
地元では有名なのでしょうが、ドライブの途中たまたま見つけました(^_^ゞ

近年13基の横穴墓を調査したそうですが、柔らかい凝灰岩の崖面に掘りこまれていることから玄室の半分以上が崩壊している墓も多く、また盗掘されているものもあったようで、正確な時期を決定できる土器類はほとんど残ってなかったらしいです。
玄室の中の、死体を安置する屍床とよばれる部分に残っていた遺物は、武器である鉄鏃、装身具であるガラス製の小玉、勾玉などのほかに馬具の一部も見つかりました。また、屍床を灯明台のように掘りくぼめたものや、朱で塗った部分なども確認されたそうです。
(熊本県教育委員会ウェブサイトより)

余談ですが、『瀬戸口』とは周辺の地名ですが、お隣は『台(うてな)』といいます。
うてな〔臺(台)〕=高い土台や物を載せる台。また、見晴らしのきく高い台。台地。
弥生時代後期から古墳時代前期までの集落跡『うてな遺跡』も近いことから、鞠智(きくち)城の見晴し台(物見櫓)がこの辺りにあったのかも知れません。
ちなみに、瀬戸口横穴古墳群は太平洋戦争時、防空壕や兵器製作所としても利用されたと、『しらべる戦争遺跡の事典
この暗く深い穴蔵には歴史が詰まっているんですね。
撮影:Nicon D60
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