「烏宿神社」が載っているのに、神社好きのわたしが行ってないハズがない!と(笑)

しかし実は、梅園には何度も訪れているのに神社へ立ち寄るのは今回が初めてなのです。
毎回、看板は目にしていたもののどこにあるのか知らず。すぐ近くなんだろうと思っていたら、意外と遠かった。おおくぼ台梅園から狭い山道を登る事、約3.5km。一の鳥居(?)前に、ちょっとした駐車場がありました。

地面に鳥居の一部が。【鳥居移設由来】によると、国道212号線トンネル工事のために移転せざるを得なくなったため、ここに安置したそうです。
どうやら移転・安置されたこちらが一の鳥居で、建っているのは二の鳥居のようですね。
隣に建つ一千年祭の記念碑文によると「寛和元年(985)、日田郡司 大蔵永季によって創建された烏宿神社は、昭和60年(1985)、一千年の歴史を飾ることになった」。つまり今年は、2019年ー985年=創建1034年目!!

先ほどの場所から200〜300mほど登ると、また駐車場があります。ここからは徒歩です。
一千年祭の記念事業として「神殿内の諸神器を改め境内を充実し、遊歩道をめぐらし展望所を設けて親しみやすい神域とし、参道を改修し、老若男女が容易に参拝できるようにした」のだそうです。

長〜い石段を登ります。整備される前は、登山道のような感じだったんでしょうね。これだけの石を積むのは大変だったと思います。

かつての茶屋か社務所か? トイレもありますが廃墟と化しているので使用不能です。

【御池と裸参り】
享保17年(1732)、諸国に害虫が繁殖し、その他の天災とも重なって大飢饉の年となりました。時の日田代官 増田太兵衛道修は、この御池の水が人の不治の病や農作物の病菌害虫駆除に早効のあることを聞き、小切畑庄屋にこの水を領内に配るよう命じました。
命を受けた小切畑庄屋は、地区の若者30人に身を清めさせ裸のまま神社に参拝させ御水もらいをして日田地区に配りました。
そのお陰で害虫はたちまち死滅し、作物の病害は癒え、大飢饉を免れ領内に一人の餓死者も出なかったそうです。
この噂を聞いて日田地区をはじめ近郷近在から御水もらいに参詣する人々が後をたたず、それは昭和のはじめまで続きました。それ以来、氏子は厳寒の旧暦霜月15日の早朝、裸参りをするようになりました。
明治、大正、昭和の初期までは、氏子だけでなく近郷からも若者が駆けつけ、最盛期には200人を越すほどの盛況で、そのかけ声が暁天をついて聞かれたと言います。

壊れかけた鳥居が、そのままに。

周辺は【烏宿山自然林】。おとーさんを待たせていたので、東側・西側2つの展望台は今回はパス。

これまた激しく壊れた鳥居。もう柱しか残っていない。

歩き始めて約10分、樹々の合間に拝殿が見えてきました。

役行者(えんのぎょうじゃ/役小角)が善瞳鬼(ぜんどうき)と共に紀伊熊野から豊前(ぶぜん)英彦山(ひこさん)に巡来して峰を拓き、さらに烏宿山(うしゅくさん/標高550m)に来住すること7年。慶雲2年(785)、烏宿山を開拓して神山霊場としました。古くは女人禁制の修験霊場だったのです。

山頂に鎮座する烏宿(からとまり)神社の御祭神は、三大霊場のひとつ英彦山と同じ天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)。
ネット検索していたら、こちらの記事が詳しくて興味深い内容でした。
・平成18年11月 烏宿山と大山 - 大分大山町農業協同組合
昔は周辺にお寺や宿坊、蔵などが点在していたようです。正徳5年(1715)には梅関和尚が東漸禅寺を再興、晩年は村人の飢餓を救うため即身成仏≠フ行をしたとのこと。その跡地の室の上に『無縫塔』の墓碑が建立されているそうですが、今も残っているのでしょうか。

石柱(烏宿神社 社殿改修記念碑)のてっぺんにはカラスが。
なぜカラスなのか?「烏宿」という名前は役行者がつけたのか?
山は「うしゅく」なのに、なぜ神社は「からとまり」と読むのか?
謎は深まります…。

文武天皇時代(700年頃)に植えられたという御神木は、幹周り約8m、樹高約40mの巨木だったそうです(木の種類については記述なし)。
しかし昭和48年8月6日の午後4時頃、落雷により出火。地元消防団が駆けつけ消火に努めましたが丸一日燃え続け、翌7日の午後4時頃にようやく鎮火したそうです。
しかし、このままでは枯死することが予想されたので、氏子一同の協議の結果、伐採する事となりました。
枯れてしまったというご神木は、こちらでしょうか。

それとも、倒れているこちら?

周囲は樹々に覆われ、山全体が鎮守の森となっています。夏は涼しいでしょうね。
道は拝殿の裏手からさらに大山ダムまで続いているようですが、今日はここで折り返します。

足元が滑りやすいので気をつけて。

行きがけには気づかなかった、大山祇尊(おおやまづみのみこと)と刻まれた巨石。
大山祇神は日本全国の山々を統べる神様で、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)=富士山、岩長姫(いわながひめ)=浅間山の父神様でもあります。
【烏宿神社はだか参り】
霜月祭の前夜である毎年12月14日夜、烏宿五社権現の神々に五穀豊穣や無病息災を祈願するため氏子はじめ市内外から訪れた人々が、締め込み姿で霊水と謳われる御池の水を浴び、烏宿神社本殿までの参道を一気に駆け上がる伝統ある神事です。
※昨年(2018年)は、開催されなかったそうです。
・日田市指定無形民俗文化財 烏宿神社はだか参り 観光・旅行ガイド - ぐるたび

*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2011年02月18日【日田市を散策】
・2012年04月06日【杖立温泉の鯉のぼり】
・2015年03月24日【大分・天ヶ瀬三瀑めぐり】
・2017年04月17日【前原の一本桜】
・2019年02月13日【日田市・おおくぼ台梅園(大山梅園)】
*はじめての方はこちらもどうぞ*
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