今回もまた1日で20ヶ所くらい訪れたので、何回かに分けてご紹介します。
今日は、熊本地震の影響により中止となった【菊池一族と延寿鍛治展】が改めて2017年4月1日〜5月7日に開催されるので、菊池一族に関連する史跡・お寺・神社をピックアップしてお送りします\(^o^)/
菊池で史跡めぐりをしていていつも思うけど、菊池遺産≠ニか教育委員会が看板を立てているものの、そこに至るまでの沿道に案内板があんまりないんですよ。どう行けばいいのかサッパリ。現地に着いていきなり看板ですもん(´Д`;)
今回は1ヶ所ずつGoogleMapへのリンクを貼ってみました。


菊池市深川にある、菊池氏初代・則隆公の居城跡といわれている【菊之池城(深川城)跡】。畑というか空き地の真ん中に石碑が鎮座しているだけですが・・・。
駐車場もないので、路肩に停めて歩いて行きました。
則隆公は藤原政則の子なので、藤原則隆と記されることもあります。一説には中納言・藤原隆家の孫ともされていたり、出自は不明瞭です。
(菊池則隆 - Wikipediaより)


同じく深川にある、菊池則隆公墓。
以下、案内板より↓
菊池則隆は大宰府天満宮領赤星荘園の荘官として延久2年(1070)、この肥沃で水運の便のよい菊池平野の一角、深川に拠って居城を構え、地名をとって菊池を氏とした。
深川は穀倉地 菊池の中心であり、当時は佐保川から菊池川本流に通じる交通の要衝でもあったので、この地を拠点に勢力を伸ばし、早鷹天神(菊池市赤星)・老松天神(西合志町弘生)・山崎天神(熊本市)・田口天神(甲佐町)および玉名市の川崎・高瀬・津留の天神を勧請した。これらは菊池氏が荘園の防備・保全のため勧請した荘園神でもあり、荘園内で押領など不法を働く荘官・住人に対し天神の怨霊の力を示すものでもあった。この地には南北朝のころまで累代居館が続いた。
則隆の墓は文化15年(1818)に創建され、明治・大正の工事を経て現在の状態になった。
写真:右=大樹の根元に立てかけられているのは、石棺の蓋ではないかといわれています。だから、こうして遺してある訳ですが・・・無造作すぎる(;つД`)
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写真:左=菊池則隆公墓の裏手に建つ【菊池氏発祥の地】石碑。
写真:右=ほぼ道向かいにある【菊之池跡】。
以下、案内板より↓
菊池初代則隆が菊池に下向したとき、この深川に館を構えた。『菊池餘芳』によれば、「深川村に広大なる池あり。其形花様をなし、池辺一体菊花乱開して紅白爛漫たり。則隆公即ち名付けて菊の池と称せり。且つ此池池水漫々として漲り、旱魃の際、河水乾涸するも池水は尚涸るることなく郡中の田を濕せり。
是れ当家を起こすの吉端なりとて則隆公即ち氏を菊池と改め、其城郭を菊の城と称し、郡も菊池と称えたりと云ふ。
湧水は現在は涸れて人工池になっています。
元からあったのは手前の池だけで、奥の池は公園として整備するときに新たに造ったらしい。余計なことを・・・!!


菊池三十三観音 第十五番札所【延命山観音堂】。すっかり寂れ果てています。おそらく訪れる人もないのでしょう。向かいの家も、空き家になっていました。
近くには放置されたように石塔がいくつかあり、中には他所の地区名が刻まれているものもあって、どういう経緯でここに持ち込まれたのか謎が深まるばかりでした・・・。
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菊池五山のひとつ【無量山 西福寺】。先日(2/15)訪れた、同じく菊池五山のひとつ【手水山 南福寺】が廃寺となり落書きだらけの姿を見てしまった後だけに、今なお続いていることに感激しました。
写真:右=半鐘がありました!低い位置にあるし錆びているので現役ではないにしろ、珍しいです。


写真:左=赤星氏の祖で、菊池武房公の弟・赤星有隆公のお墓。蒙古襲来(元寇)では文永の役や弘安の役で活躍しました。
写真:右=「藤原有隆 ■暦二年卯丁 七月三日死去」の文字が。亡くなられた時点では、姓は赤星ではなかったんですね?


ちょうど、お寺の方が出ていらして、本堂に上がらせていただけました!
文明13年(1481)の秋に開かれた、一日一万句の連歌の会(菊池万句)で詠まれたという歌も飾られていました。
26日には護摩焚きが行われるそうです。


神仏習合の名残りで、隣接して西寺八幡宮が鎮座しています。
屋根の側面を守るユーモラスな鬼飾り? こういうのも珍しい。破風の彫刻も見事でした!
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西福寺から西に約200m、【菊池一族と延寿鍛治展】の主役とも言うべき延寿太郎国村の屋敷跡があります。
菊池武房によって招かれた延寿国村が京都の八坂神社の銅鏡を守護神としたという縁から、後にこの八坂神社が建てられ延寿大明神≠ニして国村とその父・弘村が祀られています。
延寿は同田貫(どうだぬき)とともに肥後における代表的刀工で、菊池武重が大量に造らせた「菊池千本槍」が名高い。
写真:右=左側は、破風に施された家紋。右側は猿田彦石碑なのですが、立てかけてある竹が面白かったので。これは「カラカラ」と鳴らすためのものなのか、それとも水筒を模したものなのか? 何故ここにあるのか? 旅の友ということなのか?(猿田彦は道案内の神様でもある)
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次回へつづく♪
撮影:Nikon COOLPIX P900
*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月17日【北宮阿蘇神社】
・2011年01月18日【菊池三十三観音札所『九儀山大琳寺』】
・2011年01月25日【菊池兼朝公の墓?】
・2011年02月14日【円通寺史跡公園】
・2013年01月08日【菊池神社歴史館】
・2014年04月02日【前川水源と亀尾城址】
・2014年04月09日【円通寺とシャクナゲ園】
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり】
※もっと詳しく知りたい方は【熊本県菊池市カテゴリ】をご覧ください(^人^)
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