2013年01月17日

天地元水神社

今日は1/9に見に行ったあの軽トラと軽バンを受け取りに行ってきました。
山小屋では雪が降り風も冷たかったので「明日にすれば?」って言ったんですが、山を下りたら晴れ間が覗き(笑)、めでたく大安吉日での納車と相成りました。

車検も済んで、整備もバッチリ、ピカピカに磨かれた車体は中古車とは思えません!
おとーさんの喜びようといったら子どもみたいです(笑)しばらくはご機嫌うきうき☆ わたしも嬉しいです(*^_^*)

天地元水神社(1) 天地元水神社(2)

購入先の自動車整備工場近くをマリリンとお散歩してたら、【天地元水神社(てんちげんすいじんじゃ)】を発見。珍しい名称ですよね。
菊池の歴史 略年表 No1】(菊池観光協会HP)にも載ってました。原地区というところにあります。

以下、案内板より↓
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天地元水神社の信仰とその由来

当社の由来は、橘諸兄の孫 島田丸の事蹟にあると伝えられる。
神護慶雲年間(765〜770年)、春日神が常陸国鹿島から奈良三笠山に飛来した。社殿造営の奉行 島田丸は九十九体の人形を駆使して職務を全うしたが、完工後に打ち捨てられた人形が河童となって害をなした。島田丸は称徳天皇の命でこれを鎮め、水神の祭を勅許されたという。

嘉禎3(1237)年に肥前長島荘総地頭職として入部した橘公業の嫡流である渋江氏が、氏神として同地で代々天地元水神社を奉斎していた。
隆盛を誇った渋江氏も、大永7(1527)年、第十三代の公勢の没後にわかに衰勢に向かう。第十五代公師の代には領地を奪われ、一族は各地に離散した。
公師の弟公重は永禄2(1559)年に潮見城で討ち死にするが、一子 公実(公成)が菊池にいて肥後渋江氏の鼻祖となった。
菊池西迫間に住んだ公実が、この地に天地元水神社を創建。息子 公通は、寛永11(1634)年、社ごと隈府横丁に転居した。現在地への移転は、明治31(1898)年の事である。

天地元水神社の信仰圏は広く、九州一円のみならず、中国・京阪神にも御札が配られていた。特に雨乞いの霊験はあらたかで、細川藩は時に盛大な祈祷を命じた。また藩公の参勤交代には神職が豊後鶴崎港まで同道して、航海の安全を祈願した。
水路の隧道掘削安全祈願や河童封じの守札が人々に嘱望されてきたのは、分けても意義深い民族事象である。


神奈川大学院歴史民族資料学研究科 教授 小馬 徹 謹書
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河童信仰のルーツを探る手がかりとなる(かも知れない)古文書がこの神社にあったことから小馬氏が訪ねてきて、にわかに注目を集めたらしいです。
当時の新聞記事がこちらに載ってます牛島稔太のホームページ

一見どこにでもあるような小さなお社なのですが、まさかこんな由緒があったとは!
前回クルマの試乗した時はサーっと通り過ぎて気づかなかった。お散歩してみるもんだ。

天地元水神社(3) 天地元水神社(4)

(左)石碑に何と刻まれているか、読めませんでした…。割と新しそう。
(右)神楽殿っぽい建物も隣接。水神祭は夏に執り行われるようです。

*参照*
音のある日本の風景 カッパ伝説神社〜祓太鼓(デジタル動画共有 - eyeVio)
河童伝説1240有余年・・水神祭(動画共有サイト:毎日動画)

ひょうすべ - Wikipedia

撮影:ケータイカメラ(DoCoMo SH-02A)


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posted by しう@SOTO at 23:33 | TrackBack(0) | 熊本県菊池市
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