一の宮めぐりが続きます。本日は、越中国一宮・射水神社を目指します。
【
ロードマップ-道の駅 旅案内 全国地図】では高岡古城公園と隣接しているようだったので、公園にカーナビをセット。うちのカーナビには射水神社が載ってなかったのです・・・(´・ω・`)

小雨そぼ降る中、高岡古城公園に到着。カーナビ任せで来たので、どこが正面だか分からないまま手近な駐車場へ。無料でした。
案内板があったので、どれどれ・・・と眺めるも、神社が見当たらない。
・・・今、画像を見たら、ド真ん中に載っとるやないかーい。
おかしい。一体どこを見ていたんだ。

だいたい方向音痴のくせに「行けば分かる」とか思うタイプなので、こういうポカをやらかす。
やみくもに歩いたって辿り着かないよね。って、諦めは早い┐(´ー`)┌
雨も降ってるし、退散することに・・・。
ちょうど学生さんたちが大型バスで3〜4台も来ちゃって、「バスが入らないじゃないか」みたいに言われちゃって、追い出される格好に。
越中国 - Wikipedia には、射水神社、気多神社、高瀬神社、雄山神社が「一宮」に挙げられています。
一宮って、ひとつじゃないのね・・・。
「一宮」をめぐる攻防? についても
越中国 - Wikipedia に載っていましたので、興味のある方はご参照ください。
気を取り直して、本日の目的地は立山なので、その道すがらにある雄山神社に参拝することに。
この時点では「一宮」云々のことは知らなかったのですが、地図にも【越中国(一宮)】と表記されていました。

【
雄山神社 前立社壇(おやまじんじゃ まえたてしゃだん)】
一の鳥居は修復中でした。
霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(いざなぎのかみ/立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(あめのたぢからおのかみ/太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった。
峰本社(みねほんしゃ)、中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)、前立社壇(まえだてしゃだん)の三社をもって雄山神社とする。
(
雄山神社 - Wikipedia)

写真:左=左から、末社/八幡宮、摂社/刀尾社、末社/稲荷社、。
写真:右=常願かなえの楠堂。

写真:左=現在の拝殿は幣殿、神饌所、本殿を囲う透塀、旧社務所、斎館、両神門、石灯篭、春日灯篭などと共に皇紀二千六百年記念事業の一環として昭和15年(1940)より造営、同17年(1942)に竣工。平成17年(2005)に拝殿以下の建物は銅板に葺き替えられ、現在の姿となりました。
写真:右=加賀藩2代目藩主・前田利長の正室、玉泉院(永姫)が寄進したものと伝えられている、石の狛犬(立山町指定文化財)。
前立社壇は、平安初期に建てられた立山寺(岩峅寺)を前身とする神仏習合の名残りある神社であり、開祖・佐伯有頼が立山権現の化身である白鷹によって導かれた岩窟の正面に位置し、この地より立山開山の伝説が始まったと云われています。

雄山神社 前立社壇から立山方面へ約10km、【
雄山神社 芦峅中宮祈願殿】。
中宮祈願殿は、神仏習合であった時代には中宮寺(芦峅寺)と呼ばれていました。
かつて女人禁制だった立山において、立ち入る事が出来た最終地がここであり、宿坊や、女人救済のための行事を行なう布橋などがあったそうです。

写真:左=神明社。
写真:右=詳細不明。子どもを乗せた犬が亀を押さえ込んでる?

若宮。
樹齢およそ500年の大杉の木立がすっくと伸びています。

写真:左=拝殿(祈願殿)。
この日は何の集まりか、ちょうど拝殿から女性グループ10名ほどが出て来られました。
それと、ご近所さんらしき男性が手水舎の水をポリタンクに汲んでいて「ここの水は美味しいんだよ!汲んでいきなよ」と言ってくれたのですが、ペットボトルを持って来ればよかった〜。
地名にもある岩峅寺(いわくらじ)や芦峅寺(あしくらじ)などの「峅(くら)」と言う文字には「神様の降り立つ場所」という意味があるそうです。
立山に入山する人々が穢(けが)れや罪を湯立ての神事にて祓い、道中の無事を祈願してきた雄山神社。
観光といえど立山に行かれる際は、参拝されるといいですよ。
撮影:高岡古城公園=スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)/ Nikon COOLPIX P900
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posted by しう@SOTO at 22:55
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