

石巻の中心街には、「いしのまきマンガロード」と題して漫画家・石ノ森章太郎さんのキャラクターがあちこちに立っています。
震災後、休館していた【石ノ森萬画館】も再開館し、石巻の「萬画による町おこし」を牽引する存在となっています。


鰐山(わにやま)丘陵の海側、高台から石巻湾(仙台湾)を一望できる日和山(ひよりやま)公園へ。


旧北上川、石巻市湊地区および石巻漁港は、地震・津波だけでなく火事も発生し、石巻で最も震災の被害が甚大だったところです。
ここで、当事者だった男性が声をかけて来て、熱心にお話を聞かせてくれました。


写真:右=震災前の写真がパネル展示されています。
男性の話は熱を帯び、時には苛立たしいような、怒りを抑えられないような場面もありました。
この地区の何千人という方が亡くなられ、生き残った数人のうちのひとりだと言っていました。毎日のようにここへ来て、訪れる人に震災の悲劇を伝えることが自分の役目なんだと思っているそうです。
「鼓膜が破れそうなくらいの津波の轟音と、飲み込まれてゆく人々の悲鳴が忘れられない。」
早口にまくしたてるような様子が、3年半が経った今もなお、呪縛から逃れられないことを物語っていました。
よく「被災地を訪れて、少しでもお金を落としてほしい」という話を聞きますが・・・まだまだ、そんな気持ち(観光気分)にはなれないというのが正直なところです。


写真:左=日和山公園は石巻城址でもあります。
鎌倉時代に源頼朝の家人であった葛西清重が、奥州合戦の恩賞として牡鹿郡をはじめとする近隣の数カ所を受領し日和山に石巻城を築いたとされ、葛西氏とその所領は天正18年(1590)に羽柴秀吉に滅ぼされるまで維持されました。(日和山(石巻市) - Wikipediaより)
写真:右=鹿島御児(かしまみこ)神社。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)、鹿島天足別命(かしまあまたりわけのみこと:武甕槌命の御子神)の親子二神が祀られています。
武甕槌命は経津主神(香取神宮の祭神)とともに、塩土老翁神(鹽竈神社の祭神)の先導のもと東北地方の平定を行ったとされています。
御子神の鹿島天足別命は、経津主神の御子神である阿佐比古命と共に東夷征伐と辺土開拓の命令を受けて、海路を下向して奥州へとやってきました。鹿島天足別命と阿佐比古命の乗った船が現在の石巻の沿岸へ到着し停泊したとき錨が石を巻き上げたことから、この地を「石巻」と呼ぶようになったという伝承が残されているそうです。
(鹿島御児神社 - Wikipediaより)


写真:左=Sさんおススメのラーメン屋さん【大王(ターワン)】(リンク先は【食べログ】です)の味噌タンメン。平打ち太麺のラーメンって初めてです。野菜の具もてんこ盛りだし、すごいボリューム! 食べきれなかった・・・(T△T) 東北にしてはスープが濃すぎず野菜の旨味たっぷりで、見た目よりずっと優しい味です。
写真:右=石巻のベタ踏み坂(笑)
Sさんのクルマに乗せてもらってぐるぐる廻ったので、橋の名前と場所が分からなくてスミマセン!
撮影:Nikon D5100/ラーメンのみスマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
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