮座。

神龍八大龍王神社(9) 神龍八大龍王神社(10)

写真左は十一面観音様。愛染明王様は写真がブレてしまっていました。撮られるのが好きではないようです(^_^ゞ

DSC_1492.jpg 神龍八大龍王神社(11)

すぐ裏手に流れる迫間川には、雄龍と雌龍が棲んでいたという伝説の二つの淵『男龍』と『女龍』があります。
写真左は迫間川から見た夫婦杉。

神龍八大龍王神社(13)公式サイトによると、大正12年に神社上の県道(現在はダムができており行き止り、市道に変更)、龍王神社第一鳥居のところから大蛇が田んぼの中を通って女龍の方向に行った跡があり、ずいぶん話題になったそうです。


撮影:Nikon D60

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タグ:神社 巨木
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2011年01月20日

菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』

前ブログの記事『将軍木の枝が!』に写真を追加しました。
折れた枝は、切り口も綺麗に治療されています(^_^)

さて菊池川流域には先土器(旧石器)時代から人が住んでいて、鞠智(きくち)城はじめ史跡が数多く残っています。
ほんのちょこっとですがドライブのついでに写真を撮ってきましたのでご紹介。

袈裟尾高塚古墳(1)2010年03月05日のブログにもチラっと載せましたが、県指定文化財『袈裟尾高塚古墳』です。
ご覧の通り、改めて撮るというにも何もないところですが(^_^ゞ
ちなみに袈裟尾(けさお)というのは地名です。


袈裟尾高塚古墳(3) 袈裟尾高塚古墳(2)

標高138mの丘陵地にあり、墳丘は径24.5m、高さ4.7mの円墳で、菊池で唯一の装飾古墳だそうです。
熊本県庁のウェブサイトによると、この古墳の石室が完成したのは6世紀頃とされていますが、6世紀のどの時期になるかは、変化が早い土器に頼ることになります。
しかし、度重なる盗掘のためなのか残された土器は少量であり、最も古い時期の土器を確定することは難しいようです。

袈裟尾高塚古墳(4) 袈裟尾高塚古墳(5)

内部は南南西の方向に、羨門を持つ横穴式石室で、前室と玄室に分かれており、全長は約7.22mとなっている。凝灰岩の巨石を壁石とし、その上に切り石を積み上げて天井石を乗せている。

玄室の左右に屍床、奥に石屋形があり、その奥壁に、線刻で『靫(ゆぎ)』を二つと三角文を配した装飾がある。また玄門や側壁に赤・白色の顔料による彩色が残存する部分が認められる。
玄門のまぐさ石の上面にも靫の浮彫りが発見された。副葬品として翡翠勾玉、硝子玉・金環などの装身具や刀子・鉄鏃・轡や須恵器が出土している。(菊池観光協会ウェブサイトより

内部の様子は『肥後国 くまもとの歴史』に詳しく載っています。

※見学を希望される場合は、希望日の2日前までに菊池市教育委員会(0968-25-1111)まで連絡してください。(曜日によっては見学できないときもあります)

周辺は綺麗に清掃されていて、春には花見客も訪れます。

撮影:Nicon D60


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2011年01月21日

菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』

瀬戸口横穴古墳群(1)菊池の史跡巡り、お次は『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』(リンクは『遺跡ウォーカー』より)です。
地元では有名なのでしょうが、ドライブの途中たまたま見つけました(^_^ゞ


瀬戸口横穴古墳群(2)瀬戸口横穴墓群は、七城町のうてな台地の西側に250基以上存在する、熊本県下でも最大規模の古墳時代後期の横穴墓群です。
近年13基の横穴墓を調査したそうですが、柔らかい凝灰岩の崖面に掘りこまれていることから玄室の半分以上が崩壊している墓も多く、また盗掘されているものもあったようで、正確な時期を決定できる土器類はほとんど残ってなかったらしいです。
玄室の中の、死体を安置する屍床とよばれる部分に残っていた遺物は、武器である鉄鏃、装身具であるガラス製の小玉、勾玉などのほかに馬具の一部も見つかりました。また、屍床を灯明台のように掘りくぼめたものや、朱で塗った部分なども確認されたそうです。
熊本県教育委員会ウェブサイトより)

瀬戸口横穴古墳群(3)熊本県教育委員会は、『熊本県文化財調査報告〈第51集〉里の城遺跡・若宮城跡・瀬戸口横穴群調査報告書 (1980年)』も出版しています。


余談ですが、『瀬戸口』とは周辺の地名ですが、お隣は『台(うてな)』といいます。
うてな〔臺(台)〕=高い土台や物を載せる台。また、見晴らしのきく高い台。台地。
弥生時代後期から古墳時代前期までの集落跡『うてな遺跡』も近いことから、鞠智(きくち)城の見晴し台(物見櫓)がこの辺りにあったのかも知れません。


ちなみに、瀬戸口横穴古墳群は太平洋戦争時、防空壕や兵器製作所としても利用されたと、『しらべる戦争遺跡の事典(十菱 駿武・菊池 実 編集:柏書房:2002/06)』という本に書かれています。
この暗く深い穴蔵には歴史が詰まっているんですね。

撮影:Nicon D60


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2011年01月23日

別雷神社

別雷神社(1) 別雷神社(2)

こちらも先日のドライブ途中で見つけた、菊池市七城町岡田にある『別雷神社』です。
拝殿前に左右一対で松の木が植えられているのが珍しい。

由緒書きがなかったので『別雷神社』で検索してみたら、何故か『駅探』(乗り換え案内・時刻表・運行情報・路線図のサイト)内に地図だけありました。(こちら

京都市北区にある『賀茂別雷神社(上賀茂神社)』(何と世界文化遺産! Wikipediaの解説はこちら)と同じ名前なので、この賀茂系の社かな? ワケイカズチジンジャと読むみたいです。

ちなみに、主祭神である賀茂別雷神(リンク先は個人サイト『八百万の神々』)は大山咋神と玉依姫(賀茂建角身命の娘)の間に生まれた男神で、雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。

別雷神社(3) 別雷神社(4)

小さな集落の細い道路から少し入ったところにひっそりと存在しているのですが、ご覧の通り氏子の方々に大切にされています。
手水の岩には『寶曆(宝暦)十二年』と書いてあるように読めるので、1762年に寄進されたようです。
第10代将軍・徳川家治の時代ですよ!

別雷神社(5) 別雷神社(6)

拝殿内にも寄進された絵が飾られています。どれくらいの年代物なのか解らないのですが、だいぶ掠れています。

別雷神社(7) 別雷神社(8)

拝殿〜本殿を左右からそれぞれ撮らせていただきました。
彫刻が美しいです。

別雷神社(9)



撮影:Nicon D60


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2011年01月25日

菊池兼朝公の墓?

菊池兼朝公墓(1)こちらも先日のドライブ中に見つけました。
(『別雷神社』の近くです)
菊池家第十九代、菊池(豊田)兼朝公のお墓とされていますが、芦北町の八幡兼丸にある千寿庵(リンク先は個人サイト『菊池玲瓏』より)も兼朝の墓ではないかといわれているそうです。表面がぼろぼろになった五輪塔がいくつか残っています。


菊池兼朝公墓(2) 菊池兼朝公墓(3)

以下、説明板より↓

史書によりますと、岡田村字宅地の墓地に無銘の古塔三基あり、その中の一基は兼朝の墓であると書かれています。
兼朝は弘和3年(1313)、武朝の長子として生まれ、24歳で菊池家十八代を継ぎました。
応永26年(1419)6月、南蛮軍侵入の際は之を撃退し、翌27年には河尻城を攻め、河尻実賜の反乱を鎮圧しています。
文安元年(1441)3月8日、63歳で没、法名を旭山元朝大居士、また、透関道徹居士ともいいます。
岡田正善寺(開山・金善和尚、建立・兼朝)には釈迦如来像と兼朝の位牌および大きな掛け軸(涅槃図)が残っています。

左側のお墓は、城氏代々のものかと思われます。
城氏(藤原姓菊池一門)- Wikipediaの解説

菊池一族に関して、菊池家十三代惣領・菊池次郎武重公の末裔の方のサイト『忠誠の菊池一族』に詳しく書かれています。

それにしても、菊池家の当主の墓が不正確とは… 寂しく感じますね。

撮影:Nicon D60


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2011年02月14日

円通寺史跡公園

神社のある風景メダカ水槽や小川に水草を生けよう!と、以前も撮りに行った場所を目指してドライブ。
それが、いつもと違うルートを走ったので迷ってウロウロ〜。


風景(1)


風景(2)

こちらは山小屋からも見える鞍岳。

円通寺(5) 円通寺(1)

ようやくお目当ての場所に到着。
一昨年あたりの日記にもちょこっと載せました『円通寺史跡公園』です。
菊池三十三観音 第九番でもあります)
延久年間(1069〜1074年)に菊池氏初代の菊地則隆により創建されたと伝えられています。
この石門は熊本県重要文化財で、幅5.4m、高さ3.9m。

円通寺(4) 円通寺(6)

岸壁に彫られた文字は『大悲』と読むんですね。
検索してみたら円通寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、山号は『大悲山』なんだそうです。
でも、こちらの円通寺は大宝山円通寺。

こちらの円通寺の経緯を箇条書きにすると、

天長4年(827年):淳和天皇が京都に大宝山円通寺を建立
正暦3年(992年):一条天皇が愛宕郡に移す
延久2年(1070年):菊池則隆が同寺を参詣したところ荒廃ぶりに驚き、肥後国に移すことを朝廷に願い出、許しを得る
寛文7年(1667年):竜田山泰勝寺(臨済宗)二世の春山座元が再興し、泰勝寺の末寺となる

円通寺(2) 円通寺(3)

池には蓮も植えられています。
シャクナゲが有名なのですが、その頃は旅に出てるかも…(^_^ゞ

ここの道路脇に用水路があり、底に生えてる水草を取らせていただきました。
内心「またヤゴがくっついてきたら今度は絶対に放そう…」と思ってたんですが、杞憂に終わりました。ホッ。
(一昨年しばらく飼っていたのですが、無念のリタイヤで未だ傷心…)

撮影:Nicon D60


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2011年03月02日

きくち初市

菊池初市2011(2) 菊池初市2011(1)

毎年3月1日〜2日は菊池神社参道・御所通りにて『きくち初市』が開催されました。
伝統行事で歴史が古く、日程も昔っから決まっているので平日だろうが問答無用です(笑)
そのせいか、年々寂しくなって来たとお年寄りが話しているのを耳にしました。昨日は雨だったしね…。

一昔前の賑わいは知りませんが、けっこう人だかりができてたような?
植木・苗木屋、瀬戸物屋、駄菓子・おもちゃ屋、お好み焼きなどの露店が建ち並び、将軍木もずーっと見守って来た光景です(*^_^*)

ちなみに3月21日まで『菊池わいふのひなまつり』も開催中ですよ♪


撮影:ケータイカメラ(DoCoMo SH-02A)


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2011年08月10日

神龍八大龍王神社

龍王神社(20110808_01) 龍王神社(20110808_02)

もう何度目だ!(笑) 神龍八大龍王神社で〜す☆
山小屋に引っ越して、一番近い神社が菊池神社からこちらになりましたので、8日に帰宅のご報告に参拝しました。
「え〜、もう何日前だよ┐(´∇`)┌」

龍王神社は竹林の中の参道を下ってお参りする、珍しい『下り宮』です。
写真(左)竹林を抜けると小さなお社があります
写真(右)左の写真を撮った辺りで振り返るとこんな感じ

龍王神社(20110808_04) 龍王神社(20110808_03)

写真(左)の左側のお社は愛染明王さまと十一面観音さま、右側が神龍さまの拝殿。
拝殿の後ろには樹齢350年超の夫婦杉。

ちなみに公式サイト、神龍さまが<宇宙最高の神>という割にめっちゃチープな仕上がりです(笑;)
菊池には平安時代から『白龍伝説』があったりして、こんなパワースポットブームとかに乗っかってほしくないんですけど(^_^;

龍王神社(20110808_06) 龍王神社(20110808_05)

神社のすぐ傍を流れる迫間川(菊池川支流)から見上げた夫婦杉(右)と、上流にある竜門ダム(左)。
地名は龍門なんだけど、ダムの名前は竜門。どっちでもいいのかも(笑)

龍王神社(20110808_08) 龍王神社(20110808_07)

雄龍と雌龍が棲んでいたという淵『男瀧』と『女瀧』に何かを感じる方は多いらしいです。
大変申し訳ないことに、ワタシは霊感に乏しいので(´・ω・`)「ここがパワーを感じます!」とか言えないのですが…。
今日の写真は逆光モードで撮ったのに、ずいぶん明るく写ってしまいました。


昨今のパワースポットブームで神社を訪れる人が増えたのはいいことかも知れませんが、ご神木とか参道の巨木とか、やたらと「パワーをもらおう!」「ご利益をいただこう!」って触ったり抱きついたり、酷いと皮を剥いで持ち帰ったり、幹に小銭をねじ込んだりしてるのを見かけます。
ヒトの手のひらにはいっぱい色んな菌がくっついてますし、いくら樹齢ウン百年の巨木でも、弱ってしまうと思うんですよ。
たまには自分のパワーを分けましょうよ。ご苦労様って労ったり、感謝しましょうよ(´・ω・`)

それから水のあるところにお賽銭を入れたくなるようですが、お賽銭は活かさなきゃ意味がないので、お賽銭箱に入れることをおススメします。
拾い集めるの大変ですから(^_^ゞ
お賽銭は「願い事への対価」ではなく、清掃とか維持費、修繕費などなどに活用してこそ価値があるのです。
見返りに願い事を叶えるのは悪魔と相場が決まっているのです★
神様仏様にはお金は必要ないので〜。投げ込まないで〜。

あと、人形とか置いて行く人がいるみたいですが、お祓いしていただくなら、ちゃんと社務所に届けましょう。
龍王神社の拝殿の中にもシーサーが置いてあってビックリしたよ!
ここには社務所がないから、たぶん地域の方がお掃除とかしてくれてるんだと思うのですが、お供え物も「お供えしたら持ち帰って、ご参拝の喜びを分かち合ってください」と書いてあります。

龍王神社の由緒書にはこんな一文があります。

天正3年(1575)、世界の平和を祈念され此の地に天下られた。
「真心をだせよ。真ありてこそ神に通ずる。」


まごころですよー。したごころはだめよー。


撮影:ケータイカメラ(DoCoMo SH-02A)


↓過去ログ↓
2007年03月07日『菊池探訪〜神龍八大龍王神社〜
2011年01月19日『神龍八大龍王神社


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