2017年08月14日

斜里町を満喫・追加コース(越川温泉と越川橋梁)

昨日の記事【清里町を満喫(宇宙展望台〜さくらの滝〜男鹿の滝)】の続きです。(実際に訪れたのは8/14と8/15)

越川温泉(1) 越川温泉(キタキツネ)

2017年08月09日の記事【斜里町を満喫・後編(来運神社と越川橋梁)】で、勇気がなくて入浴しなかった無人の共同温泉浴場【越川温泉】、今日は道連れが男女2人もいるので行ってきました!\(^o^)/

写真:右=可愛らしい、元気なキタキツネ。ついてくる訳ではないのですが、しばらく駐車場や草むらで走り回ったりジャンプする姿を見せてくれました!

越川温泉(休憩室) 越川温泉(女湯脱衣所)

写真:左=休憩室、右=脱衣所(女湯のみ)

無人の温泉施設で、入浴料は200円。ドラム缶のように大きな容器にチャリンと入金します。
ネットでクチコミなどを調べた限りでは「住んでる人がいる」とか「口うるさく指示される」とかマイナス面が多かったのでドキドキものでしたが、18:30と時間が遅かったせいか誰もいないし、住みついている人もいませんでした。

越川温泉(男湯) 越川温泉(女湯)

写真:左=男湯、右=女湯。男湯は扉を開けたらいきなり浴室です。
電気もないので、薄暗いなか入浴。石けんなどの備品類も一切ありません。

温泉はちょっと鉄っぽく、でも無臭です。かなり熱めなので、沢から引いているらしい水で薄めます。男湯の方は誰かが入浴したあとだったようで適温だったらしい。

お水は沢の水だから飲めませんが、温泉はコップが置いてあるから飲めるみたい。
でも嘗めるくらいで苦い? 塩っぱい? から、飲むのは控えました。

駐車場は砂利の広場という感じで、綺麗に並べれば普通車20台くらい停められそうです。
簡易トイレも野外に設置されていますが、後付けの洋式便器がグラつくから用心してください!
コントかドッキリみたいに落ちるんじゃないかとビビリました(^o^;

沖縄の旅人Kさんは、翌朝からバイトなのでここでお別れ。
わたしと千葉のKさんは、もうすっかり暗くなってしまったし道の駅【しゃり】に停泊することにしました。
道の駅の駐車場が狭くて車中泊には向かないのですが、砂利の第2駐車場なら何とか停められます。

しかし問題は夕食です。
既に20時近いんですよ。今から自炊なんかしたくないし、かといってお盆休みまっただ中、居酒屋も満員御礼。しかも休みのお店もあるし、これはなかなか見つからないかも〜〜〜・・・と、とぼとぼ歩いていて、とりあえず灯りがついてるお店に「空いてますか?」と入ってみた。

北鮮(外観) 北鮮(生ビールとお通し)

地元の人が集うような居酒屋さん【北鮮】(リンク先は【食べログ】です)。

まずは生ビールを頼んだら、大きなツブ貝の煮物を一緒に手にしてて「別のテーブルのだろう」と思いきや「お通しです〜」エッ!?Σ(°ロ°;)
こんな立派なツブ貝がお通しでついてくるの!?
思わずKさんと顔を見合わせて「このお店はアタリだ!」(笑)お通しおカワリしちゃった♪

北鮮(枝豆と手羽先) 北鮮(つぶ刺)

写真:左=定番の枝豆や手羽先など串ものを食べ・・・
写真:右=つぶ貝のお刺身!(≧∇≦)

残念ながら純米酒がなかったので、熱燗でいただきました♪
大将がユーモアのある方で、「寿司、食べたいか?」(大将は寿司職人)「食べたいです!」「いや、今ないんだ」ってオイ!\(^o^)/
閉店(22時)まで居座っちゃいました。

そして翌15日。
先日(2017年08月09日)【斜里町を満喫・後編(来運神社と越川橋梁)】の記事内で越川橋梁(第一幾品川橋梁)を紹介した際、「川に架かっている方の橋脚わきに、川岸まで下りられるようにロープが下がっていました。もし見に行かれるなら、自己責任で!」と書いて終わったのですが、9日よりも草刈りがされて歩きやすそうに見えたし、今日は道連れもいることだし長靴を履いて川岸まで下りることにしました。

越川橋梁(2−1) 越川橋梁(2−2)

ロープを伝って川岸まで下ります。
今は水量が少なくて、清流がサラサラと涼しげです。水遊びをしたような、石で丸く囲ったようなところも見受けられました。

越川橋梁(2−3) 越川橋梁(パノラマ)

越川橋梁はコンクリート製の鉄道橋で、北海道の登録有形文化財に指定されています。
(詳しくは前回の記事にて紹介しています)
やっぱり川から見上げる鉄橋の姿はまた別格です!

越川橋梁(2−4) 越川橋梁(2−5)

以下、越川橋梁 - Wikipediaより抜粋です↓

昭和14年(1939)、越川駅 - 上越川駅間の国有鉄道根北線の橋梁として建設が開始される。
周囲数km四方に民家すらない北海道の山間奥地に作られた、全長147m、最大地上高21.6m、軌道の勾配25パーミルの10連コンクリートアーチ橋である。
戦時体制下の鋼材不足のため、鉄筋は使われていない。多くのタコ部屋労働者が使役され、11人の者が命を落とした。

越川橋梁(2−6) 越川橋梁(2−7)

昭和16年(1941)には太平洋戦争の影響による物資欠乏のため根北線の建設は中断される。越川橋梁はほぼ完成した状況にあったが、戦後になっても根北線の越川より根室標津方が開通することのないまま、昭和45年(1970)に根北線自体が廃止され、結果として一度も使用されることはなかった。

昭和48年(1973)、旧根北線のルートと並行する国道244号の拡張工事の際、支障する橋脚2本が撤去されたが、残りの部分は健在である。平成10年(1998)に国の登録有形文化財に登録された。

越川橋梁(2−8) 越川橋梁(2−9)

鉄筋の代わりに竹などを用いてあり、どう見ても「この上を列車が走って大丈夫なんだろうか?」というくらい華奢な印象です。

Wikipediaに「11人の者が命を落とした」とありますが、一説によるとその亡がらを人柱≠ニして鉄橋内部に埋めてしまったらしいのです。
実際に拡張工事の際に2脚を撤去(爆破)したら白骨が出たという話や、エックス線で内部を調べたら人骨らしき陰が写った、という話があるそうです。

この鉄橋に花が手向けられていたのは、そのためだったのです。もしかしたら、お盆というこの時期だからこそかも知れません。
前回、「橋脚の足下に花が手向けられていました。意味は分からないけど、造花じゃなくて生花であることに思いの深さが現れている気がします。」と感じたのは、あながち間違いではなかった。
奇しくも8月15日に来ることになったのも、供養に繋がったのかも知れないと勝手に思っています。

過酷な労働の末に完成した越川橋梁。ですが、終戦と同時に意味を失い、母体であった根北線さえも廃線となり、一度として列車が運行することのなかった橋。

でも、決して無駄ではなかった。

こうして遺構として残され、多くの人々に当時の過酷な日々を伝え、今ある平和の有り難さを教えてくれる貴重な存在となっているのです。

どうか「心霊スポット」などと騒がず、畏敬の念を捧げてください。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*近隣に関連する過去ブログ記事*
・2012年07月30日【オシンコシンの滝
・2012年08月16日【斜里町『来運神社』の湧水
・2014年09月13日【摩周湖〜神の子池〜来運公園〜知床ウトロの夕陽
・2015年08月04日【阿寒湖を拠点に観光案内(1日目)
・2017年06月26日【小清水原生花園2017
・2017年08月08日【斜里町を満喫・前編
・2017年08月09日【斜里町を満喫・後編(来運神社と越川橋梁)


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posted by しう@SOTO at 23:55 | TrackBack(0) | 北海道
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