八女丘陵古墳群の東端にあたります。Kさんも童男山古墳は初訪問。


写真:左=予備知識もないままナビ任せで童男山古墳に到着。時刻は16時過ぎ、気が焦ってます。
写真:右=真っ先に目に入った童男山12号古墳。敷地内の配置なども分かっていなかったので、手当たり次第という感じで見学。


写真:左=童男山13号古墳。
写真:右=石室の中が見られるんです! 童男山古墳はオープンな古墳ばかりでテンション上がる!\(^o^)/


「何でここに徐福(じょふく)の像が?」
中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士(方術に秀でた者・学者)。
司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。
(徐福 - Wikipedia)
八女に残る伝説では、徐福一行は暴風雨にあい難破、この地に流れ着きました。村人たちが枯れ木や落ち葉をふすべて(焚いて)介抱しましたが、徐福は村人に感謝しながら息をひきとったといわれています。
この故事にもとづき、徐福の命日とされる1月20日に、徐福を温めた焚き火を再現する「童男山ふすべ」が行われています(江戸時代にはじまったそうです)。
(童男山ふすべ - 八女市ホームページ)


童男山古墳はいくつもの古墳の総称であり、敷地がかなり広いので「またしても仕切り直して来なきゃいけないのか」と、Kさんと駐車場に戻ることにしました。
ただ戻るのは面白くないので、中央にあたる場所、公園か展望所かなと思いながら、そこを通って行くことに。


写真:左=そこかしこに意味ありげな石柱がゴロゴロ横たわっています。
写真:右=ん? ガラス張りの天板? ここにも古墳があるみたい。


歴史がありそうな祠や、石づくりの五重塔など、時代を超えて信仰の場でありつづけてきたのだろうと想像できます。


そして現れたのは巨大な古墳! 今まで見てきた、どの石室よりも荘厳すぎる巨石でできています!
これが童男山1号古墳!!
石室の全長は18mで、すでに羨道部(せんどうぶ)の大半を失っています。
主体部は複室の横穴式石室。玄室には奥壁に接して凝灰岩でつくられた巨大な石屋形があり、くり抜きの石棺が置かれています。また、左右壁に接しても、くり抜きの石棺が置かれていたと思われ、左壁側のみが現存しています。
石室構造などから、6世紀後半〜末頃のものと推定されています。


↓案内板より
童男山古墳群は、県指定史跡「童男山古墳(1号墳)」を中心として周囲に所在する古墳群である。
古墳群は大きく分けて三つのグループがあり、1号墳の東側屋根に13基、1号墳から南にのびる屋根上に9基、西側の浅い谷をはさんだ屋根に5基と、現在まで27基を確認している。
古墳はいずれも円墳で、内部主体は複室(ふくしつ)構造の横穴式石室が多い。
童男山古墳群の特色として、内部施設に石屋形・石棚・棺床(かんしょう)・石棺などが多いことが注目されている。


古墳はすでに江戸時代から開口していたことが、久留米藩士であった矢野一貞 著「筑後将士軍談」の記載などからも知られていました。このため出土遺物はありません。
地元では古来から、徐福の墓という伝承により旅の安全祈願の対象になっています。
また一方で、童男山(とうなさん)という名称から耳の神様としても祀られてきたのだそうです。
「童男山ふすべ」は、ここで行われます。
徐福の乗ってきた船が童男山古墳の石棺になったという伝説もあるそうですが、古墳の建造が6世紀後半頃とすると、徐福の時代から1000年近くも後ということになります。


写真:左=1号墳の丘を降りるところ。何故かこの広場?にも巨石のベンチがありました。
写真:右=広場から1号墳を振り返る。下から見ると、展望所しか見えない。ここに1号墳があるとは思わなかった。


駐車場に向かう途中に2号墳。ここも中が見られます。
しかし前室はまだしも後室(玄室)まで立ち入る勇気はない・・・。やっぱり何となく、怖いと感じてしまう(´Д`;)


続いて3号墳も。どれも石がすごく立派! どうやって運んだんだろう?
古代にどのような技術があったのか、空想が膨らみます。
それにしても、古墳にツツジを植えなくてもいいのになぁ(´・ω・`)


写真:左=3号墳の石室は、前室の屋根?に隙間が空いてました。石がどっかいっちゃったのか?
写真:右=その空いてる部分の後ろの屋根石、ま、まさか割れてるの???
童男山古墳群は確認されているだけでも27基あり、消失したものもありますが内部を見学できるものが10基近くあるので、じっくり見学していたら1日かかりそうです。
これだけの規模なのに、公式サイトが【童男山古墳/八女市ホームページ】しかないようで、中身が薄っす〜〜〜いのがとても残念。Wikipediaにも記事がないし。
各号墳ごとに詳細を書いてほしいなぁ。
撮影:Nikon COOLPIX P900
*関連する過去ブログ記事*
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・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』】
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』】
・2017年02月14日【岩戸山古墳】
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり】
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社】
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり】
・2017年03月23日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(前編)】
・2017年03月25日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(後編)】
・2017年04月08日【熊本県内装飾古墳 春の一斉公開】
・2017年05月11日【古墳めぐり〜福岡・八女丘陵古墳群(前編)】
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