・2016年02月04日【松江城(八代城)跡と八代宮】
・2016年02月05日【八代ドライブ〜松浜軒〜】
・2016年02月07日【八代ドライブ〜水島・・・だと思ったら違ってた(謝)】


八代から菊池への帰路、国道3号線は混むだろうから、海沿いを三角〜玉名へ抜けて帰ろうということになり、緑川方面へ適当に走っていたときでした。
カーナビの画面に「征西将軍宮」という文字を発見! なんと素敵な偶然(*´Д`*)
すかさず「ここへ行く」にセット! 田んぼと住宅街を縫うような狭い路地を行くと、小さなお宮がありました。
真新しい鳥居、額束には、しっかり【征西将軍宮】と刻まれています。
・懐良親王 - Wikipedia


しかし由緒書きなどはなく、詳細はまったく不明です。
鳥居には「大正八年(1919)四月建築」、石柱には「皇紀二千六百年記念 西走青年團建設」と書かれているのみ。
※皇紀2600年とは、昭和15年(1940)のことです。


何かヒントがないかなと、ぐるっと廻ってみましたが、特になし・・・。
お宮もかなり寂れていて、天井板が開いてたりしました。奉納絵馬もなく、寂しい限りです。
写真:右=耕地整理記念碑
大正三年一月廿日起工
大正四年七月六日竣工
整理前 四拾町三畝九歩
整理後 四拾貳町六反五畝十一歩
住所は「熊本県宇土市走潟町」になります。宇土城趾から3kmほどしか離れていないし、元中元年/至徳元年(1384)頃には宇土氏と河尻氏の援助を得て宇土(熊本県宇土市)へ征西府を移転した(良成親王 - Wikipedia)とあるので、ここが征西府跡なのかも知れません。


【征西将軍宮】から1kmほど、緑川沿いにも小さな神社があったので、何の気なしに立ち寄ってみました。
鳥居には、大正七年(1918)十二月一日建設とあります。征西将軍宮の鳥居に刻まれた年号の1年前です。


額束の模様も似てるし、狛犬の台座にも菊池家の家紋「並び鷹の羽」が彫られているので、何か関連するのかも知れませんね。
どちらもネット検索しても特にヒットしなかったのですが、GoogleMapには載ってました!
→征西将軍宮
→平木神社
この近辺には、まだまだたくさんの南北朝関連史跡がありそうですが、それはまたの機会に・・・。
撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
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