

柳田國男著「遠野物語」で有名な遠野市を久しぶりに来訪。
(遠野物語 - Wikipedia)
実はわたしの地元・菊池市と遠野市は友好都市。
俗説によると菊池一族の一部が遠野に逃れ住んだといわれていて、今でも遠野市には「菊池姓」がものすごく多い。それで、何か史跡とか文献とかないのかな〜と観光課に聞いてみたのですが・・・結論から言えば、何もないと。
「菊池姓」も、明治期に戸籍が作られたときに、それまでの姓から菊池姓に変えた人もかなりいたらしい。まぁ落ち延びておいて堂々と「菊池」を名乗るのはリスキーだってのは分かるけど。どこかに家系図とか残ってないのかなぁ。
遠野市のホームページには、
熊本県菊池市の(当時)市長夫人が当市に縁があることを知り、平成6(1994)年6月2日に行われた全国市長会で遠野市長が熊本県菊池市長と対談したことをきっかけに両氏の交流が始まり、友好都市として調印。
とある。菊池一族、まったく関係なかった(爆)


案内図を見ていたら【倭文神社】の文字を発見。一昨年、鳥取の東郷湖近くの【倭文神社】にも参拝し、珍しい名前だから何かご縁があるのかな〜と行ってみることに。
ちなみに、こちらは「ひどり」と読みますが、あちらは「しとり」。
道が狭く駐車場もないので、ご近所の方にお願いして駐車させていただきました(-人-)


鳥居をくぐった時は雑草が生い茂って、ちょっと躊躇したのですが、境内は清々しい感じ♪
公式サイトはないのですが、個人サイト【倭文神社 (遠野) - 玄松子の記憶】に詳しく載っています。
(倭文神社 - Wikipedia)


とても立派な大杉。凍裂でしょうか? それにしても真横に割れるって珍しいような。

参拝後、クルマに戻ったら下ににゃんこが!「危ないよ〜」って声をかけたら、グルグル喉を鳴らしてスリスリ〜、ゴロゴロ〜。な、なんですかこの可愛い仔ちゃんは!。・。・°★・。・。☆・°・。・°(≧∇≦)。・。・°★・。・。☆・°・。・°
戯れてたら、また別のご近所さんが声をかけてくれて、いろんなお話を聞かせてくれました!
それはまたの機会に。


【カッパ淵駐車場】に停めて、てくてく歩いて【常堅寺(じょうけんじ)】へ向かいます。
道々、ホップ畑が広がっています。これが遠野ビールになるんですね! (´ω`*)


常堅寺は曹洞宗の寺院で、山号は蓮峰山。室町時代の延徳2年(1490年)4月、多聞秀守を開山として創建したとされる遠野郷十二ヶ寺の触頭です。
(常堅寺 - Wikipediaより)
写真:左=早地峰神社(旧妙泉寺)より明治初期に移された山門は八脚門。伝慈覚大師(円仁)作の仁王像があるのですが・・・。何と言うか・・・お顔がすごくお茶目なんです。んで、身体もどことなく固いというか・・・プラモデルみたいというか・・・(^o^;
(圓仁 - Wikipedia)


十王堂を護る【カッパ狛犬】は全国唯一。遠目には分からないけど、頭頂部にお皿を表す凹みがあります。
常堅寺の火事を消して狛犬になったという伝説に基づいているらしい。
倭文神社で出会った地元の方によると、カッパ2匹が火事を消そうとするのを、住職が「世の中を新しくするには古いものは燃やした方がいい」(というようなニュアンス)と止めた、という伝承も残っているんですって。


そういえば常堅寺の狛犬(左/吽)には角が生えてますが、それも珍しいような。
(狛犬 - Wikipedia)


ここが、かつてカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説がのこる【カッパ淵】。倭文神社で出会った方が子どもの頃(おそらく40〜50年くらい前)は、もっと鬱蒼としていて川も深く、いかにもカッパが棲んでいそうだったそう。灌漑であちこちに水を引いたので、今のように水かさが減ってしまったらしい。


【カッパ捕獲許可証】ってヾ(´▽`;)
「こんなんで釣られるか。カッパなめんなよ!」(笑)


カッパの神を祀った小さな祠。カッパの神は乳の神であり、乳児のある母親が母乳の出がよくなるように、赤い布で乳房を模したぬいぐるみのようなものが奉納されています。
(カッパ淵 - Wikipediaより)
この祠の中に、おじぃちゃんの写真が(Vサインしてる・笑)あるのですが、地元の方でしょうか? 「カッパじぃちゃん」とか呼ばれて生き字引的な?(笑)


また戻って、駐車場からすぐの【伝承園】(入場 大人320円)へ。
(伝承園 - Wikipedia)


遠野地方の民俗の伝承を紹介している。館内で流していたビデオ「むかしの暮らし」(NHKの番組?)に、ついつい見入ってしまった。タイトル撮り、昔の金ヶ崎の暮らしぶりを四季を追って紹介しています。30分くらいかな?


娘と馬の悲恋物語が、どうして【オシラサマ】に繋がるんだろ? と思ったら、『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は両親(あれ?母親はいなかったような?)の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったんだそうな。
(おしら様 - Wikipediaより)


遠野の倭文神社は「文殊様」と呼ばれて元は違う社名だったようですが、本来、倭文神社は機織り、ひいては養蚕の神様。ここで繋がりました。


個人的には、
・菊池家住宅 - 南部曲り家、国指定重要文化財。
・御蚕神堂 - 養蚕の神「オシラサマ」1000体が安置されている。
ここがツートップ。
ほか、
・佐々木喜善記念館
・水車/湯屋
・染工房/工芸館/公民館
など。そう広くはないです。
今度は早池峰山(はやちねさん)にも行きたいなー。かれこれ15年くらい行ってないや。
*過去ブログより*
・2012年05月26日 写真で綴る『倭文(しとり)神社』(鳥取)
・2007年09月13日遠野 常堅寺『カッパ淵』
撮影:Nikon D60/1枚目の道の駅のみスマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
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