

いつも前を通り過ぎていた【小国両神社(宮原両神社)】へ、初めて参拝しました。駐車場は、写真の向こう側にありました。
ユーモラスな狛犬さん。その姿とは裏腹に苔むして歴史を感じます。


写真:左=境内へは3方向から入れます。正面の鳥居の脇には、立派なイチョウが! 黄葉の時季は見事でしょうね。今月末くらいかなぁ?
写真:右=由緒書き。主祭神は、小国郷を開拓した高橋の宮(高橋大神)・火の宮(火宮大神)と、その母神である雨宮(雨宮媛命)。
以下、由緒書きより↓
社記によれば太古の昔、高橋神・火宮神の御兄弟は父祖・阿蘇大神より小国郷開拓の命を受け、農耕を起こし、衆庶に衣食住や殖産興業などの生活根源を教え、郷土開発先駆の多大な功績を残された。
この御聖徳と御功業を敬仰し、第十六代反正天皇の御代に火宮大神を祀り、これより両神社の御社名が始まったと伝わる古社である。
つまり阿蘇神社の御祭神 健磐竜命(たけいわたつのみこと)の孫神様が小国を開拓されたんですね。


写真:左=素晴らしい楼門!
写真:右=ご神木の、三本杉。
由緒書きによると、社司年代記に「平安朝の天暦元年(947)や鎌倉時代の弘安四年(1281)造営。応仁文明の後兵乱相続き社殿廃毀焼亡」とありますが、古文書も焼失したため詳細は不明です。
本殿は元禄二年(1689)再建。
大正二年(1913)、改築のため宮山を切り開き本殿を解体移築し、拝殿・楼門を新築。
平成三年(1991)台風19号のため倒伏の杉大木により、楼門倒壊。本殿屋根、社務所大破するも平成九年に再建竣功。
神社信仰が薄れてきた平成の世にあって、これだけの規模を再建するなんて・・・!


写真:左=楚として堂々たる佇まいの拝殿。
写真:右=境内には【天神社】【祇園社】【多賀社】も祀られていました。
10月には、250年以上続く秋季例大祭が行われます。
以下、由緒書きに明記してあった日程です。
十月十四日 御本祭 高橋大神祭および献弊式
十月十五日 御本祭 火宮大神祭
十月十六日〜十八日 御神幸祭
十月十九日 御遷座祭

さぁ帰ろうかと駐車場に戻ったら、「両神社と富くじ」という看板が。以下、看板より↓
江戸時代の文政元年(1818)より両神社で「富くじ」を行うことが許された。
この頃、宮原上町(現在の一番街)で造り酒屋を営む湊屋橋本順左衛門は、毎朝、早起きして井川(現在のけやき水源)で手を洗い身を清め、太古から湧き出る水を祀る水神様に自然の恵みを感謝した。そして小国郷の氏神である両神社へ参拝し、天下の太平と商売繁盛を祈ることを日々の勤めとしていた。
ある日の朝方、湊屋順左衛門は、けやき水源に小さな舟が流れに逆らい入る夢を見た。湊に舟が入ることを吉兆と感じた順左衛門は「富くじ」を買い、見事に大乙〔一番くじ〕を当てた。湊屋順左衛門の正夢の話を聞いた郷内城尾村市郎右衛門は、毎朝、一里の道をけやき水源に通い水神様と両神社に「一番くじ」を願って祈り続け心願成就し、両神社富くじと久住宮富くじに四回大乙〔一番くじ〕を当てたのである。
このことから、両神社の高橋宮・火宮の二祭神は「千両・万両の神様」と呼ばれるようになった。
その後富くじは年毎に盛んになり、嘉永より安政年間までの十年間に七十六回も行われたと古文書に記載されている。
明治維新となり、両神社の富くじは無くなったが、今も祈願者に開運招福を授けて下さるのである。
拝殿に置いてあったチラシとスタンプはこのことだったのね!
これは是非とも祈念せねば!(ヨコシマ)


という訳で、福運三社めぐりスタートで〜すヾ(*´▽`*)ノ
撮影:Nikon COOLPIX P900/ラスト2枚のみスマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
*小国町&南小国町に関連する過去ブログ記事
・2012年04月06日【杖立温泉の鯉のぼり】
・2014年01月07日【阿蘇のストーンサークル? 押戸ノ石 石群】
・2015年04月17日【鉾納社(宝来吉見神社)】
・2016年02月20日【巨木を訪ねて〜南小国町・湯田天神宮の榧】
・2016年08月12日【下城公孫樹と遊水峡】
・2016年09月09日【裏見の滝・鍋ヶ滝】
・2016年09月09日【小国郷のシンボル・阿弥陀杉】
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