※訪れたのは4月9日です
山岳信仰の地、福岡県東峰村の岩屋神社を訪れ、修験道を奥之院まで向かって鎖場に続く鎖場を行くこと約2時間・・・そろそろ、奥之院ではないかと思いながら、どうも行き止まりっぽい雰囲気で不安になり、道を間違えたかなと振り返ると・・・


ありました! 奥の院!ヾ(*´▽`*)ノ


写真:左=十三仏
写真:右=すぐそばの木。幹を削って文字(名前?)が刻まれています。
これって、いわゆる落書き!? なんというバチあたりな!
この手前までは後続の人の声が聞こえていたのですが、一人で参拝したかったから「追いつかれる前に辿り着かなきゃ!」と焦っていたので喜びもひとしお。
お参りして写真を撮らせていただいて、しばし感慨にふけっていたのですが、ついぞ後続のグループが来ることはなく。どうやら鶯窟かお大師様を奥之院と勘違いしたか、時間的に諦めて降りられたようです。
前編に載せていた案内板「岩屋公園マップ」を見る限り、位置関係がちょっとズレているから勘違いするのも無理はないと思います。
−−−とか言って、もしかしたら自分も勘違いしてるかも(´▽`;)
間違っていたら、すみません!!!


写真:左=さぁ、また急な石段を鎖を頼りに降ります。雨上がりだから、滑るんです(;つД`)
写真:右=あまり怖くない、ユーモラスな不動明王さまと、立会地蔵。
2年越しの念願叶って、無事に踏破してきましたよー!ヾ(*´▽`*)ノ
この時点で法螺貝や太鼓の音が聞こえて来て、護摩行が始まってしまいましたが、行≠止める訳にはいきません!


ラスト、大日社へ。何度目かの急な石段! ひぃ〜〜〜〜
案内板より↓
鎌倉時代半ばの記録「彦山流記(ひこさんるき)」には、彦山四十九窟の第三窟・宝珠山窟として記録されており、五間四面(一辺が五間で四方に庇が付く・一辺約12m)の大日堂があり、丈六(約3m)の大日如来などが祀られていて、行者は必ず宝珠石に祈るようにと記されていました。
室町時代に彦山から宝満山の尾根筋を踏破する入峰(にゅうぶ)修行が確立されると、玉置(玉来)宿として修行の重要拠点の一つとされました。
戦国時代初期の文明年間(1469〜1486)には、岩屋六坊(いわやろくぼう)とも呼ばれ、多くの堂社が建ち並び祭祀も盛んでしたが、戦国時代末の永禄(1558〜1570)〜天正(1573〜1592)年間には、豊後の大友宗麟と彦山座主(ざす/住職最上位の別称)家との確執から、大友軍により焼き討ちされ荒廃しました。
江戸時代初めには堂社の再建も始まり、彦山末を離れ、聖護院(しょうごいん)末の宝満山の末寺となります。
元禄11(1698)年には、四代福岡藩主 黒田綱政によって現在の本殿が再興されました。
しかし明治初年の神仏分離令・修験道禁止令・廃仏毀釈運動により衰退し、岩屋神社として再出発、2005〜2006年に本殿の解体・復元工事が行われました。


大日社から降りたら、ちょうど行者さんたちの列が! タイミングに恵まれました。


護摩 - Wikipedia より
修験道で野外において修される伝統的な護摩法要を、柴燈・採燈(灯)(さいとう)護摩という。日本の伝統的な二大修験道流派である真言系当山派では、山中で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたために「柴燈」と称する一方、同じく伝統流派である天台系本山派では、真言系当山派の柴燈から採火して護摩を修するようになったため「採燈」と称する。
近年では、伝統的な本山派・当山派の流派には属さない寺社、また、分派、独立した宗団や密教系新宗教などでも、独自の方法と解釈により「斉燈護摩」(真如苑真澄寺)や「大柴燈護摩供」(阿含宗)、「お火焚き」「火祭り」などの別称を用いて実施されている。


写真:左=四方を弓で射る儀式。この弓は拾って持ち帰っていいようで、破魔矢と同じ意味があるようです。




ついに火が点けられました。ものすごい煙がもうもうと立ちこめます。
同時に、周りの行者さんたちが一斉に真言を唱え始めました。
そう言えば、法螺貝が鳴り響くと周りのカエルも一斉に鳴きだすんですよ!
音に呼応してるんですかね?


写真:左=大僧正?が護摩木をくべはじめます。
写真:右=中心に立てられていた五色の御幣は、途中で取り出されました。
この護摩供養がはじまる直前に、四方を囲っていた御幣を参拝者が勝手に取って行ってて「ひどいなぁ」と思っていたら、これは持って帰っていいのだそうです!
玄関などに魔除けとして飾っておいて、来年の岩屋まつりの日にお返しするのが倣いだとか。
最後に、この中心に立っていた御幣も、祭壇の五色(五本)の御幣も、みんなそれぞれ早い者順で持ち帰られました。


炎は上昇気流を巻き起こし、煙が渦を巻きながら天に昇る様は圧巻でした。


護摩木をくべ終え、燃え尽くされた頃合いを見て、檀が崩されます。
両脇に丸太を避けて中心に道を開け、炎を叩いて鎮火させ、いよいよ火渡りの準備です。


実際に火渡りを見たのは「多氣山不動尊・大火渡り祭」が最初で、今回は2度目なのですが、大僧正がアッサリ渡っちゃって「あれっ!?(°°;)」
写真を撮る間もなかった・・・。多氣山不動尊の時は、巨大な護摩木を抱え「エイヤー!!!」氣合とともに走り抜けたので、そういうものだとインプリンティングしてしまっていました。
その後も、みなさん慣れた様子で次々と火渡り。
小さなお子様は行者さんに抱かれて、足下がおぼつかないようなお年寄りも手を引かれて歩いていました。
宝珠山地区の方々にとって、岩屋まつりは1年の無事を祈る、なくてはならない行事のひとつなのでしょうね。
護摩・火渡りには、浄火により煩悩を焼き尽くし災厄を祓うという意味があります。
今回も火渡りはしなかったのですが・・・どこかで三度目の正直となるか?(≧∇≦)
岩屋神社では、7月下旬の日曜日には夏祭り「ヨド(夜渡)」、10月19日には秋季大祭「オクンチ」が行われます。
機会があれば是非、訪れてみてください。
・岩屋まつり(東峰見聞録|東峰村観光情報サイト)
撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用
*関連する過去ブログ記事*
・2011年07月02日【出羽三山神社】
・2011年11月04日【筑波山】
・2013年04月06日【秋月の町並み】
・2014年05月18日【多氣山不動尊・大火渡り祭】
・2015年01月15日【樹齢約200〜600年の巨木群・行者杉】
・2015年04月18日【筑前岩屋駅前の釈迦岳湧水】
・2015年04月19日【彦山山岳修行の第3窟・岩屋神社】
・2016年02月16日【巨木を訪ねて〜津江神社の樟(クス)】
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策】
・2016年06月06日【白山比め神社と弘法池】
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