2017年04月06日

第60回 久留米つつじまつり

久留米百年公園で開催されている【第60回 久留米つつじまつり】、今年も行ってきました!\(^o^)/

久留米つつじまつり2017(1) 久留米つつじまつり2017(2)

熊本市、栃木県鹿沼市と並び、日本三大植木市のひとつ! なんですが・・・
初日だったせいなのか、ちょっと品揃えが間に合ってない感じが(´▽`;) 何だか年々、規模が小さくなっていってる気がするなぁ・・・。
古くは盆栽ブーム、ガーデニングブームも去り、あんまり人気がないんですかねぇ。寂しい。

熊本の植木まつりは半分くらい物産展と化しているなか、久留米つつじまつりは植木メインを貫いているので個人的には好感をもっています(´ω`*)
いや物産展も好きなんですけどね。いろいろ楽しめて。

久留米つつじまつり2017(3) 久留米つつじまつり2017(4)

ツツジと細葉石楠花、常緑ヤマボウシなどなど、今年も好い買い物ができましたヾ(*´▽`*)ノ
どこに植えようかな〜♪

道の駅【久留米】の周辺にも、植木市場や花市場、園芸農協、平田ナーセリーなど園芸屋さんが多数点在しています。
国道210号線を東に10kmほどにある田主丸(たぬしまる)町は、昔から造園業が盛んで、植木や苗木などを扱う業者が数多いことで有名です。ぶどうの「巨峰」発祥の地でもあるらしい。

江戸時代、久留米藩領として豊後街道の宿場町だった吉井にある【白壁の町並み】も見応えありますよ!
小さな美術館「筑後吉井」まち歩き(うきうきうきは|うきは市観光体験HP)
それを過ぎれば道の駅【うきは】です。
ドライブがてら、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか♪

【第60回 久留米つつじまつり】
 2017年04月05日 〜 2017年05月05日
 9:00〜17:00
 場所/久留米百年公園(入場無料)



*関連する過去ブログ記事*
・2011年04月07日【筑後国一の宮 高良大社
・2011年10月08日【初訪問の道の駅・福岡
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2014年01月16日【お天気に誘われて〜福岡ドライブ♪
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2017年02月18日【久留米植木まつりと大刀洗公園


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2017年04月13日

山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(前編)

2年前からチェックしていた、毎年4月の第2土・日に執り行われる岩屋神社の【岩屋まつり】。
今年こそはと心待ちにしておりました。

ところが週末は雨の予報だったため役場に電話してみたところ「よほどの大雨でない限りは決行します」との返事。
タイムスケジュールを調べてみたら、8日(土)の方が神様を招く「奉銭(ほうせん)の儀」や、暴れ神輿も神楽も見れるのですが、紫橙(さいとう)大護摩供養は9日(日)。わたしの目当ては、どちらかというと大護摩供養&火渡り神事。
8日当日は予報通り雨だったので断念しましたが、本命の護摩焚きが行われる9日は曇り! 天気が変わるかも知れないけど、早起きしたし東峰村へ2時間弱のドライブがてら出発♪
なんと晴れ間も見え、汗ばむ陽気となりましたヾ(*´▽`*)ノ

岩屋神社(岩屋まつり2日目) 岩屋神社(岩屋まつり)

イベント会場では物産品の販売や、天狗の下駄飛ばし大会、太鼓の演奏、カラオケ大会、餅まきなどが開催されます。

岩屋神社(案内図) 岩屋神社(吊り橋)

写真:左=岩屋山の全体図
写真:右=イベント会場から、吊り橋を渡って行きます。

岩屋神社(護摩行準備) 岩屋神社(石柱門)

写真:左=ご神木の一つでもある樹齢700年の大銀杏の前で、護摩供養の準備が進められています。
宝珠山一帯は、朝鮮半島の金剛山と対馬以外ではここにしか見られない玄海ツツジ、高さ約18メートルもの大ツバキが自生し、いずれも県天然記念物に指定されています。

写真:右=本来は、こちらが山門にあたると思われるので、一旦出てから撮影、あらためて入山。

岩屋神社(洞門) 岩屋神社(五百羅漢)

写真:左=大銀杏の脇から石段を登ると、大岩をくりぬいた洞門が。
写真:右=向こう側の高台、尾根を歩いてる人が! あそこまで行くのね。

岩屋神社(五百羅漢) 岩屋神社(五百羅漢)

写真:左=手前の真ん中に、お気に入りの「合掌童子」像。一昨年よりも苔むして、お顔が半分くらい隠れてきました。邪魔だろうなぁ。

写真:右=右側の洞門をくぐって、鳥居の先にそびえる権現岩、その懐に岩屋神社が鎮座しております。

岩屋神社(鳥居) 岩屋神社(石段)

最初の難関、急峻な石段です!
両サイドには数多の石仏が「がんばれー」と見守ってくれています。

岩屋神社(本殿) 岩屋神社(本殿からの眺め)

写真:左=岩屋神社本殿は権現岩の窪みを利用して造られた彦山山岳修行の第3窟で、国指定重要文化財。
およそ1500年前の継体天皇25(521)年、中国・北魏からの渡来僧「善正」が修行場「日子山(ひこさん/彦山・英彦山)」を開山した翌年(532)、宝珠山宝泉寺大宝院として開かれたのがはじまりとされています。

写真:右=本殿から見下ろすと、崖の角度がよく解ります。

案内板より↓
現在は岩屋神社と呼ばれている本社は、明治以前は、神仏混淆(こんこう)の天台宗系修験道寺院でもあったので、宝珠山宝泉寺大宝院岩屋三所大権現社と、また、彦山・宝満山を中心とした山伏たちの修行場、彦山四十九窟の一つとしては宝珠山窟、入峰修行の彦山春峰・宝満山秋峰四十八宿の一つとしては、玉置(玉来/たまき)宿とも呼ばれていました。

岩屋神社(本殿) 岩屋神社(本殿)

本殿には氏子総代さんが御神酒を振る舞われていて、本殿内部の写真も撮らせてくれました!
(ちなみに御神酒は飲めなかった・・・;つД`)

ご祭神は英彦山権現と同じく、観世音菩薩の化身・伊弉冉尊(いざなみのみこと)、釈迦如来の化身・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、阿弥陀如来の化身・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)。

宝珠山には、とある伝説があります。
それは欽明天皇8(547)年、突然の霊光とともに空から「星の玉」(つまり隕石?)が降って来たというものです。
社僧はこれを「宝珠石」と名づけ、社殿を造ってご神体として大切に祀りました。
「宝珠」とは仏教用語で、仏の教えの象徴であり、何でも願いが叶う不思議な玉という意味。この宝珠石=宝珠山が村名・村章の由来です。(宝珠山村は小石原村と対等合併し2005年に東峰村が発足、現在は福岡県朝倉郡東峰村宝珠山という地名となっています)

大化4(648)年、村人に「星の玉・宝珠石を茅薦(かやこも)で包んでまつれ」と神のお告げがあり、以来、閏年の旧暦9月19日(10月19日)に「薦替えの儀」が行われています。
「宝珠石」を見ると目がつぶれるという言い伝えがあるため、薦替えの儀は目隠しをし、榊の葉を咥え、かつては夜中に手さぐりで行われていましたが、現在は昼間に行われているそうです。

写真:右の中央、柵で囲われた丸いものが、その宝珠石です!!!
まさか見られるとはー!来てよかったヾ(*´▽`*)ノ

岩屋神社(馬の首根岩) 岩屋神社(馬の首根岩からの眺め)

写真:左=一昨年は断念した、本殿・権現岩の東側にそびえる、馬の首根岩。いざ行かん!
写真:右=右も左も断崖絶壁の鎖場、と書くと大げさかも知れませんが(笑)その先には、こんな絶景が待っていました!

岩屋神社(馬の首根岩からの眺め) 岩屋神社(馬の首根岩から権現岩を振り返る)

写真:左=ちょうど後から来た男性2人組がいいポジションに座ってくれたので写真を撮らせていただきました。
そして驚いたことに、読経を始めたのです!
会話を聞いていたら(盗み聞き;;)ここで3日間、断食をしながらUFOを待っていたことがあるらしいΣ(°ロ°;) おにいさん、ナニモノ!?

写真:右=法螺貝の音が聞こえて来て、振り向いたら本殿近くで吹いているではないですか。
おにいさんたち「あ、●●ちゃんだ」Σ(°ロ°;) 知り合い!? つか女性だよ!!
なんとコアな人たちが集まってるんだ、岩屋まつり・・・。

岩屋神社(針の耳) 岩屋神社(針の耳 胎内くぐり)

馬の首根岩から本殿に戻り一礼して、西となりに位置する権現岩と梵字岩の境目(割れ目)へ。ここも、一昨年は忘れてスルーしてしまった場所です。
この割れ目は「針の耳」と呼ばれ、親不孝者が通ると上から石が落ちてくるという伝承があります。
(そこそこ大きな石が引っかかってます)
また、左側の「梵字岩」には、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が彫ったという梵字がかすかに遺っているそうです。通るのに気を取られていて、確かめるのをすっかり忘れてしまいました! 絶好調トリ頭!(T▽T)

岩屋神社(熊野神社) 岩屋神社(修験道)

写真:左=熊野岩に抱かれた熊野神社。
写真:右=その東側から、奥社への修験道が続いています。前回は時間がなくて廻れなかったので、今日は張り切って行きますよ!

岩屋神社(修験道) 岩屋神社(修験道)

烏帽子岩を回り込むような感じです。鎖がかけられているので助かります!

岩屋神社(修験道) 岩屋神社(修験道)

烏帽子岩を過ぎ、見晴岩へ登ります。
お社があるわけじゃないし、登らなくても修行に支障はなかったと思われますが、きっと名前が示すように見晴らしがいいに違いない!!

岩屋神社(見晴岩からの眺め) 岩屋神社(基準点)

写真:左=見晴岩からは、「竹地区の棚田」が一望できました!ヾ(*´▽`*)ノ

案内板より↓
標高差160mの急斜面と約11ヘクタールの土地には、石積みの棚田が約400枚と24戸の集落が広がる日本の原風景に立ち返ったようなのどかな景色。
「竹地区の棚田及び岩屋神社などの山岳信仰遺跡群」は「日本棚田百選」や「美しい日本の歴史的風土100選/準100選」にも選定されています。

写真:右=基準点に写るわたし♪

岩屋神社(見晴岩からの眺め) 岩屋神社(烏帽子岩)

案内板より↓
岩屋山内に林立する奇岩は天から神が降りてくる依代(よりしろ)・目印で「陽」を、また窟は他界への入口・神仏の母胎内で「陰」を現し、奇岩と窟とで陰陽が一体となった、神仏が降臨する神聖な場所として考えられており、山伏たちは、この宝珠山窟に籠り、神仏と一体化するため断食・瞑想・読経などの荒行を行っていました。

写真:右=さっき通って来た烏帽子岩。上から見ると凄いな!

岩屋神社(鎖場) 岩屋神社(鎖場)

眺めを堪能したら、見晴岩を降りて登って・・・鎖場に次ぐ鎖場。

岩屋神社(道標) 岩屋神社(鶯窟)

写真:左=要所要所に、こうした道標があるので心強いです。
写真:右=鶯窟。こちらは特に“何か”を感じる場所でした。

岩屋神社(お大師様) 岩屋神社(舟玉地蔵)

写真:左=岩肌をくり抜いた穴に、お大師様が鎮座しておりました。
写真:右=舟岩には、舟玉地蔵。

岩屋神社(修験道) 岩屋神社(舟岩)

そろそろ佳境だと思われるのですが・・・この先は行けるのか?

後編へ続く!

岩屋まつり(東峰見聞録|東峰村観光情報サイト)

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年07月02日【出羽三山神社
・2011年11月04日【筑波山
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2014年05月18日【多氣山不動尊・大火渡り祭
・2015年01月15日【樹齢約200〜600年の巨木群・行者杉
・2015年04月18日【筑前岩屋駅前の釈迦岳湧水
・2015年04月19日【彦山山岳修行の第3窟・岩屋神社
・2016年02月16日【巨木を訪ねて〜津江神社の樟(クス)
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2016年06月06日【白山比め神社と弘法池

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2017年04月14日

山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(後編)

2017年04月13日【山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(前編)】つづき
※訪れたのは4月9日です

山岳信仰の地、福岡県東峰村の岩屋神社を訪れ、修験道を奥之院まで向かって鎖場に続く鎖場を行くこと約2時間・・・そろそろ、奥之院ではないかと思いながら、どうも行き止まりっぽい雰囲気で不安になり、道を間違えたかなと振り返ると・・・

岩屋神社(奥の院) 岩屋神社(奥の院)

ありました! 奥の院!ヾ(*´▽`*)ノ

岩屋神社(十三仏と奥の院) 岩屋神社(木の幹に落書き)

写真:左=十三仏
写真:右=すぐそばの木。幹を削って文字(名前?)が刻まれています。
これって、いわゆる落書き!? なんというバチあたりな!

この手前までは後続の人の声が聞こえていたのですが、一人で参拝したかったから「追いつかれる前に辿り着かなきゃ!」と焦っていたので喜びもひとしお。
お参りして写真を撮らせていただいて、しばし感慨にふけっていたのですが、ついぞ後続のグループが来ることはなく。どうやら鶯窟かお大師様を奥之院と勘違いしたか、時間的に諦めて降りられたようです。

前編に載せていた案内板「岩屋公園マップ」を見る限り、位置関係がちょっとズレているから勘違いするのも無理はないと思います。
−−−とか言って、もしかしたら自分も勘違いしてるかも(´▽`;)
間違っていたら、すみません!!!

岩屋神社(鎖場) 岩屋神社(立会地蔵と不動明王)

写真:左=さぁ、また急な石段を鎖を頼りに降ります。雨上がりだから、滑るんです(;つД`)
写真:右=あまり怖くない、ユーモラスな不動明王さまと、立会地蔵。
2年越しの念願叶って、無事に踏破してきましたよー!ヾ(*´▽`*)ノ

この時点で法螺貝や太鼓の音が聞こえて来て、護摩行が始まってしまいましたが、行≠止める訳にはいきません!

岩屋神社(大日社へ) 岩屋神社(大日社)

ラスト、大日社へ。何度目かの急な石段! ひぃ〜〜〜〜

案内板より↓
鎌倉時代半ばの記録「彦山流記(ひこさんるき)」には、彦山四十九窟の第三窟・宝珠山窟として記録されており、五間四面(一辺が五間で四方に庇が付く・一辺約12m)の大日堂があり、丈六(約3m)の大日如来などが祀られていて、行者は必ず宝珠石に祈るようにと記されていました。

室町時代に彦山から宝満山の尾根筋を踏破する入峰(にゅうぶ)修行が確立されると、玉置(玉来)宿として修行の重要拠点の一つとされました。
戦国時代初期の文明年間(1469〜1486)には、岩屋六坊(いわやろくぼう)とも呼ばれ、多くの堂社が建ち並び祭祀も盛んでしたが、戦国時代末の永禄(1558〜1570)〜天正(1573〜1592)年間には、豊後の大友宗麟と彦山座主(ざす/住職最上位の別称)家との確執から、大友軍により焼き討ちされ荒廃しました。

江戸時代初めには堂社の再建も始まり、彦山末を離れ、聖護院(しょうごいん)末の宝満山の末寺となります。
元禄11(1698)年には、四代福岡藩主 黒田綱政によって現在の本殿が再興されました。
しかし明治初年の神仏分離令・修験道禁止令・廃仏毀釈運動により衰退し、岩屋神社として再出発、2005〜2006年に本殿の解体・復元工事が行われました。

岩屋神社(行者の列) 岩屋神社(行者の列)

大日社から降りたら、ちょうど行者さんたちの列が! タイミングに恵まれました。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

護摩 - Wikipedia より
修験道で野外において修される伝統的な護摩法要を、柴燈・採燈(灯)(さいとう)護摩という。日本の伝統的な二大修験道流派である真言系当山派では、山中で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたために「柴燈」と称する一方、同じく伝統流派である天台系本山派では、真言系当山派の柴燈から採火して護摩を修するようになったため「採燈」と称する。

近年では、伝統的な本山派・当山派の流派には属さない寺社、また、分派、独立した宗団や密教系新宗教などでも、独自の方法と解釈により「斉燈護摩」(真如苑真澄寺)や「大柴燈護摩供」(阿含宗)、「お火焚き」「火祭り」などの別称を用いて実施されている。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

写真:左=四方を弓で射る儀式。この弓は拾って持ち帰っていいようで、破魔矢と同じ意味があるようです。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

ついに火が点けられました。ものすごい煙がもうもうと立ちこめます。
同時に、周りの行者さんたちが一斉に真言を唱え始めました。

そう言えば、法螺貝が鳴り響くと周りのカエルも一斉に鳴きだすんですよ!
音に呼応してるんですかね?

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

写真:左=大僧正?が護摩木をくべはじめます。
写真:右=中心に立てられていた五色の御幣は、途中で取り出されました。

この護摩供養がはじまる直前に、四方を囲っていた御幣を参拝者が勝手に取って行ってて「ひどいなぁ」と思っていたら、これは持って帰っていいのだそうです!
玄関などに魔除けとして飾っておいて、来年の岩屋まつりの日にお返しするのが倣いだとか。
最後に、この中心に立っていた御幣も、祭壇の五色(五本)の御幣も、みんなそれぞれ早い者順で持ち帰られました。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

炎は上昇気流を巻き起こし、煙が渦を巻きながら天に昇る様は圧巻でした。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

護摩木をくべ終え、燃え尽くされた頃合いを見て、檀が崩されます。
両脇に丸太を避けて中心に道を開け、炎を叩いて鎮火させ、いよいよ火渡りの準備です。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

実際に火渡りを見たのは「多氣山不動尊・大火渡り祭」が最初で、今回は2度目なのですが、大僧正がアッサリ渡っちゃって「あれっ!?(°°;)」
写真を撮る間もなかった・・・。多氣山不動尊の時は、巨大な護摩木を抱え「エイヤー!!!」氣合とともに走り抜けたので、そういうものだとインプリンティングしてしまっていました。

その後も、みなさん慣れた様子で次々と火渡り。
小さなお子様は行者さんに抱かれて、足下がおぼつかないようなお年寄りも手を引かれて歩いていました。
宝珠山地区の方々にとって、岩屋まつりは1年の無事を祈る、なくてはならない行事のひとつなのでしょうね。

護摩・火渡りには、浄火により煩悩を焼き尽くし災厄を祓うという意味があります。
今回も火渡りはしなかったのですが・・・どこかで三度目の正直となるか?(≧∇≦)

岩屋神社では、7月下旬の日曜日には夏祭り「ヨド(夜渡)」、10月19日には秋季大祭「オクンチ」が行われます。
機会があれば是非、訪れてみてください。

岩屋まつり(東峰見聞録|東峰村観光情報サイト)

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年07月02日【出羽三山神社
・2011年11月04日【筑波山
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2014年05月18日【多氣山不動尊・大火渡り祭
・2015年01月15日【樹齢約200〜600年の巨木群・行者杉
・2015年04月18日【筑前岩屋駅前の釈迦岳湧水
・2015年04月19日【彦山山岳修行の第3窟・岩屋神社
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2017年05月11日

古墳めぐり〜福岡・八女丘陵古墳群(前編)

約2ヶ月ぶりの再訪となった【岩戸山古墳】、今回(2017年04月04日)はKさんと同行!\(^o^)/

岩戸山古墳(1) 岩戸山古墳(2)

古墳周辺の様子や【八女市岩戸山歴史交流館 いわいの郷】(入館無料)館内については前回の記事(2017年02月14日【岩戸山古墳】)を参照していただくとして、今回は北側に位置する【吉田大神宮】をメインにご紹介します。

岩戸山古墳(大神宮/1) 岩戸山古墳(大神宮/2)

4月初旬といえば例年なら満開もしくは散り始めの頃ですが、今年の桜は遅くて咲き始め。
鳥居から参道にかけて、お花見ができるようです。トイレもありました。(綺麗とは言い難い)

岩戸山古墳(大神宮/3) 岩戸山古墳(大神宮/4)

ずら−−−っと石仏が並んでいました!
昔は神仏習合だったのでしょうね。おそらく八十八ヶ所廻り風に古墳の周りに点々と置かれていたものを、ここに集めたのではないでしょうか。

岩戸山古墳(大神宮/5) 岩戸山古墳(大神宮/6)

こちらが吉田大神宮。見事な玉石積みの石垣!
こうした丸石の石積みは八女近郊でよく見かけます。(2017年01月19日【夜明という名の地区を守る志賀神社】など)

岩戸山古墳 - Wikipedia によると、現在は墳丘脇に鎮座していますが、古くは後円部墳頂に鎮座していたらしいです。古くっていつだろう??

岩戸山古墳(大神宮/7) 岩戸山古墳(大神宮/8)

後円部へ登って行くと、奥宮っぽいお社があり、そのお宮を正面に見て右側の墳頂には、クロキがご神木のように玉垣で囲われていました。
石碑には「大神宮■跡」の文字。なんて読むのか分からないけど、たぶんここが大神宮がもとあった場所ですね。古墳(筑紫君磐井墓)後円部墳頂だから、それはちょっとマズイんじゃないか〜って遷座したのかも。

この大神宮についての記述がなかなか見つからなくてネット検索していたら、福岡県八女にまつわる歴史、人物伝などを書いていらっしゃるブログがヒットしましたので、興味のある方はそちらをご参照ください。
善知鳥吉左の八女夜話〜夜話 788 岩戸山の大神宮奉納の歌巻〜
蛇足ですが、個人的に凄い人を見つけてしまった気持ちです(笑)


石人山古墳(1) 石人山古墳(2)

資料館で「八女丘陵古墳マップ」をいただき、続いては【石人山古墳】(国指定史跡)へ。岩戸山古墳の西側、直線距離で約4kmといったところです。
【広川町古墳公園資料館(こふんピア広川)】も入館無料!

石人山古墳 - Wikipedia

石人山古墳(3) 石人山古墳(4)

出土した様々な遺物、四獣鏡や銀象嵌柄頭、土器などが展示されています。
ゆっくり鑑賞し、いざ古墳へ。

石人山古墳(5) 石人山古墳(6)

紙垂(しで)が張られ「石人社」と木版を掲げた、物々しい雰囲気のコンクリ製の小屋には、武装石人が立っていました。
高さ約1.8m、三角板短甲と草摺をつけ、左脇には石刀を帯びるための抉り込みが見られます。
風化が激しいけど、その佇まいは堂々とした風格を放っています。

どうしてここまで風化したのかというと、その昔、手足や腰、肩などに痛みがある人が石人の同じ所を撫でると治ると信じられていたためなのだそうです。

【石人山古墳】の名は、この石人から名づけられたものです。この後に紹介する家型石棺から名づけられてもおかしくないのに、どこか頼もしさを感じる石人の存在感、また人々の信仰心が勝ったのでしょうか。
石人からは、誇らしげな氣が漂っています。

石人山古墳(7) 石人山古墳(8)

いよいよ、最古期の装飾古墳として名高い家型石棺へ。

写真:左=建物内部。石室は江戸時代に開口され天井部は失われたため、こうして補強してあります。
ドーム型の屋根の上の方に、落書きが!(相合い傘・・・)

写真:右=温度/湿度を計測する機械が置かれていました。

石人山古墳(9) 石人山古墳(10)

鉄格子の影が映ってしまうのが残念・・・。
とても立派な家型石棺には、直弧文や重圏文のレリーフがはっきりと残っています。よく見ると、色彩もうっすらと確認できます。

この石棺は、筑紫君磐井の祖父の墓と推定されていますが、果たして真相は?
そして筑紫君磐井の父は?

石人山古墳(11) 石人山古墳(桜)

写真:左=古墳の前方部から西へまっすぐ延びる道。この道はどこまで続くのか?Kさんと顔を見合わせて「やめておこう」(笑)

写真:右=石人山古墳周辺の桜は、ちょうど見頃でした! 誰も花見に来ないなんて〜穴場かも( ´艸`)

勾玉づくり

資料館で、Kさんが「勾玉づくりセット」を買ってくれました〜ヾ(*´▽`*)ノ
大500円、小300円。大はホントに大きくて直径6〜7cmはあったので、小さい方にしました。

ピンク色の方は、新潟県の胎内にある資料館で買ったもの。(2012年06月22日【道の駅『胎内』を満喫】)
まだ磨いている途中で放置してたのを思い出して(笑)一緒に磨きました。
石の名前は忘れてしまったけど、けっこう柔らかくて磨きやすいし楽しかったですよ♪

弘化谷古墳(1) 弘化谷古墳(2)

【弘化谷(こうかだに)古墳】は、石人山古墳から歩いて行けなくはない距離です。さっきの真っすぐな道は西側に延びていましたが、ここは東側なので反対側です。こちらにも駐車場とトイレがあります。

弘化谷古墳は円墳で、彩色壁画と彫刻文様が鮮やかに残っていることでも有名。もちろん国指定史跡。
1970年、果樹園造成中に偶然発見されたそうです。最近じゃないですか!

弘化谷古墳(3)

4月9日に内部公開だったのですが・・・わたしもKさんも予定があって、再訪は断念しました(T_T)
広川町古墳公園資料館にあったレプリカで我慢。

埋葬施設はやや胴張りのある横穴式石室で、片岩の割石が積み上げられ、内部には埋葬者を安置する石屋形が設置されていた。石屋形の奥壁や側壁には赤や緑色で円文・同心円文・三角文・双脚輪状文・靫が描かれている。古墳発見時に石室の3分の1は破壊されてしまったが、後に復元整備され、保存施設が建てられ壁画が保護されている。

注目されるのは、文様の中に「双脚輪状文」が存在することである。この文様は全国でも4例しか確認されておらず、非常に地域色の強いものである。また、同じく肥後系の内部施設である石屋形の存在も併せて、本古墳の被葬者と肥後地方との強い関わりが考えられる。

弘化谷古墳が造営された時期は、石室が単室であるなどの特徴から、八女市の丸山塚古墳よりもやや先行する6世紀中頃と推定されている。

弘化谷古墳 - Wikipediaより)


Kさんとの史跡めぐりは次がラスト、八女古墳群 後編です。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2017年02月14日【岩戸山古墳
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり
・2017年03月23日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(前編)
・2017年03月25日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(後編)
・2017年04月08日【熊本県内装飾古墳 春の一斉公開


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2017年05月12日

古墳めぐり〜福岡・八女丘陵古墳群(後編)

古墳に興味のない方もいると思いますが(笑)後編です!
わたし自身、そんな古墳マニアというわけではないし見聞きしたことを忘れちゃったりもします。
歴史を感じる、確かに古代の人たちがここで営んでいたんだという遺跡、それを目の当たりにすると連綿と受け継がれて来た、繋がっているんだという実感が湧くのが好きなんです。
「へ〜、こんなとこがあるんだな」という足がかりになれれば幸いです。

丸山塚古墳(1) 丸山塚古墳(2)

国指定史跡/円墳【丸山塚古墳】(GoogleMap
公園として綺麗に整備されていて、駐車場とトイレもあります。しかも周囲には桜が植えられていて絶好のお花見スポットです!(主旨が変わった/笑)

埋葬施設は両袖型横穴式石室で、全長8mを測り南に開口する。
乗場古墳と同様、前室と後室に分かれた複室構造で、腰石に大きな石材を用い、上部には扁平の石材を用い割石積みをし、ドーム状に積み上げている。
また、奥壁や玄室・前室の袖石には赤・黄・緑の三色により三角文・円文・蕨手文が描かれている。
石室は保存のため調査後に埋め戻され、現在入ることは出来ません。

丸山塚古墳 (八女市) - Wikipedia

善蔵塚古墳(1) 善蔵塚古墳(2)

国指定史跡/前方後円墳【善蔵塚古墳】(GoogleMap)駐車場もトイレもなし。

老人ホームの隣に位置する、一見、何の変哲もない“小高い丘”なんですが、八女古墳群における有力古墳であり、岩戸山古墳、石人山古墳に次ぎ第3位の規模。
墳長約95m、前方部を西に向け、後円部二段、後円部二段に築成されています。

表採された円筒埴輪などから、六世紀前半から中頃に造営されたと考えられています。
今でも探せば円筒埴輪の欠片が見つかりますよ。

善蔵塚古墳 - Wikipedia

乗場古墳(1) 乗場古墳(2)

国指定史跡/前方後円墳【乗場古墳】(GoogleMap
福島高校の目の前にあります。駐車場もトイレもなし。

江戸時代、久留米藩の学者であった矢野一貞が著した「筑後将士軍談」の中に「吉田村奈良山」の名で登場し、石人残欠が存在していたこと、岩戸山古墳同様に周濠・周堤があったことが記されています。

後円部の南側には複室構造の横穴式石室入口があり、室内部には赤・黄・青の3色を使った三角文や同心円文などの文様が描かれていますが、保護のため現在は閉鎖されて中を見ることはできません。

乗場古墳 - Wikipedia

茶臼塚古墳(1) 茶臼塚古墳(2)

国指定史跡/円墳【茶臼塚古墳】(GoogleMap

ここも空き地と見まごう“小高い丘”。駐車場もトイレもなし。でも国指定史跡!

周囲の様子から周濠・周堤が存在した可能性もあるけど、はっきりしないうえに盗掘が激しく、墳丘中央部が陥没しており内部主体は不明。横穴式石室であったと考えられています。

茶臼塚古墳 (八女市) - Wikipedia

鶴見山古墳(1) 鶴見山古墳(2)

前方後円墳【鶴見山古墳】(GoogleMap
駐車場もトイレもなし。農道っぽい狭い道筋にあり、看板も目立たないため気づきにくいです。

鶴見山古墳が造営されたのは、出土品や石室構造から6世紀中頃と考えられています。
この時期は筑紫君磐井の次世代に当たり、被葬者は磐井の子「葛子」である可能性があるらしい。乗場古墳にも葛子の墓説が書いてあったな。
ここから出土した武装石人は国の重要文化財に指定されています。

鶴見山古墳 - Wikipedia

鶴見山古墳(3) 鶴見山古墳(4)

鶴見山古墳の天井石は江戸時代に抜き取られ、現在は八女公園内に戦没者慰霊碑として残されているらしい。
なんというリサイクル。

古墳の前方部は梨園として削り取られてしまっていました。国指定史跡じゃないからというのもあるけど、こういうのは、よくある光景です。
今、生きてる人間の方が大事。こんな遺跡でメシが食えるか!ってね。それはそれで、歴史の一部でもあります。

でも、ちゃんと整備する方がいるから、こうして形がわかるんですよね。じゃなきゃ、雑草やら竹やら木が生えちゃったりして埋もれてしまいます。
名が知れていないであろう古墳をわざわざ見に来るという人は珍しいようで、近くで作業していた方が「あそこは見たか?」「道が狭いから気をつけてな」など、親切にしてくれました。

八女古墳群自然遊歩道案内板 八女古墳群自然遊歩道?

写真:左=こんな立派な案内板があるのに、それらしき古墳がまったく見当たらない。看板は、これ1つ。

周辺は、春真っ盛りの長閑(のどか)な風景。地形や巨木などを見て「あのへんか?」と思うけど、人様の農地を横切るわけにはいかない。白い花を咲かせているのは梨かな?

八女古墳群自然遊歩道はオルレのコースになっているようで、目印のリボンが小枝に下がっていたりするんだけど、古墳に辿り着かない。
「あの木があやしいな」「あやしい!」「う〜ん、違ったか」などと、コントみたいなやりとりをしながら探し歩く(笑)

釘崎古墳(1) 釘崎古墳(2)

少し高いところにお宮のようなものがあり、ひょっとして?と登っていくと・・・どうやらビンゴ!?
これが釘崎4号墳かな?

この石碑には梵字のようなものが刻まれていますが、元は石棺の蓋かも知れません。
床には変わった形の瓦が保管?されていて、神社かお寺があったものと想像されます。お宮の脇に庚申塔も建っていました。

でも看板が何も建ってなかったので、違うのかも(´Д`;)

一念寺 遊歩道?

写真:左=赤穂四十七士のひとり、寺坂吉右衛門の墓がある一念寺。

地図を見ながら、次の釘崎古墳を探すものの、まったくどこだか分からずウロウロ。道を聞こうにも、誰にも会わないし。
頼りは【八女市岩戸山歴史交流館 いわいの郷】でもらった八女丘陵古墳マップただひとつ!

釘崎古墳(3) 釘崎古墳(4)

「あそこ、ちょっと丘になっててあやしいな」
「あの木もあやしいですね」(木があやしいって・・・)

そこへ続く道がなくて、あっちから、こっちからと攻めて行くものの最終的にはヤブをかき分け進み・・・
前日は雨だったので滑りやすく、わたしもKさんも転んでしまい泥だらけに(;つД`)

「あっ! やっぱり、ここが古墳だ!」

たぶん【釘崎1号墳】。看板はありません。当然?WikipediaもGoogleMapにも載ってません。

豊福地区に所在する、円墳8基・前方後円墳4基からなる古墳群です。八女古墳群中、最も前方後円墳が密集している古墳群で1号墳、2号墳、3号墳(現在は消滅)はこれまでに発掘調査が行われています。
3号古墳からは鏡や太刀、馬具と共に多量の鉄鏃(鉄の矢じり)が出土しており、被葬者は武人的性格の強い人物であったと想像できます。
11号古墳(円墳)は赤色の円文(丸い紋様)をもつ装飾古墳であることが確認されています。

釘崎古墳群/八女市ホームページより

他の●号古墳もまったく見つからなかったんだけど、位置的に「あそこかな?」という場所がありました。たぶん丘を削って平らにして畑にしてしまったのではないでしょうか。

立山山20号古墳(1) 立山山20号古墳(2)

立山山古墳群のひとつ、【立山山20号古墳(尾崎古墳)】(GoogleMap

誤字ではありません、たてやまやま古墳。駐車場もトイレもなし。

写真:左=来てみてビックリ、人様の家の真っ隣! この道路も古墳を削ってできたと思われます。かつては右側の竹林と繋がっていた模様。円墳なのかな。

「これは、登れんな〜」と残念そうなKさん。
古墳=お墓なので丘の上に登るのには抵抗があったんだけど、Kさんと古墳を廻っていて思ったのはどうやら古墳は登ってみないと見えないものがあるようだ。

写真:右=回り込んでみたら階段があった!

立山山20号古墳(3) 立山山20号古墳(4)

写真:左=古墳からの眺め。道路から見た限りでは、そう高くもないんだけど登ってみると遠くまで見渡せます。そして、今まで見て来た古墳との位置関係もよく判ります。

写真:右=登って来た石段、文字が刻まれてる。もしかして〜・・・墓石!?
逆さまだったりして文字を読むのは困難でしたが、神社やお寺の玉垣とか石碑とかかな。
石を運ぶのは大仕事だし四角に加工するのも大変だから、こうした再利用はよくあることなんだそうです。

丸山古墳(1) 丸山古墳(2)

立山山古墳群のひとつ、国指定史跡/立山山1号墳【丸山古墳】(GoogleMap

公園として整備されています。駐車場とトイレあり。休憩所(東屋)もあります。

八女古墳群の最も東に位置する、墳丘長約55mの前方後円墳。
墳丘西側からは墓前祭祀に伴う須恵器の一群が出土し、その形成から5世紀末から6世紀初頭頃の古墳と考えられます。古墳の北側には立山山古墳群が展開していて、8号墳からはほぼ純金製の金製垂飾付耳飾が出土しています。

丸山古墳/八女市ホームページ

丸山古墳(4) 丸山古墳(3)

写真:左=この奥は納骨堂が建てられていて、やっぱり削られていました。
写真:右=古墳だらけ。地図を見て探してみたんですが、きちんと保存されていないようで見つけるのは困難。
時間も押し迫って来たので次へ急ぐことにしました。

前回、この後編でラストって書いたけど、入りきれませんでした!
次こそラスト、童男山古墳です。


撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
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2017年05月15日

童男山古墳群と徐福の謎

Kさんとの史跡・古墳めぐり、今期ラストは福岡県指定史跡【童男山(どうなんざん)古墳群】です。
八女丘陵古墳群の東端にあたります。Kさんも童男山古墳は初訪問。

童男山古墳(1) 童男山古墳(2)

写真:左=予備知識もないままナビ任せで童男山古墳に到着。時刻は16時過ぎ、気が焦ってます。
写真:右=真っ先に目に入った童男山12号古墳。敷地内の配置なども分かっていなかったので、手当たり次第という感じで見学。

童男山古墳(3) 童男山古墳(4)

写真:左=童男山13号古墳。
写真:右=石室の中が見られるんです! 童男山古墳はオープンな古墳ばかりでテンション上がる!\(^o^)/

童男山古墳(徐福1) 童男山古墳(徐福2)

「何でここに徐福(じょふく)の像が?」
中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士(方術に秀でた者・学者)。
司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。

徐福 - Wikipedia

八女に残る伝説では、徐福一行は暴風雨にあい難破、この地に流れ着きました。村人たちが枯れ木や落ち葉をふすべて(焚いて)介抱しましたが、徐福は村人に感謝しながら息をひきとったといわれています。
この故事にもとづき、徐福の命日とされる1月20日に、徐福を温めた焚き火を再現する「童男山ふすべ」が行われています(江戸時代にはじまったそうです)。
童男山ふすべ - 八女市ホームページ

童男山古墳(5) 童男山古墳(6)

童男山古墳はいくつもの古墳の総称であり、敷地がかなり広いので「またしても仕切り直して来なきゃいけないのか」と、Kさんと駐車場に戻ることにしました。
ただ戻るのは面白くないので、中央にあたる場所、公園か展望所かなと思いながら、そこを通って行くことに。

童男山古墳(7) 童男山古墳(8)

写真:左=そこかしこに意味ありげな石柱がゴロゴロ横たわっています。
写真:右=ん? ガラス張りの天板? ここにも古墳があるみたい。

童男山古墳(9) 童男山古墳(10)

歴史がありそうな祠や、石づくりの五重塔など、時代を超えて信仰の場でありつづけてきたのだろうと想像できます。

童男山古墳(11) 童男山古墳(12)

そして現れたのは巨大な古墳! 今まで見てきた、どの石室よりも荘厳すぎる巨石でできています!
これが童男山1号古墳!!

石室の全長は18mで、すでに羨道部(せんどうぶ)の大半を失っています。
主体部は複室の横穴式石室。玄室には奥壁に接して凝灰岩でつくられた巨大な石屋形があり、くり抜きの石棺が置かれています。また、左右壁に接しても、くり抜きの石棺が置かれていたと思われ、左壁側のみが現存しています。
石室構造などから、6世紀後半〜末頃のものと推定されています。

童男山古墳(13) 童男山古墳(14)

↓案内板より
童男山古墳群は、県指定史跡「童男山古墳(1号墳)」を中心として周囲に所在する古墳群である。
古墳群は大きく分けて三つのグループがあり、1号墳の東側屋根に13基、1号墳から南にのびる屋根上に9基、西側の浅い谷をはさんだ屋根に5基と、現在まで27基を確認している。
古墳はいずれも円墳で、内部主体は複室(ふくしつ)構造の横穴式石室が多い。
童男山古墳群の特色として、内部施設に石屋形・石棚・棺床(かんしょう)・石棺などが多いことが注目されている。

童男山古墳(15) 童男山古墳(16)

古墳はすでに江戸時代から開口していたことが、久留米藩士であった矢野一貞 著「筑後将士軍談」の記載などからも知られていました。このため出土遺物はありません。

地元では古来から、徐福の墓という伝承により旅の安全祈願の対象になっています。
また一方で、童男山(とうなさん)という名称から耳の神様としても祀られてきたのだそうです。

「童男山ふすべ」は、ここで行われます。
徐福の乗ってきた船が童男山古墳の石棺になったという伝説もあるそうですが、古墳の建造が6世紀後半頃とすると、徐福の時代から1000年近くも後ということになります。

童男山古墳(17) 童男山古墳(18)

写真:左=1号墳の丘を降りるところ。何故かこの広場?にも巨石のベンチがありました。
写真:右=広場から1号墳を振り返る。下から見ると、展望所しか見えない。ここに1号墳があるとは思わなかった。

童男山古墳(19) 童男山古墳(20)

駐車場に向かう途中に2号墳。ここも中が見られます。
しかし前室はまだしも後室(玄室)まで立ち入る勇気はない・・・。やっぱり何となく、怖いと感じてしまう(´Д`;)

童男山古墳(21) 童男山古墳(22)

続いて3号墳も。どれも石がすごく立派! どうやって運んだんだろう?
古代にどのような技術があったのか、空想が膨らみます。

それにしても、古墳にツツジを植えなくてもいいのになぁ(´・ω・`)

童男山古墳(23) 童男山古墳(24)

写真:左=3号墳の石室は、前室の屋根?に隙間が空いてました。石がどっかいっちゃったのか?
写真:右=その空いてる部分の後ろの屋根石、ま、まさか割れてるの???

童男山古墳群は確認されているだけでも27基あり、消失したものもありますが内部を見学できるものが10基近くあるので、じっくり見学していたら1日かかりそうです。

これだけの規模なのに、公式サイトが【童男山古墳/八女市ホームページ】しかないようで、中身が薄っす〜〜〜いのがとても残念。Wikipediaにも記事がないし。
各号墳ごとに詳細を書いてほしいなぁ。

撮影:Nikon COOLPIX P900



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2017年12月09日

邪馬台国のロマンがひそむ八女津媛神社

年末恒例となったリースづくりに必要な材料を探しに、菊池〜鯛生金山〜八女(旧矢部村)と、ドライブしてきました。
矢部には毎年何回か行くのですが、久しぶりに八女津媛(やめつひめ)神社へも参拝してきました♪

要所要所に看板が建っているものの5年ぶり2度目の訪問で、こんなに奥まってたっけ?と不安に…(^_^;
山深い集落の奥地に、ひっそりと、しかし悠然と鎮座しています。

八女津媛神社 権現杉 八女津媛神社 権現杉

ご神木『権現杉』は樹齢700年とも言われ、樹高約45m、幹周り約6mを誇ります。天然記念物に指定されており、現在は根元を保護すべく木道でぐるりと囲われています。

八女津媛神社 八女津媛神社 神の窟

八女津媛神社の右側に広がる岩室は神の窟(かみのいわや)と呼ばれ、そこから周辺の地区名も【神窟】となっています。

【日本書紀】によると、景行天皇(日本武尊の父)が八女に巡幸されたとき「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい、あの山に誰か住んでいるか」と尋ねられました。
水沼の県主(あがたぬし)猿大海(さるのおおあま)が「山中に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にいる」と答えたことから「八女」の地名がついたと伝えられています。

この八女津媛を祀っているのが八女津媛神社で、創建は養老3年(719)。日本書紀完成の1年前、つまり日本書紀編纂中です。
もしかしたら「日本書紀を読んで神の窟を見に来る人がいるかも知れないから神社を建てようぜ!」ってなったのかな(笑)

古墳時代までは各地の豪族が治める土地を『クニ』と呼び、八女津媛はこの一帯(クニ)の女首長であり、この窟の下で祭祀や政(まつりごと)をしていたと考えられています。

本殿前に八女津媛の像が建っているのですが、何となく、個人的にコレジャナイ感じがします(^_^;
見たこともない人なんですけどね(笑)


県指定民俗無形文化財でもある【浮立(ふりゅう)】は五穀豊穣・無病息災などを祈願して5年ごとに奉納公開されます。次回は2019年11月第3日曜日に開催予定だそうです。もう平成≠ナはなくなってる年ですね。

矢部の民俗芸能 - 八女津媛神社の浮立(矢部村誌)
八女津媛神社の浮立/八女市ホームページ


撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)




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*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2012年04月13日【八女津媛(やめつひめ)神社
・2016年04月02日【やべ春まつり in 杣のさと
・2016年08月11日【鯛生金山 地底博物館

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2018年02月18日

久留米植木まつり〜帰り道は浮羽経由

だいーぶ前の話になってしまいましたが、2/9、毎年恒例【第13回 久留米植木まつり】を見に久留米百年公園へ行ってきました。

久留米植木まつり(2) 久留米植木まつり(1)

熊本の植木祭り・植木市(いち)と比べると規模が小さいし、お値段もちょっと張ります。我が家は、おとーさんが植木や山野草が好きなのでこうしたイベントやお店によく行くのですが、福岡や鹿児島あたりから熊本に買いに来ている人をよく見かけるのは、熊本の方が盛んだからでしょうね。

それでも、くまなく、よ〜く見てると掘り出し物があったりするのですが、今年は寒アヤメ(500円)だけ。たぶん出店料が高いんだろうな。年々、掘り出し物も減ってきました。

規模的には、4月から開催の【久留米つつじまつり】の方が大きいです。場所は同じく久留米百年公園。つつじがメインですが色んな植物が揃いますよ♪

白壁の町並み(1) 白壁の町並み(2)

行きは国道3号線を通って来たので、帰りは国道210号線で。うきは市吉井町【白壁の町並み】を通過します。よく通るルートなのですが、まだ一度もじっくりと町並みを見たことがありません。いつも通りすがりに「あー、しまった。時間あけておくんだった」と思うんですよね…。
最初から「ここに行くぞ!」と目指して来ないと時間が足りない(´・ω・`)

・【白壁の町並み】観光情報検索 - うきうきうきは | うきは市観光体験ホームページ

道の駅うきは(1) 道の駅うきは(2)

【白壁の町並み】から【道の駅うきは】までは約7km。帰り道の立ち寄り休憩ポイントです。

写真:左=新しい建物が完成間近でした!『ウキハコ』って書いてありました。ピクトグラムを見るとサイクルステーション&休憩所のようです。

写真:右=展望デッキ、第3駐車場の方に巨木があるのを知ってましたか? とっても雄大な佇まいです(´ω`*) 正面に『紀念之碑』という石碑が建っていますが、詳細不明です。

道の駅うきは(3) 道の駅うきは(4)

写真:左=復元された【野外円形劇場】の由来について書かれた案内板。

写真:右=「野天でもいいから、数千人が一堂に会されるものがほしい」という嫩葉(わかば)会の提案が受け入れられ、山春村あげての奉仕と浄財によって大正14年(1925)に建設されました。
観覧席から見下ろす位置に舞台があり、当時としては画期的な野外劇場でした。(案内板より抜粋)

↓こちらに詳しく載ってます
【西日本新聞】野外円形劇場よみがえる「道の駅うきは」敷地内 農民劇団育てた医師ら建設 [福岡県]

道の駅近くの清水湧水(清水寺)にもまだ行ってないし、これはまた1日かけて来ないとなぁ。
中途半端に近いと、こういう見落としを忘れがちです(;つД`)

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)




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*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2017年01月19日【夜明という名の地区を守る志賀神社
・2017年02月18日【久留米植木まつりと大刀洗公園
・2017年04月13日【山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(前編)
・2017年04月14日【山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(後編)
・2017年05月15日【童男山古墳群と徐福の謎


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2018年04月11日

英彦山大権現と銅の鳥居

先日の続きです。子どもの頃以来の訪問となる英彦山(ひこさん)、今回は下見です。

英彦山大権現マップ

英彦山大権現】周辺マップ。とっても広い!
おとーさんも久しぶりすぎて記憶が定かではなく、英彦山神宮に来るはずが間違ってしまいました(^_^;

英彦山大権現 鬼杉(1) 英彦山大権現 鬼杉(2)

英彦山大権現の近くに【鬼杉】という看板があったので山道を登ってみたのですが、水害の影響なのか通行止めになっていました。無念。

英彦山大権現(1) 英彦山大権現(2)

写真:左=明治元年に神仏分離令が発布され、英彦山大権現はいったん消滅してしまいましたが、昭和54年に再興されたそうです。妙に新しいなと思ったら、そういう訳だったのですね。

写真:右=江戸時代の山伏のお墓も残されていました。

英彦山大権現(3) 英彦山大権現(4)

写真:左=【信仰と庭園】をテーマに造られているらしく、境内は日本庭園風に綺麗に整備されていました。鐘楼や慈母観音、白寿観音像なども建立されています。

写真:右=巨岩を背に建つ御社。白い点は雪なんです。風も強くて、寒かった〜!
本当は、もっとゆっくり見て廻りたかったのですが断念…。
湯の谷別院の不動明王や龍神さま、英彦山神宮にはまた次回きっと…!!

英彦山大権現 銅の鳥居(1) 英彦山大権現 銅の鳥居(2)

写真:左=銅(かね)の鳥居。説明板によると、寛永14年(1637)佐賀藩主 鍋島勝茂の寄進により建てられたもので、高さ7m、柱の周囲は3m余りもある胴の太い青銅製の鳥居です。
「英彦山」の額は享保19年(1734)に霊元法皇の勅命を受けてかけられたもので、この頃から「英彦山」と称されるようになったといわれています。

写真:右=霊泉寺。

英彦山大権現 銅の鳥居(3) 英彦山大権現 銅の鳥居(4)

写真:左=重厚で立派な額束
写真:右=鳥居の裏側は日輪

英彦山大権現 銅の鳥居(5) 英彦山大権現 銅の鳥居(6)

約400年も経っているとは思えないほど、文字もはっきり読み取れます。

次回は【英彦山温泉しゃくなげ荘】か【ひこさんホテル 和-なごみ-】で日帰り入浴もして、【英彦山スロープカー】にも乗って、トレッキングしよう!
道の駅【歓遊舎ひこさん】から約12kmくらいです。

撮影:Nikon COOLPIX P900




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*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2015年01月15日【樹齢約200〜600年の巨木群・行者杉
・2015年04月18日【筑前岩屋駅前の釈迦岳湧水】※現在は水害により立ち入り不可
・2015年04月19日【彦山山岳修行の第3窟・岩屋神社
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2017年04月13日【山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(前編)
・2017年04月14日【山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(後編)

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タグ:神社
posted by しう@SOTO at 23:27 | TrackBack(0) | 福岡

2018年04月12日

道の駅おおとう桜街道と出雲神社と松長龍神

旅の第1日目、福岡県の道の駅【おおとう桜街道】です。ここは温泉もあるし、内陸なのに物産館にお魚も販売してあるのでお気に入りです♪

おおとう桜街道 おおとう桜街道(菜の花畑)

写真:左=道の駅おおとう桜街道
写真:右=菜の花畑が広がっていました!

おおとう桜街道(六本松橋) おおとう桜街道(英山川)

写真:左=道の駅の裏手? 赤い欄干の六本松橋を渡ると…
写真:右=さらさら流れる英山川

出雲神社(1) 出雲神社(説明板)

写真:左=出雲神社が鎮座しておりました。
写真:右=案内板。由緒はいまいち解らない…(^_^ゞ

出雲神社(3) 出雲神社(2)

出雲神社といえば、大黒様。そして因幡の白兎伝説♪

出雲神社(4) 出雲神社(5)

ご神木の夫婦杉に手を合わせると、永遠の愛を授かるらしい…! カップルでお参りすれば万全!?

出雲神社(行事)

直近では5月2日(水)10時より【神幸祭】が開催されます。

出雲神社と松長龍神 松長龍神(説明板)

写真:左=左奥に出雲神社、右側手前に松長龍神。
写真:右=松長龍神様にまつわる伝説、説明板によると、以下の通り。
この御祭神は松長龍神で出雲神社の末社として奉祀し、明治の中期、この地方が大水害に見舞われ英彦山川の堤防決壊にともない田面の流出などがありました。堤防は復旧されましたが流出した田面はやがて青々とした大きな水池となりました。その池は三井鉱山最盛期には水源地として大いに利用されましたが、鉱山の閉山にともない水もだんだん枯れてきておりましたところ、昭和55年に区民の総意により神社を創建することになり、地主の厚意による土地の寄進もあり、神社敷地として造成。昭和56年12月、御神体を鎮座申し上げたところ、この池に永年住みついていた主、すなわち龍神様が祭主信者に対し、この地に吾を祀れとのお告げがあり、祭主信者は松長龍神として社を建て斎し奉る。

松長龍神(龍観音菩薩) 松長龍神(龍観音菩薩 説明板)

龍観音菩薩 鎮座の由来 説明板より↓
ここに唱え奉る観音様は、龍観世音様です。医薬の観音様です。
この観音様は高い山の上に祀られています。車を降り、細く長い坂道を登るのです。
この観音様は、病める人、足腰が悪いためお参り祈願することができず苦労している人々を目下に見て、お助け救ってやりたいのです。
ここに観音様を祀るよう、ここの氏神様である出雲神社の御祭神である大国主命大神様にご相談し、大神様は氏子信者に祀るようお告げになりましたが、信者は足腰悪く年老いており、神社・松長龍神様のお手伝いが精一杯で観音様をお祀り致しましても手が行き届かずお粗末になりますとお言葉を返しました。しかし再度、大国主大神様よりお告げがありましたので、信者はお引き受けし、平成20年9月15日、龍観世音を鎮座申し上げお祀り致しました。

龍観音菩薩 かかえのお石様

不思議な力を持つという「かかえのお石様」も祀られていました。
説明板によると、
色々お尋ねしたい事あれば一心に祈願して自分の思いが叶うなら軽く、だめなら重くと抱えてください。また反対に思いが叶うなら重くだめなら軽くとお願いするとよくわかります。
とあります。

試しに何も考えずに持ってみたら、女性では持ち上げられないんじゃないかというくらいの重さを感じました。

いくつか願い事をして持ち上げてみましたが、確かに重さが変わるような気がします。 潜在意識が働くのでしょうか? ぜひ、お試しあれ!


撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)




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*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2011年10月08日【初訪問の道の駅・福岡
・2013年12月19日【道の駅おおとう桜街道のイルミネーション


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