

先日、スズラン自生地を見たあと、ちょっと足を伸ばして大分県竹田市にある国登録記念物【白水(しらみず)の滝】まで涼みに行って来ました。
白水の滝は、大分県竹田市荻町陽目から熊本県阿蘇郡高森町にわたる大野川の源流にある、高さ約38mの滝です。
阿蘇山系の伏流水が岩盤から湧き水となって幾筋も流れ落ちていて、その滝水が白く見えることから「白水の滝」と呼ばれるようになったそうです。
他に、99本の滝筋があり100に1つ足りなかったので「百」の文字から一の横棒を抜いて白水の滝としたとの説もあるらしい。
『豊後国志』(享和3(1803)年)にも「陽目(ひなため)瀑」として記載され、現在でも白水の滝を含む一帯の渓谷は陽目渓谷と呼ばれています。
(白水の滝 (大分県) - Wikipediaより)


写真:左=敷地内の案内図。【陽目の里(ひなためのさと)キャンピングパーク】に隣接しています。
写真:右=岩間から、どうどうと水が勢いよく流れ落ちています。ペットボトル持って来ればよかった〜〜〜(;つД`)


写真:左=右側、樹々の奥にお茶屋跡がありました。
↓以下、案内板より↓
この大地上に、岡藩主の中川氏が建てたと伝えられる茶屋の跡があります。
中川氏は、滝見物のため度々ここを訪れました。また、御郡廻りといって領内を巡視しましたが、その時、名水茶屋のあたりにあった農家に宿泊し滝見物をしています。
その頃の伝説として、『家臣に「この滝壺の大蛇を退治した者には褒美をやろう」と言うと家臣の一人が滝壺に飛び込んで底からかきまわしたので、大蛇は恐れをなして大野の沈堕(ちんだ)の滝に逃げ込んだ』という話が伝わっています。
遊歩道は全長約1kmちょっとくらいでしょうか?
途中の道すがらも、右手の岩場から細く滝のように水が流れ落ちている箇所がいくつもあります。


「おっ、もうすぐかな」と思いきや、ここから登りが続きます・・・(´Д`;)


写真:左=一瞬「えっ!?まさか、あんなところまで登るの!?」と焦った。あとで判ったのですが、通行止めになってました。
写真:右=ここは、母滝と名づけられています。なぜ「母」滝なのか、そのゆえんは記載されていませんでした。
ここで、スマホ用広角レンズを持って来るのを忘れたことに気づいた!パノラマで写してみたけどイマイチ〜〜〜(;つД`)


す〜っごく綺麗! 蒼く透き通っています!


↓以下、案内板より↓
白水の滝の特徴は、岩間からほとばしり出る湧水にあり、滝の高さは38メートルあります。
かつては、約百メートルにわたって湧水が飛び散り白く輝いて、日本一の飛泉とたたえられ、各地から多くの人々が見物に訪れました。
岡藩主の中川氏も、お茶屋を建てて清遊したと伝えられています。
(略)
明治34年に白水井路が通水し、この滝の水を取り入れて約120ヘクタールを開田しましたが、それまでは、岸壁一面に飛泉が懸かり、まったく見事なものでした。
江戸時代、ここを訪れたある学者は、この滝について「水の白きこと雪にもまさり、たとへんものなし」と感嘆し、「この滝のたたずまいは、いかに見るともあくことなし」と讃えています。
かつては、流水の様がよく似ている富士山麓の白糸の滝に対して「東の白糸、西の白水」とも称されていましたが明治時代以降の白水井路や荻柏原井路などの治水工事のために現在では流量が落ち、滝筋の数は往年ほどではなくなってしまったそうです。
水量は減っても、避暑にもってこいのマイナスイオンたっぷりな素敵なところでした♪


白水の滝から、クルマでおよそ5分ほど、川向かいに位置するところに音無井路十二号分水(円形分水)があります。
詳しい場所は、大分県竹田市九重野百木の音無井路。円筒分水、音無井路円形分水とも呼ばれています。
音無井路は、取水口から十二号分水までの約2kmが暗渠になっています。「十二号分水」という名は、この暗渠の12か所に廃土用の排出口が設けられたことから名づけられているそうです。
取水口から十二号分水までの水路は明治25(1892)年に完成しましたが、ここから三線の幹線水路に分配する水の量を巡って争うが起こるようになったことから、昭和9(1934)年に円筒分水が設けられました。
(音無井路十二号分水 - Wikipediaより)
いつの時代も、お水は大事ですね。
作物を育み、ひとを潤す命の水です。
撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
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