2011年06月01日

大荒比古神社(おおあらひこじんじゃ)

大荒比古神社

撮影:Nikon D60

高島市に来て6日目、昨日はちょっと晴れ間も見えましたが、ずーっと雨です。
台風の影響もあったのですが、こうも雨づつきだと「この土地に嫌われてるのかしら?」という気分になってきます(爆)

でも、まこりんさんが言うには、湖西は湖東と比べると気候がよくないそうです。
地形の問題なのでしょうか?
この辺りは、ちょっと掘るとすぐ遺跡が出てくるくらい昔〜〜〜から人が住んでいる割に、東に比べると確かにあんまり栄えていないのは、やっぱり天候が大きく左右しているのでしょうね。
作物の成長にも関わるし。

そんなんで、今日もお仕事中心に過ごしたのですが、午後に少しだけ近隣の神社めぐりに案内していただきました。

写真は『大荒比古神社』です。(大荒比古神社 - Wikipediaの解説
主祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)と大荒田別命(おおあらだわけのみこと)。
神社の草創は不詳ですが、延喜5年(905)〜延長5年(927)までの間に撰修された『延喜神名帳』に載っている式内社で、明治初年までは河内大明神と称していたそうです。

毎年5月4日に『七川祭』があり、滋賀県選択無形民俗文化財「奴振り」(Wikipediaの解説)や流鏑馬などが行われます。

南北朝時代から室町時代にかけては、近江の国主、佐々木一族の絶大な崇敬を受けました。
佐々木源氏は、一族の守り神として崇敬していた大荒比古神社において、出陣の際には神前に戦勝を祈り、凱旋しては神前に戦勝を感謝していました。
この時、12本の的と12頭の流鏑馬を神前に奉納したのが「七川祭」の始まりであると言われています。
高島市観光情報より

“南北朝”にピンときて、『南北朝 菊池 佐々木』で検索したら、面白いページに行き当たりました。
武家家伝−合志氏

合志氏は藤原姓菊池氏流合志氏、中原姓竹迫氏流合志氏、そして佐々木氏流合志氏の三つの系統があったそうで、家紋は佐々木氏と同じ『四つ目結』、大荒比古神社も同じです。
南北朝の争乱後、合志氏は肥後守護菊池氏の支配下に入っています。
そうでーす、菊池とも繋がりがあったのデース!(≧∇≦)b
こういうのを知ると、案外嬉しいものです**


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posted by しう@SOTO at 23:59 | TrackBack(0) | 滋賀
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