2015年01月31日

宇土城跡と轟水源

さて今日も、どこに行こうか目的地が曖昧なままドライブスタート。おとーさんの大昔の記憶を頼りに、宇土市にある【轟水源】に行ってみようという事になりました。

宇土高校のすぐ近く、宇土城趾の裏くらいだったというのですが・・・カーナビでは、宇土高校と宇土城趾は1kmくらい離れてる???
とりあえず宇土高校を目指すと、【←宇土城跡】の看板が。あれ? 隣は墓地だし、カーナビと場所が違うんだけど???

梅の花 九州自然歩道(宇土城跡)

もう梅の花が咲いてました(*´▽`*)。・。・°★・。・。☆・°・。・°
写真:右=あとになって気づいた九州自然歩道の案内板。よーく見て〜。

宇土城跡(1) 宇土城跡(本の丸)

石段を登ると、そこは芝生広場(城山公園)になってました。

宇土城跡(小西行長像) 宇土城跡(小西行長 説明板)

小西行長の銅像。ここは元々【本丸】だったらしい。

宇土城跡からの眺め 近世宇土城跡 説明板

本丸@城山公園からの眺め。昔は海が見えたのでしょうが、埋め立てが進んだ現在となっては、このとおり。

そして看板を読んでみると、宇土城には「近世」と「中世」があった!Σ(°ロ°;)
「近世」宇土城の城主=小西行長。
「中世」宇土古城の城主=宇土氏。
ここは「近世」の方。天正17年(1589)頃で、もう「近世」なのね・・・。

宇土城の天守は加藤清正によって熊本城へ移築され【宇土櫓】となったというのは有名なハナシですが、昭和2年(1927)に熊本城宇土櫓を解体修理した調査の際には移築の痕跡が見られず、真偽が定かではないそうです。
宇土城 - Wikipediaより)

近世宇土城跡 説明板 近世宇土城跡 復元図

本丸を一見して「小西行長の居城がこんなに小さいものだったとは」と驚いたけど、案内板を見たらかなり立派な城塞だった。

以下、説明板より↓
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キリシタン大名・小西行長が築城した近世城郭である。通称「城山」と呼ばれる小高い丘の最高位(標高約16m)に内堀で囲まれた本丸が位置し、二の丸や三の丸がそれぞれ本丸西側と南側および東側に配置されている。これらを大規模な外堀が取り囲むという堅固な縄張りで、外堀まで含めた城域は南北約500m、東西約550m、面積は約20万平方メートルと広大である。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで敗れた行長が処刑された後、肥後一円を治めた加藤清正は、自身の隠居所とするため大規模に改修を行った。しかし隠居することなく慶長16年(1611)に死去し、翌年、幕命により破却された。
さらに寛永14年(1637)の天草・島原の乱後も徹底的に破壊されたため、往時の姿はとどめていない。

昭和40年代、県立宇土高等学校社会部による発掘調査が行われ、石垣などの城郭遺構が検出された。また、本丸跡の公園整備工事に伴う発掘調査(昭和53〜57年)が実施され、新事実が次々と明らかになった。
調査の結果、当初「小西時代」と考えられてきた石垣や門礎(もんそ)、排水溝などの城郭遺構(上層期遺構)の、さらに1.5〜2mほど地下から、石塁や礎石建物跡などの下層期遺構が発見された。下層期遺構は「小西時代」、上層期遺構は「加藤時代」の城郭遺構に相当するとみられ、宇土城趾の変遷を考えるうえで大きな成果となった。

出土品は、中国製陶磁器(青磁、白磁、染付)、国産陶磁器(備前焼、瀬戸焼、唐津焼)、銃弾、瓦などがある。
なお、本丸周辺では大砲の一部や「慶長十三年銘」の滴水瓦が採集されている。
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「中世」宇土古城跡(国指定史跡)は、歴史公園「史跡宇土城跡」として整備され、建物跡・横堀・城門など一部の遺構が復元されているらしく、カーナビに載ってたのはこっち。しまった、カーナビ通りにいけばよかったな。菊池一族とも縁があるし・・・。
またの機会にゆっくり来るとして、今日はスルー(´▽`;)


西岡神宮(1) 西岡神宮(2)

轟水源に向かう途中に西岡神宮(リンク先は宇土市HP)があったので立ち寄って参拝。

公式サイトは空白ページになってました(^x^;
以下↓西岡神宮 - Wikipediaより抜粋。
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奈良時代に創建された、約1,300年の社歴を有する古社である。

社伝によれば、和銅6年(713)、元明天皇の勅願により宇土地域の総鎮護として中原(壇原)に創建された。はじめは春日大神と住吉大神の勧請であったが、承久3年(1048)、関白 藤原道隆により八幡宮を合わせて祀ったので三宮大明神と称することとなり、現在でも「三宮さん」の名で親しまれている。

中世には菊池氏、宇土氏、名和氏ら代々の領主の尊崇を受けたが、天正16年(1588)に小西行長の社殿焼き討ちに遭い、ご神体はしばらく山中に隠し祀られた。

慶長6年(1601)、加藤清正により現在地に再興され、後の肥後藩主・細川氏代々の崇拝、保護を受け現在に至る。
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ちなみに九曜紋は細川家の家紋でもあります。


轟水源(1) 轟水源(説明板)

ようやく、お目当ての轟水源に到着です!ヾ(*´▽`*)ノ お水を汲む場所もありました。
キャンピングカー生活中の飲料水は、ほぼ100%湧水です♪

↓案内板より
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轟水源は宇土市の南西に位置し、宇土城跡より西へ約1km。昔から肥後三名水のひとつとして知られ、絶えることなく清水が湧き出しています。
この水源を導水して総延長5kmにわたる水道が轟泉水道(ごうせんすいどう)で、現在使われている上水道としては日本最古のものです。
これは初代宇土藩主 細川行孝公によって発案、敷設されたもので、石管を用いた地下水道です。現在も多くの人々の飲料水に利用されています。
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轟水源(2) 轟水源(3)

*参照*
轟水源と轟泉水道(宇土市HP)
宇土市デジタルミュージアム

九州自然歩道の案内図に載ってた【栗崎の天神樟】、地図がアバウトすぎて辿り着けなかった・・・。
城ノ越古墳というのもあるようだし、また改めて宇土古城も見に来たい。ただ道が狭いのでキャンピングカーだとちょっと難しいかも・・・。

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)

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posted by しう@SOTO at 23:35 | TrackBack(0) | 熊本
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