2011年07月05日

盛岡市内を観光

Kさんによる盛りだくさんの盛岡観光を一気に振り返ります(笑;)

*啄木新婚の家(盛岡市中央通3-17-18) 見学無料

啄木新婚の家(1) 啄木新婚の家(2)

啄木新婚の家(3) 啄木新婚の家(4)

案内板より↓
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詩人石川啄木は、明治38年(1905)5月、東京で処女詩集「あこがれ」を出版しそれをみやげに帰郷の途についたが、金策の必要から途中仙台に下車して土井晩翠をその居に訪ねた。
仙台医学専門学校には郷友、猪狩見竜、小林茂雄らが在学中で、彼らと遊んで滞在すること10日におよんだ。
その間、盛岡市帷子小路八番戸の借家には月末の30日に結婚式を挙げるべく婚約者の掘合節子がその帰宅を待ちわびていた。しかし啄木は遂に姿を見せなかった。
そこでその夜級友上野宏一(画家)の晩酌で珍妙な「花婿のいない結婚式」がおこなわれた。それがこの家である。

仙台をたった啄木は盛岡駅を素通りして渋民に行き、ようやくこの家に顔を見せたのが6月4日だった。
ここではじめて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃って家庭をもったのである。時に啄木は20歳。
この家で稿を起こした随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙上をにぎわし、「我が四畳半」はよく新婚の夢あたたかな情景を描いている。
ほかに「妹よ」、「明滅」、「この心」の作がある。

啄木一家がここに在ること3週間、6月25日には中津川のほとり加賀野磧町四番戸に転居した。
現在盛岡市内の啄木遺跡といえるのは「啄木新婚の家」だけである。
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新婚の割にずいぶん大きな家に住んでたんだな〜と思ったら、5人で住んでたんですね。
しかも、あっと言う間に転居しちゃったんですね(笑)


*石割桜(盛岡市内丸9−1)

石割桜今回は見所多数ということで、車内から眺めただけの石割桜(笑;)
なんと盛岡地方裁判所の中にあるんです。
大昔に岩手山の噴火で落ちてきたと言われている巨大な花崗岩の割れ目から育った、直径約1.35m/樹齢360年を越える桜で、大正12年(1923)に国の天然記念物に指定されています。

ここは寛永年間頃に南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったとされていて、明治初期には桜雲石と呼ばれていたそうです。
家老の屋敷内の庭にあった巨石が落雷をうけてできた割れ目にエドヒガンザクラの種子が入り込み成長したという伝承も残っているんだとか。
石割桜 - Wikipediaの解説より)



*三ツ石神社(盛岡市名須川町2-1)

三ツ石神社(1) 三ツ石神社(2)

三ツ石神社(3) 三ツ石神社(4)

三ツ石神社は、現存する盛岡市内の神社の中でも最古の社と言われているそうです。

伝承によれば、かつてこの地には「羅刹」と呼ばれる鬼がいて、人里を荒らしまわっていました。
このことに困っていた里人たちが、三ツ石神に祈願したところ、鬼は神によって捕らえられ石に縛り付けられました。
この時、鬼が二度とこの地に来ない証として、岩に手形を残し、それから二度とここへ来なくなりました。
これが「岩手郡」、今の「岩手」へと連なる地名の由来です。
不来方(こずかた)- Wikipediaの解説より)

Kさんが以前に聞いた話しでは、その手形の部分だけ苔が生えなかったそうです。
写真下段右の、鎖と鎖の間あたりにあったらしいのですが、今では風化が進んで確認できませんでした。

余談ですが、ここが発祥とされる「さんさ踊り」も羅刹が退散した事を「喜び踊った」または「三ツ石神社の感謝の意を込めて奉納した」などの説があるそうです。


*報恩寺<五百羅漢>(盛岡市名須川町31-5)

報恩寺(2) 報恩寺(説明板)

貞治元年(1362)南部守行の開基、通山長徹の開山により、応永元年(1394)に南部守行によって陸奥国三戸郡に創建されたと伝えられています。
山号は「瑞鳩峰山」、報恩禅寺と称しますが、通称「報恩寺」。
報恩寺 (盛岡市) - Wikipediaの解説より)

報恩寺(五百羅漢) 報恩寺 五百羅漢 天井画

羅漢堂(盛岡市指定有形文化財/拝観料300円)は享保20年(1735)に建てられた平屋建て土蔵造りの建物で、屋根が宝形、瓦葺(元々は檜皮葺)。
本尊は釈迦文殊普賢の三尊は大和(奈良県)中善寺の本尊を譲り受けたもので、聖徳太子が彫ったものと伝えられているそうです。
五百羅漢像は京都の仏師が9人掛かりで4年間(!)費やしたといわれています。

一見、不気味に思われますがユーモラスな像もたくさんあって隠れキャラ?もいるので、怖がらないでアフレコしたり楽しみながらご拝観ください(^_^)
個人的には天井画の龍ラブ☆

報恩寺(楼門) 報恩寺(彫刻)

昭和53年に建てられた三間一戸の楼門。2階の楼閣には十一面観音が安置されているそうです。
こちらの彫刻も圧巻です!


あさ開(盛岡市大慈寺町10-34)

あさ開(1) あさ開(2)

酒造『あさ開(あさびらき)』の地酒物産館にて大吟醸ソフトクリームをいただきました♪
アルコールは0%ですが、酒粕の香りがしっかりしてるのでお酒がまったくダメな方は雰囲気でよってしまうかも知れません。
写真右の「せんべいアイス」も気になりましたが、それはまたの機会に持ち越し。

案内板より↓
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「酒蔵あさ開」のある盛岡市大慈寺町界隈は、地形的な特徴により清冽な地下水の豊富な地域です。
周辺には「岩手川の酒蔵」をはじめ、「大慈清水」や「青龍水」と呼ばれる生活用水の湧き水を中心に、「蕎麦屋」「豆腐屋」など、水に関わりの深いお店がたくさんあります。
日本酒の成分は約80%が「水」であることから、うまい酒は「水」で決まると言っても言い過ぎではありません。
「日本酒あさ開」の仕込み水は、弱軟水の地下水で「蔵元銘水」と名付けられ、東京都内の一流ホテルでも使われております。
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*盛岡城址(岩手公園)

盛岡城址盛岡藩南部氏の居城跡で、別名「不来方城(こずかたじょう)」と一般に理解されているそうですが、厳密には両者は別の城郭なんだとか。
盛岡城 - Wikipediaの解説より)

お城は焼けたのかな?と思いきや、明治4年(1871)廃藩置県により廃城になったんだそうです。
廃城令では当初存城とされましたが、老朽化が著しく一般に払い下げとなり、ほとんどの建物が解体移築されました。
その後、陸軍用地となった土地の建物を除いて旧藩主南部家に払い下げになったそうです。

このあたりの歴史は『もりおか歴史文化会館』でボランティアガイドさんが懇切丁寧に解説してくれますよ。



−−−と、ここまで3回に分けてお送りしましたKさん観光案内、いかがでしたでしょうか。
これ、1日で廻ったんですよ(^_^ゞ
まだまだ見所があるのですが、それはまたの機会に☆
Kさん、ありがとうございました!m(_ _)m


撮影:Nikon D60


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posted by しう@SOTO at 17:17 | TrackBack(0) | 岩手
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