

熊本県阿蘇市にある、阿蘇國造神社(国造神社)です。
読みは、『こくぞう』または『くにのみやつこ』。
阿蘇神社から見て北にあるので北宮とも呼ばれ、阿蘇都彦神社/阿蘇都媛神社(ともに今の阿蘇神社)、玉名の疋野神社とともに、平安時代に全国の主要な神社を書き上げた『延喜式神名帳』に登場する熊本で最も古い神社のなかのひとつ。
現在の社殿は寛文13(1673)年に、肥後藩主 細川綱利の命により造営されました。
御祭神
一ノ宮:国造速瓶玉命(阿蘇神社主神・建磐龍命の御子神)
二ノ宮:雨宮媛命(一ノ宮の妃神)
三ノ宮:高橋神(一ノ宮の第二御子)
四ノ宮:火宮神(一ノ宮の第三御子)




境内には速瓶玉命(はやみかたまのみこと)のお手植えと伝えられる夫婦杉がありましたが、文政年間に落雷のため男杉は伐採。
残った女杉は樹高48m、根周り15m、神代杉『手野の大杉』として国から天然記念物の指定を受けましたが、平成3年9月27日の台風19号により地上約11m付近より折れてしまいました。
樹齢約2000年。今はその雄大な姿を巨幹として残すのみですが、それでも圧倒される存在感です。
現在、この女杉の穂木から育てた幼木が植樹されています。
本殿の脇には鯰宮という小さなお社があり、ナマズの研究をされている秋篠宮殿下も記念植樹に来られたようです。
↓熊本県庁内のページより
「大昔、阿蘇谷、南郷谷は大きな湖でした。建磐龍命が湖を干し上げ、農地をつくろうと数鹿流の滝のところを蹴破りましたが、水が流れ出ていきません。よく見ると湖の主である大鯰がじゃまをしていました。この鯰を退治して、ようやく阿蘇の湖を干し農業を始めることができました。退治された鯰が流れ着いたところが嘉島町の鯰です。」
こんな伝説を聞いたことがありませんか。
よく聞かれる話では、この話の主人公は建磐龍命になっていますが、実はこの話は速瓶玉命が主人公だという伝説もあり(肥後国誌)、それで、その鯰も国造神社にまつられているということだそうです。
また、別の伝説では鯰は国造神が姿を変えたもので、阿蘇を干そうとしたのが神武天皇だという伝説もあります。いずれにしてもこのお宮と鯰は深い関係があるようです。
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