2017年10月19日

道の駅たかはた・安久津八幡神社

※昨日の続き、実際に訪れたのは10/18です。
道の駅【七ヶ宿】から国道113号線・七ヶ宿街道(羽州街道)は宿場町が点在しているので見て廻りたい気持ちは山々なのですがクルマが大きいので眺めながらドライブスルー。
そして湯原でお蕎麦を食べて、道の駅【たかはた】へ。

まほろば古の里歴史公園 案内図 阿久津八幡神社(01)

道の駅の道向かいは【まほろば古の里歴史公園】。
ここを訪れるのも何年ぶりか。久しぶりに阿久津八幡神社へ参拝に向かいます。

阿久津八幡神社(02) 阿久津八幡神社(03)

写真:左=安久津八幡神社の鳥居。ここを右へ行くと【歴史資料館】があります。

写真:右=あるお爺さんとお婆さんが神社に石の鳥居を奉納しようとしたが、鬼が邪魔をして完成できなかったという『じじばば石』。左右に2つ横たわっています。

阿久津八幡神社(04) 阿久津八幡神社(三重塔)

写真:左=境内案内図。

写真:右=三重塔は寛政9年(1797)に再建されたもので、初建は寛永2年(1625)といわれています。
方三間造で銅版葺き、置賜地方唯一の層塔でシンボル的存在。マンホールの蓋にも描かれています。

阿久津八幡神社(05) 阿久津八幡神社(06)

写真:左=三島池には、前九年の役で目を負傷した義家の部下がこの池の水で目を洗い治療したが片目となってしまい、以来、この池の葦も片葉になったという伝説が残る『片葉の葦』が自生してます。

写真:右=稲荷神社の裏にある【旗立岩】。石像が彫られています。

阿久津八幡神社(07) 阿久津八幡神社(08)

写真:左=参道中央に舞楽殿。
写真:右=石造りの手水舎。趣があります。

阿久津八幡神社(09) 阿久津八幡神社(10)

舞楽殿は室町末期のものといわれ、方一間宝形造の茅葺きで、阿久津八幡神社境内でも最古の建造物。
毎年5月3日には「倭舞(やまとまい)」「田植舞」、9月15日には「延年の舞」が奉納されます。

余談ですが、秋の例大祭では流鏑馬も披露されます。

阿久津八幡神社(11) 阿久津八幡神社(12)

写真:左=子育地蔵尊
写真:右=耳の神様

阿久津八幡神社(13) 阿久津八幡神社(14)

山中神明宰の碑。
この一帯の土地は、宝暦・明和年間(1751〜1772頃)、水害や冷害で不作に陥り、さらに天明3年(1783)の大凶作(いわゆる天明の大飢饉)で餓死者が出るほどの不況に見舞われました。
この民苦と窮状を案じて、代官・山中太郎右衛門が独断で上米蔵を開き村民に分け与えたのです。
幕府へ上申のために江戸に旅立つとき「一切の責任は我にあり」と覚悟したのですが、おとがめなし。
村民たちの代官への恩を後世に残すべく建てられた報恩碑です。

阿久津八幡神社(15) 阿久津八幡神社(16)

写真:左=かなり風化した狛犬さん。
置賜地方は高畠石や中川石と呼ばれる凝灰岩の産地で、境内でもあちらこちらで使われています。

写真:右=本殿はブルーシートがかけられ、茅葺き屋根の修復中でした。
前に来た時もブルーシートだったんです。まさか、ずっとこの状態? それほど予算が逼迫してるんだろうか…などと余計な心配をしつつ、これが世の流れなのか…としんみりしてしまいました。

−−−が、それは早とちりで、前回も今回も「たまたま」茅葺き屋根の修復中だったというだけなんです!
湿気が多い場所柄もあって、あっという間に茅が苔むし、雑草がわんさか生えてしまうので手入れが大変なんだそう。たまにハクビシンだかアライグマだかも茅をむしっちゃうらしい。

阿久津八幡神社(17) 阿久津八幡神社(18)

安久津八幡神社は貞観2年(860)、慈覚大師が豪族・安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと云われています。
のちの平安後期に、奥州平定のため源義家が戦勝を祈願して鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えられていますが定かではないそうです。

由緒書きによると、何度も火災で焼失しているんだとか。記録が残っているだけでも7回!!
現在の本殿は宝暦5年(1755)に再建されたもので、三間社流造(さんげんやしろながれづくり)、茅葺き、軒組は和様平三斗(わようひらみつと)といいます。神社建築様式って難しい!

三重塔、舞楽殿、本殿は県の文化財に指定されています。

写真:右=棟の両端には立派な鬼瓦が造り付けられています。これは『泣いた赤おに』にも関係するようです。
(作者の浜田広介氏は山形県高畠町出身)

阿久津八幡神社(19) 阿久津八幡神社(20)

彫刻が素晴らしくて写真を撮っていたら「興味がありますか?」と声をかけられました。
なんと、阿久津八幡神社の神主さん!
とても詳しく色んなことを教えていただき、この記事の中に書いてあるいくつかは教えていただいたものです(´▽`;ゞ

写真:右=震災の際、ちょうど本殿に対して左右(東西)に揺れたため、礎石がズレてしまったそうです。
ひとつ新しい石が組み込まれていますが、あえて隙間を残しています。
板や柱を修復する際も、太さなどをきっちり同じにするのではなく「百年後を見越して」少し大きめに継いであります。
やがて木の中の水分が抜けていき、百年後にはぴったりと収まるというのです。
先ほどの舞楽殿も、そのように継がれています。機会があれば、じっくり見てみてください。宮大工の仕事に感動しますよ!

阿久津八幡神社(21) 阿久津八幡神社(22)

写真:左=奥之院(洞窟)までは片道30分くらい。登山に比べればラクだなぁと思うけど、神主さんいわくそんなにラクではないらしい。

写真:右=崇敬者さんが寄贈してくれたという「三葉の松」。高野山の【三鈷松】みたいなものです。
神主さんが葉っぱと松ぼっくりをくれました♪ タネ入ってるといいな〜。

ちょっと枯れてる部分が多いのが心配です。
鳥居の方にある「千年松」は残念なことに松枯れにやられてしまい、今は2代目が伸びて来ているところだそうです。

阿久津八幡神社(遺跡) 阿久津八幡神社(遺跡)

ちなみに周辺には安久津古墳群(鳥居町支郡)十数基が点在しているのですが、うっそうとした草木に隠れてしまってパっと見では分かりません。

写真:左=神主さんが案内してくれました。すっごい近くにあったのね!!
よく見ると確かに石組みが確認できます。

写真:右=こちらは墳墓から杉が生えちゃって、抱き込んでしまっているので抜くこともできないらしい。さらに朴の木まで…。

「今度、来られるまでには草を刈っておきます」って、すっごく大変そう〜(´Д`;)
色々と教えていただき、ありがとうございました!

まほろば古の里歴史公園(1) まほろば古の里歴史公園(2)

写真:左=【まほろば古の里歴史公園】の方へお散歩。珍しいスタイルのアヒルちゃんが出迎えてくれます。
写真:右=立派な復元住居。

まほろば古の里歴史公園(3) 県立うきたむ風土記の丘考古資料館

写真:左=安久津2号墳。
写真:右=【県立うきたむ風土記の丘考古資料館】には、またの機会に。

「うきたむ」とはアイヌ語で「流動する湿地」を意味し、「置賜(おきたま)」の地名の由来ともいわれています。

ちなみに「まほろば」 とは「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。
縄文時代の遺跡や古墳群があることから、この土地は古代から豊かだったのでしょうね。

*参 照*
安久津八幡神社 - 山形県高畠町
安久津八幡神社とその周辺 - 山形県

撮影:Nikon COOLPIX P900




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*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2008年10月06日【亀岡文殊堂
・2008年10月07日【安久津八幡神社

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posted by しう@SOTO at 23:10 | TrackBack(0) | 山形
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