2016年02月23日

大津山阿蘇神社

先日、待ち合わせの時間より早く着いたので、待ち合わせ場所のすぐ近くにある、かねてより気になっていた【大津山阿蘇神社】に参拝しました。
住所は玉名郡南関町。『南関富士』とも呼ばれる大津山という、256mの小さな山の麓です。つつじと桜の名所でもあります。

大津山阿蘇神社(一の鳥居) 大津山阿蘇神社(二の鳥居)

公式サイトによると「正治元年(1199)、肥後国一宮 阿蘇神社より二柱の神様を勧請」とあります。およそ800年以上も昔のことです!
当初は、現在の南関第一小学校の椋の木のあたり(その地を「下つ宮」といいます)であったといわれていますが、その後(南北朝時代)大津山氏が領主となり入国し、応永2年(1395)に三代城主 大津山経稜(つねかど)公が、関町葉山(現在の温泉施設「うから館」の地)に改築し、朝夕参拝したそうです。
さらに、五代城主 大津山資秋(すけあき)公が、朝夕参拝に不便なため現在地である大津山(別名 つららが岳)に社殿を移したと伝えられています。

二の鳥居には「天明八年(1788)戌申 季春」と刻まれています。

大津山阿蘇神社(楼門) 大津山阿蘇神社(拝殿への階段)

写真:左=築400年ともいわれる、荘厳かつ重厚な楼門。額束には「大津山大神宮」と刻まれています。
写真:右=拝殿へ続く階段。
ご祭神は、建磐龍神(たけいわたつのかみ)と、阿蘇都媛神(あそつひめのかみ)です。

「阿蘇神社」なのに、神紋が「並び鷹の羽」でした。大津山氏の家紋なのでしょうか?(阿蘇神社は「互い鷹の羽」。余談ですが菊池一族も「並び鷹の羽」)

大津山阿蘇神社(生目水) 大津山阿蘇神社(大津山生目八幡宮)

写真:左=生目水。
池田季隆御神詠
「かげ清く
 照らす生目(いきめ)の水鏡
 末の世までも
 曇らざりけり」

元禄2年(1689)3月3日、豊後国 日田郡代 池田季隆が生目神社参拝の折、生前の平景清の徳をたたえ、また生目神社の境内に湧き出る清水に自分の姿をうつし眼病平癒を祈願したといわれる句です。

写真:右=大津山生目八幡宮
戦国時代であった天正8年(1580)、久留米の高麗台での戦の時に、七代城主 大津山資冬(すけふゆ)公の侍大将 福山出雲の家臣 金丸五兵衛は左目に矢を受けながらも自ら抜き取り、敵陣に切り込んで勝利の突破口を作りました。資冬公はその功績を讃え、家臣の全快を願い、天正9年(1581)に日向国 生目より勧請したと伝えられています。

ご祭神は平景清神(たいらのかげきよのかみ)。
源平時代、平家の侍大将であった平景清は、壇ノ浦の合戦に破れ源氏の軍勢に捕まり罪一等を滅じられ日向へ流されました。源氏の世を悲しみ自ら両目をくり抜き盲目となり生目神社の守人となり、死後、生目神社に合祀されました。

大津山阿蘇神社(大津山生目八幡宮の巨木) 大津山阿蘇神社(正法禅寺跡)

写真:左=大津山生目八幡宮のわきに佇む巨木。
写真:右=秀吉公宿泊の正法禅寺跡。北原白秋歌碑(昭和6年)、松尾芭蕉歌碑(嘉永8年)もあるようです。

隣接する大津山公園内には、秀吉が島津征伐の折、お茶を献じたといわれる「太閤水(湧水)」や、琵琶法師が語ったことで有名な【平家物語】の一説にも出てくる【大津山の関】もあります。
(ただし、関の正確な場所は実は不明で「たぶんこのへん」という感じで復元されているものです)

山頂まで遊歩道が整備されているので、次回はトレッキングウェアで再訪したいと思います!


撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)

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タグ:神社 湧水
posted by しう@SOTO at 22:27 | TrackBack(0) | 熊本
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