2018年01月23日

閻魔堂と志々岐阿蘇神社

だいぶ時間が経ってしまいましたが、去る1月6日、山鹿市にある閻魔堂へお参りしてきました。
それというのも昨年4月、たまたま訪れることになったのですが、そこで「1月6日に閻魔堂のお祭りがある」と教えていただいたからなのです。
(2017年04月10日【忘れられた信仰の遺跡・涅槃岩】)

閻魔堂(1) 閻魔堂(2)

写真:左=かつて2度も火災に遭ったそうで、この閻魔堂は昭和初期(昭和20〜30年頃?)に建て替えられたものです。昔はもっと大きくて立派なお堂だったそうで、今の倍以上あったらしい。

写真:右=焼け跡から見つかったご本尊も、祀られていました。

閻魔堂(3) 閻魔堂(4)

不動明王、弘法大師、地蔵菩薩、釈迦如来像なども一緒に祀ってありました。

以下、地蔵菩薩 - Wikipediaより抜粋↓
地蔵菩薩が閻魔または十王の一尊としての閻魔王と同一の存在であるという信仰が広まった。
(略)
このため中国においては地藏王菩薩と呼ばれ、主に死後の(地獄からの)救済を願って冥界の教主として信仰される。

閻魔堂(5) 閻魔堂(6)

写真:左=地獄絵図。中央に閻魔様が描かれています。
写真:右=涅槃図。

二畳分ほどの素晴らしい絵図です。この日に特別に飾られていたのかも知れません。何せ普段はお堂が閉まっているのです。
「お祭り」と言っても今や訪れる人も少なく、わたしが到着した11時半には二人のご老人がお堂の前に座って世間話をしていらっしゃるだけでした。
むしろ、わたし(よそ者)が現れて「何でまた?」とビックリしてたくらいです(笑)

「わざわざお参りに来てくださって、閻魔様も喜んでおられますよ」と言っていただいて、嬉しかったです。
昔々、40〜50年くらいまでは縁日はとても賑わって、屋台も軒を連ねていたといいます。
ご老人が子どもの頃は、広い広いお堂の周りを駆け回って、かっこうの遊び場であったそうです。石垣から転げ落ちてしまったこともあるけど、キズひとつなかったとか。きっと、閻魔様が守ってくれていたのだろうと語っておられて、まさにそうなのだろうなと頷きました。

わたしも子どもの頃は近所の神社やお堂で遊んでいました。
そういった記憶が、今でも神社好きとして残っているのでしょうね。

すぐ近くに、『千人灯籠せんべい』で有名な【同田貫本舗】があり、周囲は甘〜〜〜いにおいに包まれています。
ハネものが1袋500円で販売されていて、自宅用にちょうどいいんです。閻魔様の縁日ですから、お供えにも。さらにご利益ありそうですね(´ω`*)←正規品を買え


志々岐神社(01) 志々岐神社(02)

写真:左=それから10日あまり間が空きましたが、【志々岐阿蘇神社】へも参拝しました。
ここも近くにあるのですが、トリ頭だから6日には思い出さなかったよ…(T_T)
(志々岐というのは地名です)

写真:右=変わった形の灯籠です。

志々岐神社(03) 志々岐神社(04)

写真:左=この日は曇天で、訪れたのが16時過ぎというのもあって薄暗かったのですが、門に灯りが点いていてホっとしました。小さな集落の神社ですが、きちんとお世話している方がいらっしゃるんですね。

写真:右=玉垣(石造りの垣根)の角に龍があしらわれていました! こういうの、初めて見たかも。

志々岐神社(05) 志々岐神社(06)

どっしりとした狛犬さん。クルマに喩えるとSUVって感じ。

志々岐神社(07) 志々岐神社(08)

写真:左=以下、案内板より↓
このお宮は志々岐阿蘇神社(村社)といい、室町時代後期の天文12年(1543)に合志 民部 大輔 源 鑑峯が阿蘇神社より勧請してこの地に建立したと言われています。
このお宮には郷土 志々岐の平和と幸せを鎮守くださる次の神様をお祀りしてあります。

一、志々岐阿蘇神社 左社殿(本柱)
  祭神 健磐龍命(たけいわたつのみこと/神武天皇の孫)ほか十一神 農耕武運の神
  祭日 三月十五日

一、八坂神社 中殿(末社)
  祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと/天照大神の弟)
  人間の苦悩を救い、農業の豊作をもたらす神
  祭日 三月十六日

一、諏訪神社 右社殿(末社)
  祭神 建御名方命(たてみなかたのみこと/大国主命の二男)
  狩猟・農業の神
  祭日 三月十四日、九月十四日

わたし達は、お宮を大切にしお参りするとともに人として正しく生きることにつとめ平和な住みよい郷土をきづきましょう。

平成十二年一月吉日

写真:右=志々岐阿蘇神社。注連縄の位置が、すべて低くなっているのは何故なんだろう。
そう言えば菊池市でも小さな集落のお社とか、注連縄の位置が低かったり横一直線(竹にぐるぐる巻き)のものをよく見かけます。
(2011年01月23日【別雷神社】とか)

志々岐神社(09) 志々岐神社(10)

写真:左=境内には20を超える石塔が点在しています。文字がかすれて確認できないものが多かったですが、猿田彦さんの石塔が数々ありました。過去、いくつかのお社を合祀したのでしょうか?

写真:右=八坂神社(中殿)の真後ろにあたります。中央には『大国主大神』と刻まれた石塔が。

志々岐神社(11) 志々岐神社(12)

写真:左=大黒様も。ちなみに大国主=大黒様、と考えられています。

以下、出雲大社 公式サイトより↓

問:「大国主大神」と「だいこくさま」は同じ神様ですか?
答:同じ神様です。大国主大神様には、他にも「大己貴神(おおなむちのかみ)」、「大物主神(おおものぬしのかみ)」、「八千矛神(やちほこのかみ)」、「大国魂神(おおくにたまのかみ)」、「顕国魂神(うつしくにたまのかみ)など多くの御神名があります。
ただし、いわゆる七福神≠フ中の「大黒天」とは、正確には別の神様です。

写真:右=諏訪神社。

志々岐神社(13) 志々岐神社(14)

諏訪神社の狛犬さんがすっごく独創的! 歯が〜人間みたいで怖い!(´Д`;)
それに背中に文字が刻まれているのも珍しいような。

正徳四年(甲午/1714)寄進のようです。

志々岐神社(15) 志々岐神社(16)

写真:左=樅(モミ)の樹。注連縄は張られていませんが、ご神木のようです。鎮守の森には野鳥がたくさん集まっていました。

写真:右=境内パノラマ。左から志々岐阿蘇神社、八坂神社、諏訪神社。夕方にも関わらず、すっきりと掃除されたままの清浄な雰囲気を保っていました。

志々岐神社(17) 志々岐神社(18)

写真:左=さて帰ろうか、と楼門に向かって気がついた。この柱? は何だろう???
右側の壁には何もなかったです。諏訪神社の御柱と関係があるのかな?

写真:右=一の鳥居には、阿蘇神社と同じく並び鷹の羽が刻まれていました。


小さな集落に、ひっそりと佇む小さなお社を見ると、ちょっと切なくなります。
田舎はどこも少子高齢化で、人手不足です。日々の生活に精一杯で、なかなか神仏のお世話まで行き届かないと思います。

「地域おこし」とか、他所の人が一所懸命にやって仮に成功したとしても一過性のもので、やっぱり地元の方々が盛り上げていかなければ定着しないし元の木阿弥になってしまうような気がします。
そして信仰心が絶えるとともに、神仏もその土地を去ってしまうんだろうな。

それは悪いことばかりと決めつけられなくて、時代の流れなのでしょう。


撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用




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・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり
・2017年04月03日【菊鹿町・切通しの石仏群
・2017年04月10日【忘れられた信仰の遺跡・涅槃岩

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タグ:歴史 神社 お堂
posted by しう@SOTO at 23:18 | TrackBack(0) | 熊本
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