2019年10月02日

『田村信仰』発祥の地・達谷窟毘沙門堂

坂上田村麻呂が創建したと伝わる【達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂(別當達谷西光寺)】。
平泉の観光パンフレットに載っていて初めて知りました。
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。
姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。
忠臣として名高く、桓武天皇に重用されて、軍事と造作を支えた一人であり、桓武朝では二度にわたり征夷大将軍を勤める。
蝦夷征討に功績を残し、薬子の変では大納言へ昇進して政変を鎮圧するなど活躍。
死後平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となる。
坂上田村麻呂 - Wikipediaより)

達谷窟毘沙門堂(01)

寺務所で拝観料400円を納め、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居とくぐります。
(ウェブサイトやパンフレットには300円と記載されてますが値上がりしています)

達谷窟毘沙門堂(02)

右側が達谷窟毘沙門堂、正面は弁(辨)天堂です。
弁天堂は蝦蟆ヶ池(がまがいけ)にぐるりと囲まれています。

達谷窟毘沙門堂(03)

延暦20年(801)、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた悪路王を討伐した記念として建てたと伝えられています。
悪路王(あくろおう)は平安時代初期の蝦夷(えみし)の首長。文献によっては盗賊の首領や、鬼とされることもある。
しばしばアテルイと同一視されるが、ほかにも異称は多く存在し、それらのどこまでが同じ人物でどこまでが別人なのかは、史料によって異なる。また、伝承が残るのは主に岩手県や宮城県だが、奥羽山脈を越えた秋田県や北関東の栃木県、さらに蝦夷とは何の関係もない滋賀県にもゆかりの地とされる旧跡が存在する。
どの伝説においても、坂上田村麻呂ないし彼をモデルとした伝承上の人物・坂上田村丸利仁によって討たれるところは共通している。
悪路王 - Wikipediaより)

達谷窟毘沙門堂(04)

眞鏡山(しんきょうざん)の岩壁に収まった懸崖(けんがい)造りの毘沙門堂。岩窟にぴったりとあつらえるのは相当な技術を要するでしょうね!
平成17年(2005)、国の史跡に指定されています。

達谷窟毘沙門堂(05)

お堂からの眺め。

内陣の奥には、慶長20年に伊達家が寄進した厨子があり、左右に毘沙門天像が20躰ほど安置されています。
正直、まったく覚えてない。あまりまじまじと見るのは不敬かなぁと思って、チラ見しただけなんです…(^_^;

ご本尊は慈覚大師の作と伝わる秘仏・毘沙門天、吉祥天、善膩師(ぜんにし)童子。33年に一度、ご開扉(かいちょう)されるのですが…次回は2042年! い、生きてるかな(´▽`;)

※堂内は撮影禁止です

達谷窟毘沙門堂(06)

つぎはぎみたいな、五色の岩。

毘沙門堂は延暦20年(801)の創建以来、3度もの火災に遭っています。
現在のお堂は昭和36年(1961)に再建されたものです。

 ・延徳2年(1490年)、火災により焼失。直後に再建。
 ・天正年間の兵火により焼失。
 ・慶長20年(1615年)、伊達政宗により再建。
 ・昭和21年(1946年)、近隣火災により類焼。
 ・昭和36年(1961年)、再建。現在に至る。
 (達谷窟 - Wikipediaより)

達谷窟毘沙門堂(07)

お堂を出ると右側の巨岩壁に…

達谷窟毘沙門堂(08)

巨大な磨崖仏「岩面大佛」が刻まれています。顔だけで3m! 10mの坐像だったそうですが、体は19世紀末に崩落してしまったらしい。
大日如来あるいは阿弥陀如来といわれており、「北限の磨崖仏」として知られています。

礼堂(らいどう)にてお参りします。
(※一枚上の写真の、朱色の建物)

達谷窟毘沙門堂(09)

不動堂には平安時代造像の丈六不動明王像(県指定文化財)が祀られているそうです。

達谷窟毘沙門堂(10)

ウバユリの実が真っすぐ天に伸びている様が、まるでお不動様の剣のようです。

達谷窟毘沙門堂(11)

木もれ日が、ちょうど真ん丸に銅像を照らしていました。
ほんの5分ほどのことでした。

髑髏の錫杖?を持った、この方はどなたなのでしょうか。

達谷窟毘沙門堂(12)

金堂は平成8年に再建されたもの。桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)六間の大堂で、後世に技を伝えるため昔ながらの工法で建てられたそうです。

達谷窟毘沙門堂(13)

樹齢500年の大オッコウ(イチイ)。

達谷窟毘沙門堂(14)

鐘楼堂へは立ち入り禁止で近づくことすらできません。

達谷窟毘沙門堂(15)

石祠も、あちらこちらに。

達谷窟毘沙門堂(16)

白山池のわきの、小さな池に鮮やかな朱色の金魚?が一匹だけ、悠然と浮かんでいました。
弁天様のお使いかしらん。

達谷窟毘沙門堂(17)

池の周りは清浄な空気に包まれていました。


姫待瀧(ひめまちのたき)、姫待不動堂(県指定文化財)をスルーしてしまったので(駐車場が見当たらなかった)、次回は歩いて行ってみたい。





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posted by しう@SOTO at 00:00 | TrackBack(0) | 岩手
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