2013年04月21日

若狭高浜の居酒屋・四万十

時系列が前後しますが、後で書き直しますm(_ _)m
道の駅【シーサイド高浜】から小浜方面に約2kmほどのところにある居酒屋【四万十】(リンク先は【食べログ】)です。
なぜ福井に来て【しまんと】(ΘoΘ;)? マスターが高知出身なんだそうです。

四万十(甘エビ) 四万十(ヒラメ刺身)

写真(左)とろける甘エビ
写真(右)ヒラメだったと思う(´Д`; 肉厚。

四万十(あいなめ刺身) 四万十(のどぐろ煮付け)

写真(左)あいなめのお刺身、肝がまた美味!
写真(右)のどぐろの煮付け

四万十(オーロラサーモン) 四万十(シーザーサラダ)

写真(左)一度も冷凍されていない【オーロラサーモン】とろける!
写真(右)シーザーサラダ。意外。

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)

SOTO Home PageTwitterFacebookYouTubeInstagramフォトライブラリー

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪









posted by しう@SOTO at 23:58 | TrackBack(0) | 福井

2015年06月15日

雄島と大湊神社

昨日(2015年06月14日【徒歩旅人との交流】)、白石さんとは越前松島で待ち合わせだったのですが、ウチのカーナビに載ってなかったんです。ネットで調べたら東尋坊の近くだったので、とりあえずそこにセットして行ってれば看板が出てくるだろう〜と出発。
越前松島水族館】があったのでそこを目指して行ったのですが、たまたまその手前の駐車場に停めたら松林の木陰で休んでる白石さんを発見!
なんてラッキー。この方向音痴が辿り着けるか心配だったんですよ。白石さんはバッテリー切れで返事できない状態だったし。

で、東尋坊は来た事あるからいいや、と思ってたけど白石さんが「せっかくだから行きましょうよ」って、自分はもう見に行った後なのに後押ししてくれました。優しいのぅ。
自分の過去ブログを探してみたら、10年ぶりだった!(2005年09月30日【東尋坊/九頭竜〜荘川へ】)
関係ないけど、この頃の移動距離スゴイなぁ・・・。

まずは昼食をとり、東尋坊へ。10年前よりも土産物などのお店が増えたような気がしました。観光客も多いし、なんか写真を撮る気にもなれず(^x^;
ふと海の向こうに雄島を見つけて、「あそこ行きたいなぁ」ってつぶやいたら、これまた「さっき階段の手前で引き返してきたんで、僕も行きたいです」って言ってくれたんです。ええ人や( つД`)

雄島マップ 雄島橋

雄島(おしま)は越前海岸にある島のひとつで、同海岸中もっとも大きな島。越前加賀海岸国定公園に含まれています。(雄島 - Wikipediaより)

雄島橋の手前に駐車場があり、そこから徒歩で渡ります。駐車場は普通車30〜40台分くらいかな? 釣り客なども停めているし、大型車が停められるかどうかは賭けですね(´▽`;) 小さな売店もあります。

雄島橋からの自然観察 雄島へ


雄島・大湊神社の鳥居 雄島・大湊神社の春日燈籠

橋を渡ると、大湊神社の大鳥居がお出迎え。カメラを向けられるとポーズをとってしまうのは旅人の性なのか?(笑)

神社への参道入り口に、無人の授与所があります。けっこううっそうとした森の中で、ひとりでは躊躇してしまいそうです(°°;)

写真:右の春日燈籠一対は天保2年、この雄島をこよなく愛し、敬神奉佛の念厚き「室屋」六代内田惣右衛門により寄贈された、と書かれてあります。今も見守っておられるでしょうか。

雄島・遊歩道 雄島・大湊神社 拝殿

写真:左=島を廻る遊歩道
写真:右=重要文化財【大湊神社】拝殿。この背後に本殿があります。

↓以下、案内板より(少し分かりやすく書き直しています)
この大湊神社は延喜式内社(延喜式神名帳に記載された神社)で、ご祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)ほか五柱。三保大明神とも号せられ、航海、漁業の守護神として崇敬されています。
永禄年間(1558〜1569)、朝倉義景は一門の祈願所と定めたが、天正年間(1573〜1591)、織田信長の兵火にかかり社殿はことごとく焼失しました。
元和7年(1621)、福井2代目藩主・松平忠直公が武運長久・国家安全の祈願所として再建されたのが現在の大湊神社の本殿であります。この本殿は桃山様式を取り入れた一間社流造の柿葺で、中にはケヤキ一本彫りの伊邪奈岐命(いざなぎのみこと)座像が安置されており、建物とともに県指定重要文化財となっております。

雄島・大湊神社から見た東尋坊 雄島・大湊神社から見た東尋坊

拝殿のお向かいには、海に向かって鳥居が建てられており、その向こうに東尋坊が見えます。

ブログ記事を書くにあたりネットで雄島・大湊神社を調べていると、必ずと言っていいほど「心霊」関連記事が上位にヒットします(´▽`;)
東尋坊で身を投げた方が、よくこの雄島に辿り着くそうで・・・。海流のせいなのでしょうが、大湊神社に助けを求めるのか、大湊神社の神様が救ってくださっているのか(肉体じゃなくて魂)、などと考えてしまいます。
あまり賑々しく心霊スポットと騒ぎ立てないでほしいところです。

雄島・瓜割の水 案内板 雄島・海岸

参拝後、遊歩道で島をぐるっと廻ってみました。けっこう家族連れやカップル、釣り人など歩いている人がいますよ。
【瓜割の水】方面への遊歩道は雑草が生い茂って道がわからないほどだったので、断念しました。草刈り大変でしょうが、これから夏休みシーズンに向けて整備をお願いします!( ̄Λ ̄)ゞ

撮影:Nikon D5100

越前松島

*転 載*
越前松島に降り立つ自悠人セルフポートレート。
場所はヒミツ★ 自分の足で歩いてこそ、見える風景がありますね。


SOTO Home PageTwitterFacebookYouTubeInstagram

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪









posted by しう@SOTO at 10:28 | TrackBack(0) | 福井

2017年05月24日

若狭姫神社と若狭彦神社

毎年【ロードマップ-道の駅 旅案内 全国地図】を買って、古いカーナビ画面と照らし合わせながら走っています。
今年は[一の宮]が明記されていて、神社好きのわたしには超〜便利♪
ということで道すがらにある一の宮にはなるべく参拝したいな〜と思っております。

さっそく、若狭国一宮=若狭彦神社と若狭姫神社へ。「一の宮」が2社あるというのは珍しい。
若狭彦神社が上社≠ナ若狭姫神社が下社≠セとは知らなかったし、どちらを先に参拝するかとか思いもしなかったので近い方から参拝しました(´▽`;ゞ

若狭姫神社(1) 若狭姫神社(2)

【若狭姫神社】
若狭一の宮は神社の記録によると、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。

若狭姫神社(3) 若狭姫神社(4)

若狭姫神社のご祭神は、豊玉姫命(とよたまひめみこと:乙姫)です。海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。

若狭姫神社(5) 若狭姫神社(6)

千古巌然とそびえる霊木、千年杉。※樹齢は不明

若狭姫神社(7) 若狭姫神社(8)

写真:右の、足のマークがあるところに立って、見上げて撮ったのが↑の写真(千年杉)。

若狭姫神社(9) 若狭姫神社(10)

若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様と呼ばれる大銀杏(写真:右)などがあります。

若狭姫神社(11) 若狭姫神社(12)

多田ヶ岳山麓からの湧水でしょうか。
以下、案内板より↓
神社の祭典には、この水を神饌(しんせん)に用いて神前に奉っていることはもちろん、神聖な力を備えた霊水として崇拝され、病気平癒、茶道、書道上達などの神徳を人々に授けている。
また、若水とは元旦の早朝に奉献せし御神水にして、この井の水は古来、若狭の若返りの水としてその名が高く、これを拝戴すれば邪気を払いて清朗快活・延命長寿を保つと伝えられている。
冷たくて美味しかったですよ♪

若狭彦神社(1) 若狭彦神社(2)

【若狭彦神社】
若狭彦神社は、和銅7年(714)に今で云う遠敷郡下根来村白石に創られましたが、霊亀元年(715)に現在地に遷(うつ)ったとされています。
ご祭神は彦火火出見尊(ひこほほでのみこと/山幸彦)。

若狭彦神社(3) 若狭彦神社(4)

夫婦和合、良縁成就(縁結び)に霊験あらたかと崇敬されている夫婦杉。

若狭彦神社(5) 若狭彦神社(6)

写真:左=随神門、右=随神門から拝殿を拝む

若狭彦神社(7) 若狭彦神社(8)

写真:左=龍前宇宮山からの湧水。この池はモリアオガエルの生息地でもあります。
興味のある方は、東大寺の「お水取り」「お水送り」との関連も調べてみると面白いと思います。

写真:右=拝殿の前には神楽殿でもあったのでしょうか? 礎石だけが残っていました。

若狭彦神社(9) 若狭彦神社(10)

若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集めているんだとか。

神紋が「宝珠に波」なのは、彦火火出見尊(山幸彦)が龍宮で手に入れた潮を自在に操る潮盈珠・潮乾珠にちなんだものです。

若狭彦神社(11) 若狭彦神社(12)

最後にもう1回、夫婦杉♪
若狭彦神社の鎮守の森は原生林じゃないのに野性的というか、人外の生気にあふれているというか、そのような雰囲気を感じました。

ちなみに若狭彦神社には社務所はなく、ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐しています。御朱印は若狭姫神社で2社とも書いていただけます。

*参照*
若狭の一宮(若狭姫神社)- ふくいドットコム
若狭彦神社 - Wikipedia

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*はじめての方はこちらもどうぞ*
 SOTO 松本周己 公式ウェブサイト
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
 +SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
 全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪










タグ:神社 巨木 湧水
posted by しう@SOTO at 22:22 | TrackBack(0) | 福井

2017年05月25日

越前国一宮 氣比神宮

一の宮めぐり、福井県にある越前国一宮【氣比(けひ)神宮】です。

氣比神宮(01) 氣比神宮(02)

参拝させていただくのは、今回で3度目♪
「日本三大鳥居」にも数えられる壮麗な朱塗鳥居である大鳥居(国指定重要文化財)は、修復中でした。

「ケヒ(氣比/笥飯)」の由来としては、『古事記』では「御食津(みけつ)」から「氣比」に転訛したといいます。
『古事記』の伝承に加え、古い表記の「笥飯」は当て字ながら「箱中の飯」を意味することから、「ケヒ」とは「食(け)」の「霊(ひ)」、すなわち食物神としての性格を表す名称とする説もあります。
またこれとは別に、応神天皇と氣比神との名の交換を意味する「かへ(kafë)」から「けひ(këfi)」に変化したとする説もあるようです。
氣比神宮 - Wikipediaより)

氣比神宮(03) 氣比神宮(04)

まずは、道案内の神様である猿田彦神社へご挨拶♪
狛犬さんの背筋ピーン★

氣比神宮(05) 氣比神宮(06)

写真:左=長命水。もちろんいただきましたとも。
写真:右=延元元年(1336)、宮司であった氣比氏治が南朝方として挙兵するにあたり、この松に氣比神の神旗を掲げたという「旗掲松(はたあげのまつ)」2代目。ここも南朝・後醍醐天皇ゆかりの地だったんですね!

氣比神宮(07) 氣比神宮(08)

社殿のほとんどは第二次世界大戦中の空襲で焼失したため、現在の主要社殿は戦後の再建だそうです。
ご祭神(主祭神)は、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)。「氣比大神」または「御食津大神」とも称されます。
配神は第14代天皇・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と、仲哀天皇の皇后・神功皇后(じんぐうこうごう)。

氣比神宮(09) 氣比神宮(10)

境内東側の裏参道に鎮座する摂社【角鹿(つぬが)神社】。
「敦賀(つるが)」の地名発祥地であると伝えられています。

摂社は他にも、伊佐々別(いささわけ)神社、天利劔(あめのとつるぎ)神社、天伊弉奈姫(あめのいざなひめ)神社、天伊弉奈彦(あめのいざなひこ)神社が鎮座しています。

氣比神宮(11) 氣比神宮(12)

昭和11年(1936)に陸軍関係者から献木されたユーカリの大木(敦賀市指定天然記念物)。
オーストラリア原産のユーカリが北陸で育つなんて、かなり珍しい。
葉っぱから、特有のいい香りが周囲を包んでいました。落ち葉でも緑色のものは香るので、試してみてください♪(枝についている葉は、絶対に千切っちゃダメ!)

撮影:Nikon COOLPIX P900



*はじめての方はこちらもどうぞ*
 SOTO 松本周己 公式ウェブサイト
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
 +SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
 全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪











タグ:神社 巨木
posted by しう@SOTO at 22:46 | TrackBack(0) | 福井