2017年04月03日

菊鹿町・切通しの石仏群

Kさんの案内で、山鹿市菊鹿町上本分にある【切通しの石仏群】へ。

切通しの石仏群(1) 切通しの石仏群(2)

【仏(ほとけ)記念碑】の説明板より↓
龍徳区の松本長平氏は若い頃から信仰心厚く、74歳のときに四国八十八ヶ所詣りに行き、高野山、京都の名刹、善光寺、浅草観音、九州一円を巡礼し、明治39年(1906)7月に帰郷。
ますます信仰心が深まり、八十八体の石仏を作ることを発起。8年余り刻苦奮闘し、遂に大正3年(1914)11月、志を達成。
厚い信仰の念がなければ到底、成し得ないことである。作った八十八体の石仏は菩薩像の左右に並べ祀る。
長平氏は本年(1915)88歳で、残り幾ばくも無いので、松本家関係者が相談し、氏の特志を後世に伝えるために八十八体石仏の由来を記すために記念碑を建設する。
大正4年8月

我が松本家も祖父の代まで菊鹿に住んでいましたが、たぶん関係ないと思います(´▽`;)

切通しの石仏群(3) 切通しの石仏群(4)

写真:左=この仏様、変わったポーズしてるな〜と思いきや・・・立てられ方が間違ってる! 左に90度倒してください〜 涅槃像ですヨ!

写真:右=無造作に転がされているようなのに、この石に榊が供えられていました。ご近所の方かな?

切通しの石仏群(5) 切通しの石仏群(6)

切り通しの壁面に並ぶ石仏群は、この石碑に刻まれている「八十八体」ではないかと思われますが、ずいぶんと数が減っています。
不届きものが盗んでいったのでしょうか。

ネットで調べても公式のページが見つからなかったのですが、個人のブログがいくつかヒットしました。
それによると、この石仏には干支が彫られているものがあるらしく(現在では確認できません)、自分の干支を拝むとご利益が得られるという評判が広がり、ついには持ち帰ってしまう者が続出してしまったらしい・・・。
真偽のほどは分かりませんが、石仏は今、三十体ほどしか現存しないのは事実です。

切通しの石仏群(8) 切通しの石仏群(7)

それにしても、何故わざわざここ(岩隈山)を切り崩して道を通さなければならなかったのでしょうか?
山と言っても低いし小さいし、ほんのちょっとで、山を回り込むように道があるのです。西方寺や松尾神社へも近いし、おそらくそちらの道の方が古くから存在したと思うのですが。
※松尾神社は、大同2年(807)に山城国(京都府)葛野郡の松尾大社から勧請し創建

切通しの石仏群(9) 切通しの石仏群(10)

完全なカタチの石仏は数少なく、ほとんどがどこかしら欠けています。

切通しの石仏群(11) 切通しの石仏群(12)

切り通しの崖はコンクリートを吹き付けられていますが、以前の面影を遺すように凹みがあちこちに見られます。
かつては、その全てに石仏が安置されていたものと想像するのですが、今ではうつろな空洞です。

切通しの石仏群(13) 切通しの石仏群(14)

どの石仏も表情が澄んでいて、まさしく悟っておられるかのようです。
今ここにはいなくなってしまった石仏のことも、お見通しなのでしょう。

撮影:Nikon COOLPIX P900


切通しはGoogleMapに載っていなかったので、松尾神社の場所を貼っておきます。
それなのに松尾神社に参拝してなくてすみませんm(_ _;)m


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タグ:史跡 石仏
posted by しう@SOTO at 23:48 | TrackBack(0) | 熊本
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