2017年03月25日

菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(後編)

Kさん案内の史跡めぐり。熊本地震の影響により中止となった【菊池一族と延寿鍛治展】が改めて2017年4月1日〜5月7日に開催されるので、菊池一族に関連する史跡・お寺・神社をピックアップしてお送りする後編です\(^o^)/

神尾城趾(1) 神尾城趾(2)

七城町水次(みつぎ)にある菊池十八外城のひとつ、神尾(水次)城趾。実はここ、古墳なんです! 古墳の上に山城が築かれたのです。

写真:左=トラックが停まっているのは、地震で慰霊碑が傾いたため修復作業をしていたからです。
写真:右=額束には「阿蘇三社」と刻まれていました。この三社宮は、応永2年(1417)十七代菊池兼朝公の勧請によるものといわれています。

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菊池兼朝公墓 義光・則光公の墓

写真:左=さて、その兼朝公墓がこちら。ここには道に迷って偶然6年前に訪れています。
左側の近代の墓は、城氏のお墓です。

写真:右=道向かいには【神嶽山 正善寺】跡、阿弥陀堂(長福寺跡)がありますが閉まっています。周囲には菊池兼朝公の供養塔や義光・則光公の墓、五輪塔などが無造作に置かれていました。

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増永城趾 砂田若宮神社

写真:左=七城町砂田にある、菊池十八外城のひとつ【増永城趾】。珍しく平城で、面影を遺すものはほとんどありません。
この石塔は「西郷さんの墓」と呼ばれている五輪塔。

この集落は「西郷」といい、初代城主、西郷太郎政隆は菊池氏初代・則隆の子。その西郷政隆は、なんと西郷隆盛の祖先!
二十六代 西郷九兵衛昌隆のとき薩摩に移り住んだという記録があり、三十二代目が西郷隆盛となります。西郷隆盛が奄美大島に潜居している間、「わが源は菊池なり」という意味をこめて「菊池源吾」と名乗っています。

来年の大河ドラマは「西郷(せご)どん」なので、そちら方面に興味のある方も是非、訪れてみてください。

写真:右=西郷政隆によって建立された砂田若宮神社。すぐ近くには菊池則隆が建立した羽根木八幡宮も鎮座しています。位置的に、どちらも城内にあったのかも。
「西郷南州(隆盛のこと)先生祖先発祥之地」という石碑も建てられています。

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馬渡城趾(1) 馬渡城趾(2)

七城町亀尾にある菊池十八外城のひとつ【馬渡(まわたし)城趾】。別名を蛇塚城といい、代々蛇塚氏の居城であったといわれています。
水運を利用して人馬や物資を運搬・集積する要衝の地であったようで、「馬渡し」という名もそこから付けられたようです。

このお城も、古墳(前方後円墳)の上に建てられています。菊池一帯はホントに古墳だらけ。小高い丘の上に築かれる山城にはうってつけ(笑)
菊池川流域では珍しい円筒埴輪が出土しており、今も頂上付近には石室と思われる巨石や埴輪の破片がゴロゴロしてます。

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打越城趾(1) 打越城趾(2)

写真:左=県道53号線(七城町蘇崎)沿い、打越愛染明王堂の脇から階段があります。
防火水槽の上にお堂が建っているというのも滅多に見れないですよ(笑;)

写真:右=上った先には、菊池十八外城のひとつ【打越城趾】の石碑。綺麗に掃除されています。
樹々や竹が生い茂り眺望はありませんが、意外と高台なんです。

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台城跡(1) 台城跡(2)

※2017/04/03追加です
菊池市七城町台字城ノ上にある、菊池十八外城【台(うてな)城跡】。

以下、案内板より↓

別名「水島城」と呼ばれ、一時期は台地の下の村落名にもなっていました。
台大地の突端部にあり、北東は八筈(やはず)の山地に連なり木野・内田の両川が脚下を流れる天然の要害です。打越城と対峙して中間に馬渡・正光寺・増永の三城と連携して、玉名・鹿本方面からの敵に備えました。
十八外城の中で特に重要であった(戦いの場になることが多かった)ようで、城主は決まっておらず交代制だったようです。

十五代 武光、十六代 武政を相次いで失い、若干12歳で頭領を継いだ十七代 武朝(加賀丸)は、翌 天授元年(1375)、九州探題 今川了俊(りょうしゅん)率いる軍勢をこの城で迎え討ち、数万の軍勢を二千騎で撃破しました(水島の戦い)。
この戦いは激戦であったことで有名であり、その激戦のあまり、自軍の矢が尽きたあと、敵の放った矢を取って放ったということから、大地の下の内田川一帯は「矢取(やとり)」と呼ばれています。

また、この城も古墳の上に建っていました。

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年賀塚跡(1) 年賀塚跡(2)

写真:左=大元帥陛下駐蹕之處と年賀塚跡(御野立所趾)。
【大元帥陛下駐蹕之處】とは、昭和6年に昭和天皇が陸軍大演習を見に来られたという、それだけで建った碑。

【年賀塚】は、菊池武光が戦の帰途、正月を迎えたのでここで戦勝祝賀を開いたことに由来します。
地元の方が削りに削ってゲートボール場にしてしまい、申し訳程度にしか遺っていない(T▽T)

そしてここも古墳(小野崎古墳)。この地域を治めた有力豪族の墓ではないかと考えられています。
さらに整備事業にともなう発掘調査で、この一帯から多くの住居跡や鏡、鉄器や土器類が出土したことから弥生時代の大規模環濠集落であったと考えられています。

写真:右=眺めが素晴らしいです!

ところで、【大元帥陛下駐蹕之處】石碑の隣に「ピー!」って鳴る装置? コンプレッサーを利用した手づくりっぽいものがあるんですよ。定期的に「ピー!」って大音量で鳴るんですよ。お米の収穫時期なら解らないでもないけど、いったい何のために???

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松島遺跡(1) 松島遺跡(2)

写真:左=年賀塚跡からも見えるほど近い、松島遺跡。ここも公園になっていますが、駐車場がなかとです。

写真:右=元々はお寺があったそうで、松島に住んでいた菊池武光公の側室のお墓がこちらだといわれています。近くの丸い石は歴代住職のお墓だそうです。

松島稲荷神社(1) 松島稲荷神社(2)

GoogleMapに松島遺跡は載っていなかったので、松島稲荷神社を目印においでください。
写真:右=猿田彦石碑を支えている石、もしかして五輪塔なんじゃないの!? 梵字も刻まれてるし・・・。無造作すぎる。

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菊池一族ゆかりの地は、以上です。って、ホントはまだまだあるんですが案内してもらいきれない(笑)
次回は大好きな巨木で〜す!ヾ(*´▽`*)ノ

撮影:Nikon COOLPIX P900

*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月17日【北宮阿蘇神社
・2011年01月18日【菊池三十三観音札所『九儀山大琳寺』
・2011年01月25日【菊池兼朝公の墓?
・2011年02月14日【円通寺史跡公園
・2013年01月08日【菊池神社歴史館
・2014年04月02日【前川水源と亀尾城址
・2014年04月09日【円通寺とシャクナゲ園
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月23日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(前編)

※もっと詳しく知りたい方は【熊本県菊池市カテゴリ】をご覧ください(^人^)

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【キャンピングカー放浪旅生活】と銘打っていながら、2016年度は地元・熊本で活動しておりますm(_ _)m








posted by しう@SOTO at 18:17 | TrackBack(0) | 熊本県菊池市
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