2017年02月23日

菊池の古墳・史跡めぐり

去る15日に案内していただいた巨木・史跡めぐり、残りを駆け足で紹介します。

南福寺 駒留めの桜

菊池市出田【南福寺】
菊池市指定文化財。文化財なのに、この寂れよう! 落書きだらけ(´Д`|||)
写真:右=武士たちが馬をつなぎとめたとされる【駒留めの桜】の、左側の芭蕉?が・・・(^x^;

菊池武光公が、鎌倉五山や京都五山にならい定めた「菊池五山」のひとつ。
せめて桜の時季には綺麗にしてほしい。

出田鬼石古墳(1) 出田鬼石古墳(2)

菊池市出田【出田鬼石(いでたおにいし)古墳】
菊池市指定文化財<史跡>
は羨門(せんもん)、羨道前室(せんどうぜんしつ)などを備えた横穴式石室で、巨石のみを使用していることから「赤星ヤンボシ塚」と同時代(6世紀)のものといわれています。

小高い丘の側面、静かな竹林に囲まれたこの場所を、よく見つけたものだと思います。
現在は雑草に覆われていて、パっと見て古墳だとは気づきづらい。

古池城趾(1) 古池城趾(2)

菊池市出田【古池城趾】
菊池市指定文化財<史跡>
菊池十八外城のひとつ。出田鬼石古墳から、丘をほんの少し登った頂上にあたります。ということは、古池城趾は古墳の上に建っていたんですね。

『菊池風土記』によると「出田村に在り 出田太郎代々居す。十八外城の内、今城跡を俗に鬼石という」と記されており、『肥後国誌』には天正年中(1573〜1592)まで城 親賢(ちかまさ)が在城したと伝えられていますが、一説では天文(1532〜1555)頃まで親賢の父、親冬(ちかふゆ)が在城したともといわれています。

出田堂坂横穴墳墓(1) 出田堂坂横穴墳墓(2)

菊池市出田【出田堂坂横穴墳墓】
菊池市指定文化財<史跡>
ここも、出田鬼石古墳の近くです。
20数個の横穴墓があり、その一つは全長5m、玄室3.38m×1.75m以上にも及びます。羨門や羨門外の飾り縁(羨門の外に造られた段状の飾り)があり、左右と奥正面の一段高い所に屍床が設けられています。
副葬品は、羨門外部から須恵器のツマミのある蓋付きの坏(つき)6個と碗の蓋が出土。また首が欠けている横瓶(よこべ)もあり、手擦れの跡から被葬者が長年使用した愛用品であったと思われるそうです。蓋や身に線刻文入りのものや底面にメ線刻文入りのものもあることから、古墳時代後期(6世紀頃)のものと推測されています。(菊池市HPより抜粋)

菊池市および菊池川流域には、こうした横穴古墳があちらこちらに見られます。

木柑子二ツ塚古墳(1) 木柑子二ツ塚古墳(2)

菊池市木柑子(きこうじ)【木柑子二ツ塚古墳】
通称「フタツカさん」。6世紀後半頃に築造したと思われ、この写真では分かりづらいですが裏手に廻ると確かに前方後円墳の面影を遺しています。
石室は盗掘に遭ったのか破壊され、石が散乱していました。

ここには古墳マニア垂涎の、何とホンモノの石人が今なお佇んでいます!!(場所は変わっているらしい)
かなり破損していますが、どこか胸を張った誇らしげな姿にも見えます。よ〜く見ると、指が6本あるのも特徴です。頭部はどうも後から付け替えられたようで石質が違います。
この石人は熊本県指定文化財に指定されています(なのに無防備に雨ざらし)。
田園風景の中にあり、畑の主からは「何しに来たの?」という目で見られるくらい地元では一切注目されていません(´▽`;)

円通寺(1) 円通寺(2)

菊池市旭志【円通寺】
石楠花(しゃくなげ)で有名なのですが、数々の石仏があり「八十八ヶ所めぐり」ができるように造られています。(現在は、土砂崩れなどですべてを見ることができなくなっています)

円通寺に関しては、過去ブログ記事に詳しく掲載しています↓
・2011年02月14日【円通寺史跡公園
・2014年04月09日【円通寺とシャクナゲ園

六地蔵(1) 六地蔵(2)

【六地蔵】
菊池市内には、神来(おとど)集落の六地蔵福本六地蔵尊など点在しています。
こちらの六地蔵は、【姫井の水天神】から【平(たいら)菅原神社】への道すがらにあったものです。
六角柱で、六体のお地蔵様が彫られています。

鞍嶽山善光寺(1) 鞍嶽山善光寺(2)

菊池市平【鞍嶽(くらだけ)山 善光寺】(湯の山薬師)
真言宗の古寺。『肥後国誌』によると大同元年(806)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が筑後国に清水寺を建立していたとき、夢に感じて鞍嶽(鞍岳)の麓に善光寺を建立したと伝えられています。

訪れる人もなく閑散としていますが、五輪塔が建ち並ぶ参道は重厚な空気に包まれています。
お堂にはご本尊である薬師如来、日光・月光菩薩と十二神将が祀られており、中でも薬師如来は行基の作と云われ、7年に一度ご開帳されるそうです。それっていつ!?

明応4年(1495)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が有名ですが、お堂の裏手にある台座に建っている謎の石碑も気になるところ。

キリシタン墓 ヤンボシ塚

写真:左=菊池市旭志【村上家の墓・キリシタン墓】
津留区墓地公園の一角。村上家は、宮本武蔵 亡き後、その武蔵流兵法を受け継ぎ、二天一流の兵法をおさめる家柄でした。

キリシタン墓地には隠れキリシタンと見られる墓碑が現存しており、背面に十字架が彫られている墓碑もあります。菊池市では、キリシタン墓も数カ所で発見されています。

写真:右=【村上家の墓・キリシタン墓】に隣接する【ヤンボシ塚】。赤星のヤンボシ塚とは別です。

菊池武重公墓(1) 菊池武重公墓(2)

菊池市亘【菊池武重公墓】
菊池武重 - Wikipedia
菊池一族の第13代当主、菊池武重(1307〜1341)公の墓所。墓石が亀趺(きふ=中国における伝説上の生物「贔屓(ひいき・びし)」のこと。)に乗っているのは珍しく、熊本県内では菊池市にしかないそうです。
日本では多くの亀趺は江戸時代に造られているのだとか。

この墓は、中村庄右衛門という人が薮の中に石を積み上げただけの塚のようなものを発見したのがはじまり。庄右衛門が独自に調べて「これは菊池武重公の墓に違いない!」との結論に至り、こんなに寂れているのは忍びないと私財を投じて元禄3年(1690)に建立したのだそうです。なるほど江戸時代ですね。

ちなみに菊池武吉公墓(楠木正成公墓)の図面を取り寄せて造られたとのことで、武吉公、武光公、武朝公と同形となってます。
ん? 何で菊池武吉公墓=楠木正成公墓になってんの?
実は武吉公は楠木正成公と一緒に(正成公以下御一族等の墓所)祀られているからなんだそうだ。

一時代を築いた菊池一族ですが、その菊池家歴代当主の墓は決して立派なものではなく、山中にひっそりと佇んでいたりします。分かっているならまだしも、未だに発見されていないものもあるのです。
栄枯盛衰、諸行無常の響きあり・・・。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用

*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり
・2017年04月03日【菊鹿町・切通しの石仏群

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【キャンピングカー放浪旅生活】と銘打っていながら、2016年度は地元・熊本で活動しておりますm(_ _)m









posted by しう@SOTO at 22:48 | TrackBack(0) | 熊本県菊池市
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