2015年09月16日

モヨロ貝塚と北方民族博物館

すみません、写真メインで失礼しますm(_ _;)m
真面目に感想を書くと、ものすごく長くなってしまいそうなので… 追記できるかどうか(-_-;

モヨロ貝塚は、網走川河口左岸、オホーツク海のそばに位置するオホーツク文化の代表的遺跡。国の史跡に指定されている(指定名称は最寄貝塚)。
貝塚名は、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、大正7年(1918)に発見者である米村喜男衛によって付けられました。「モヨロ」とは「入江の内、あるいは所」という意味です。
モヨロ貝塚 - Wikipedia米村喜男衛 - Wikipedia

モヨロ貝塚館(1) モヨロ貝塚館(2)

モヨロ貝塚館】入館料300円。

モヨロ貝塚館(3) モヨロ貝塚館(4)

写真:左=復元された貝塚
写真:右=発見者・米村喜男衛について

モヨロ貝塚館(5) モヨロ貝塚館(6)

写真:左=オホーツク文化について
写真:右=モヨロ貝塚の復元ジオラマ

モヨロ貝塚館(7) モヨロ貝塚館(8)

写真:左=モヨロの人々の道具類
写真:右=発掘された土器

モヨロ貝塚館(9) モヨロ貝塚館(10)

写真:左=モヨロの人々の装い
写真:右=米村喜男衛さん。これ、ホントにビビった(T△T) 館内に誰もいなかったんだもん…。

モヨロ貝塚館(11) モヨロ貝塚館(12)

写真:左=竪穴式住居の内部。別室になってたので、これまた怖くて中に入れず(TロT)
熊の頭骨を積み重ねた祭壇(?)があり、反対側には胴体部分の骨も積んであります。これは信仰なのか? 単に「こんなに穫ったんだぞ!」というトロフィーか?

写真:右=オホーツク文化の変遷

モヨロ貝塚館(13) モヨロ貝塚館(14)

モヨロの墓。こちらもニセモノとはいえ人骨(以下略)

モヨロ貝塚館(15) モヨロ貝塚館(16)

野外の住居跡や復元住居などの展示エリアは、ただいま一部のみ公開。夕暮れ時で薄暗くなっていたので、一周できなくてよかったかも…(T▽T)
写真:右=土の家

モヨロ貝塚館(17) モヨロ貝塚館(18)

写真:左=発掘された竪穴式住居跡
写真:右=墓域

縄文時代の次は弥生時代と教わりましたが、3世紀から13世紀まで、オホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸〜樺太〜南千島の沿海部ではオホーツク文化が栄えていました。同時期に北海道に存在した続縄文文化や擦文文化とは異質の文化です。
このうち、北海道に分布している遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推定されています。

9世紀に北海道北部では擦文文化の影響が強まり、オホーツク文化は消滅しました。
同じ頃、北海道東部ではオホーツク文化を継承しながら擦文文化の影響を受けたトビニタイ文化が成立。一方、樺太ではオホーツク文化がなお続き、アイヌ文化の進出によって消えたと考えられていますが、その様相はまだはっきりしていません。
オホーツク文化 - Wikipediaより)

北方民族博物館(1) 北方民族博物館(2)

この流れで、翌日は【北海道立 北方民族博物館】へ。
入館料 550円。今回は特別展とセットで800円。(HP割引券はこちら

北方民族博物館(3) 北方民族博物館(4)

アイヌだけでなく、様々な北方民族の生活文化について展示・解説がなされています。

北方民族博物館(5) 北方民族博物館(7)


北方民族博物館(6) 北方民族博物館(8)

ビデオ映像もたくさん放映されています。西シベリアにも「熊送りの儀式」があったんですね!

北方民族博物館(9) 北方民族博物館(10)


北方民族博物館(11) 北方民族博物館(12)

特別展示【森と川の精霊とともに - ロシア・アムール地方のアート&クラフト】
ロシア・アムール川流域に暮らしてきた民族が生活の中から創り出してきた、洗練された形やデザインをもった道具や、よりアートの部分が強調された作品の数々を展示しています。10月25日(日)まで。

衣服に靴、タペストリー、器、刀などの道具、木の皮の切り絵などなど、文様の美しさにうっとりします。

網走市郷土博物館】にも行きたかったのですが、時間がなくて…。またの機会に持ち越しです。

北方民族博物館(13) 北方民族博物館(14)

実は最大の目的は、このニール・ゴードン・マンロー博士のフィルム映像を見ることでした。
視聴覚室的なところで見れるのかなと思っていたのですが、念のため事前に電話確認してよかったです。いきなり行って見せてもらえるような感じじゃないので、もし見てみたい方はアポイントを取ることをおススメします。

こちらも感想を書くと長〜〜〜〜〜くなってしまうので、ここでは割愛しますm(_ _)m

縄文時代というと遠い昔で、現代のわたしたちからすると神話や異世界も同然のような気がしますが、こうして辿っていくと連綿と受け継がれているものの片鱗を垣間みることができます。
それにしても、ここ数百年の時代の変化といったら、まるで早送りのようです。

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)

*今日の記事に何となく関連すると思う過去記事*
・2011年07月10日【三内丸山遺跡(と、青森県立美術館と、アスパム)
・2012年09月01日【美利河☆ピリカ】(ピリカ旧石器文化館)
・2013年06月04日【南茅部・大船遺跡〜しかべ間歇泉公園〜ひょうたん沼公園
・2013年06月09日【余市・フゴッペ洞窟と西崎山環状列石
・2013年07月27日【層雲峡 火まつり】(イオマンテ、アイヌ民族舞踏など)
・2015年07月23日【白滝ジオパーク交流センター&遠軽町埋蔵文化財センター
・2015年07月29日【ポー川史跡自然公園&標津湿原
・2015年08月22日【舟下ろしの儀式・チプサンケ(前夜祭)
・2015年08月23日【舟下ろしの儀式・チプサンケ(本祭)
・2015年09月04日【平取・二風谷のアイヌ博物館&資料館

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posted by しう@SOTO at 22:42 | TrackBack(0) | 北海道
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