2017年05月11日

古墳めぐり〜福岡・八女丘陵古墳群(前編)

約2ヶ月ぶりの再訪となった【岩戸山古墳】、今回(2017年04月04日)はKさんと同行!\(^o^)/

岩戸山古墳(1) 岩戸山古墳(2)

古墳周辺の様子や【八女市岩戸山歴史交流館 いわいの郷】(入館無料)館内については前回の記事(2017年02月14日【岩戸山古墳】)を参照していただくとして、今回は北側に位置する【吉田大神宮】をメインにご紹介します。

岩戸山古墳(大神宮/1) 岩戸山古墳(大神宮/2)

4月初旬といえば例年なら満開もしくは散り始めの頃ですが、今年の桜は遅くて咲き始め。
鳥居から参道にかけて、お花見ができるようです。トイレもありました。(綺麗とは言い難い)

岩戸山古墳(大神宮/3) 岩戸山古墳(大神宮/4)

ずら−−−っと石仏が並んでいました!
昔は神仏習合だったのでしょうね。おそらく八十八ヶ所廻り風に古墳の周りに点々と置かれていたものを、ここに集めたのではないでしょうか。

岩戸山古墳(大神宮/5) 岩戸山古墳(大神宮/6)

こちらが吉田大神宮。見事な玉石積みの石垣!
こうした丸石の石積みは八女近郊でよく見かけます。(2017年01月19日【夜明という名の地区を守る志賀神社】など)

岩戸山古墳 - Wikipedia によると、現在は墳丘脇に鎮座していますが、古くは後円部墳頂に鎮座していたらしいです。古くっていつだろう??

岩戸山古墳(大神宮/7) 岩戸山古墳(大神宮/8)

後円部へ登って行くと、奥宮っぽいお社があり、そのお宮を正面に見て右側の墳頂には、クロキがご神木のように玉垣で囲われていました。
石碑には「大神宮■跡」の文字。なんて読むのか分からないけど、たぶんここが大神宮がもとあった場所ですね。古墳(筑紫君磐井墓)後円部墳頂だから、それはちょっとマズイんじゃないか〜って遷座したのかも。

この大神宮についての記述がなかなか見つからなくてネット検索していたら、福岡県八女にまつわる歴史、人物伝などを書いていらっしゃるブログがヒットしましたので、興味のある方はそちらをご参照ください。
善知鳥吉左の八女夜話〜夜話 788 岩戸山の大神宮奉納の歌巻〜
蛇足ですが、個人的に凄い人を見つけてしまった気持ちです(笑)


石人山古墳(1) 石人山古墳(2)

資料館で「八女丘陵古墳マップ」をいただき、続いては【石人山古墳】(国指定史跡)へ。岩戸山古墳の西側、直線距離で約4kmといったところです。
【広川町古墳公園資料館(こふんピア広川)】も入館無料!

石人山古墳 - Wikipedia

石人山古墳(3) 石人山古墳(4)

出土した様々な遺物、四獣鏡や銀象嵌柄頭、土器などが展示されています。
ゆっくり鑑賞し、いざ古墳へ。

石人山古墳(5) 石人山古墳(6)

紙垂(しで)が張られ「石人社」と木版を掲げた、物々しい雰囲気のコンクリ製の小屋には、武装石人が立っていました。
高さ約1.8m、三角板短甲と草摺をつけ、左脇には石刀を帯びるための抉り込みが見られます。
風化が激しいけど、その佇まいは堂々とした風格を放っています。

どうしてここまで風化したのかというと、その昔、手足や腰、肩などに痛みがある人が石人の同じ所を撫でると治ると信じられていたためなのだそうです。

【石人山古墳】の名は、この石人から名づけられたものです。この後に紹介する家型石棺から名づけられてもおかしくないのに、どこか頼もしさを感じる石人の存在感、また人々の信仰心が勝ったのでしょうか。
石人からは、誇らしげな氣が漂っています。

石人山古墳(7) 石人山古墳(8)

いよいよ、最古期の装飾古墳として名高い家型石棺へ。

写真:左=建物内部。石室は江戸時代に開口され天井部は失われたため、こうして補強してあります。
ドーム型の屋根の上の方に、落書きが!(相合い傘・・・)

写真:右=温度/湿度を計測する機械が置かれていました。

石人山古墳(9) 石人山古墳(10)

鉄格子の影が映ってしまうのが残念・・・。
とても立派な家型石棺には、直弧文や重圏文のレリーフがはっきりと残っています。よく見ると、色彩もうっすらと確認できます。

この石棺は、筑紫君磐井の祖父の墓と推定されていますが、果たして真相は?
そして筑紫君磐井の父は?

石人山古墳(11) 石人山古墳(桜)

写真:左=古墳の前方部から西へまっすぐ延びる道。この道はどこまで続くのか?Kさんと顔を見合わせて「やめておこう」(笑)

写真:右=石人山古墳周辺の桜は、ちょうど見頃でした! 誰も花見に来ないなんて〜穴場かも( ´艸`)

勾玉づくり

資料館で、Kさんが「勾玉づくりセット」を買ってくれました〜ヾ(*´▽`*)ノ
大500円、小300円。大はホントに大きくて直径6〜7cmはあったので、小さい方にしました。

ピンク色の方は、新潟県の胎内にある資料館で買ったもの。(2012年06月22日【道の駅『胎内』を満喫】)
まだ磨いている途中で放置してたのを思い出して(笑)一緒に磨きました。
石の名前は忘れてしまったけど、けっこう柔らかくて磨きやすいし楽しかったですよ♪

弘化谷古墳(1) 弘化谷古墳(2)

【弘化谷(こうかだに)古墳】は、石人山古墳から歩いて行けなくはない距離です。さっきの真っすぐな道は西側に延びていましたが、ここは東側なので反対側です。こちらにも駐車場とトイレがあります。

弘化谷古墳は円墳で、彩色壁画と彫刻文様が鮮やかに残っていることでも有名。もちろん国指定史跡。
1970年、果樹園造成中に偶然発見されたそうです。最近じゃないですか!

弘化谷古墳(3)

4月9日に内部公開だったのですが・・・わたしもKさんも予定があって、再訪は断念しました(T_T)
広川町古墳公園資料館にあったレプリカで我慢。

埋葬施設はやや胴張りのある横穴式石室で、片岩の割石が積み上げられ、内部には埋葬者を安置する石屋形が設置されていた。石屋形の奥壁や側壁には赤や緑色で円文・同心円文・三角文・双脚輪状文・靫が描かれている。古墳発見時に石室の3分の1は破壊されてしまったが、後に復元整備され、保存施設が建てられ壁画が保護されている。

注目されるのは、文様の中に「双脚輪状文」が存在することである。この文様は全国でも4例しか確認されておらず、非常に地域色の強いものである。また、同じく肥後系の内部施設である石屋形の存在も併せて、本古墳の被葬者と肥後地方との強い関わりが考えられる。

弘化谷古墳が造営された時期は、石室が単室であるなどの特徴から、八女市の丸山塚古墳よりもやや先行する6世紀中頃と推定されている。

弘化谷古墳 - Wikipediaより)


Kさんとの史跡めぐりは次がラスト、八女古墳群 後編です。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2017年02月14日【岩戸山古墳
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり
・2017年03月23日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(前編)
・2017年03月25日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(後編)
・2017年04月08日【熊本県内装飾古墳 春の一斉公開


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posted by しう@SOTO at 18:23 | TrackBack(0) | 福岡
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