鞍岳を過ぎて水源近くを通っていたら、菊池遺産(有形文化遺産)文殊菩薩堂を発見!
ここは菊池市伊牟田という地区です。


文殊菩薩は「三人よれば文殊の知恵」でおなじみ、智慧を司る仏様です。
日本に「文殊菩薩」の像は、この伊牟田の文殊さん以外には3体しかないらしい!?
(奈良の興福寺東金堂の坐像(定慶作、国宝)/安倍文殊院の五尊像(快慶作、重要文化財)/高知の竹林寺の五尊像(重要文化財)文殊さん祭り - FLCパートナーズストアより)
地元の伝説によると、菊池一族「赤星有隆」の次男「兵部允」が、菊池家没落の折り、四国の阿波国に落ち行き「大賢坊」と名を改め、天文(1532〜1555年)の始め頃「文殊菩薩像」を持ち帰り伊無田(現:伊牟田)に祀られたと伝えられています。
(2015菊池遺産ガイドブックより)


手水石に刻まれた文字、苔でちょっと見づらいけど「■和八年」かな? ということは年号は「元和」?
石碑に「庚申(かのえさる)」って書かれてるから庚申の年なんだろうとネットで調べてみたけど、元和八年は「壬戌(みずのえいぬ)」。
「まさか昭和?」と思ったら、昭和8年は「癸酉(みずのととり)」だった(´・ω・`)
庚申(かのえさる、こうしん)
庚申は干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることも多かった。例えば万延元年(1860年)と文久元年(1861年)などである。(庚申 - Wikipediaより)
庚申塔(こうしんとう)
中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。(略)
庚申塔には街道沿いに置かれ、塔に道標を彫り付けられたものも多い。さらに、塞神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあった。(庚申塔 - Wikipediaより)
なるほど、文殊菩薩堂とは関係なさそう。
手水石の2行目には当時の地名「伊無田」と刻まれてますね。


毎年11月(お社を建築した11月29日に近い日曜日)に「文殊さん祭り」が執り行われます。
・「シリーズ菊池遺産」の記事一覧(と言っても45以前は不掲載)
・2013菊池遺産ガイドブック
・2015菊池遺産ガイドブック
撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
*SOTO Home Page*
Twitter┃Facebook┃Instagram┃YouTube┃フォトライブラリー
*+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
*全国道の駅情報+SOTO+

【キャンピングカー放浪旅生活】と銘打っていながら、2016年度は地元・熊本で活動しておりますm(_ _)m