たまに、マルエイ伊倉店というスーパーにお買い物に行くのですが、そこでお昼ご飯にお弁当を買って、帰り道にどこかで食べよう〜とクルマを走らせはじめたところ、Googleナビを頼りに知らない道に入り、こちらの伊倉南北両八幡宮を発見しました。

駐車場に停めて、まず目に入るのが銀杏(イチョウ)の大木。
イチョウというと、すらりと真っすぐに伸びているイメージがありますが、どっしりとして枝を方々に延ばしています。

たいへん珍しいことに、道路を挟んで南八幡宮と北八幡宮が鎮座しているのです。玉名市HPによると、玉名郡司 日置(へき)氏の荘園を宇佐八幡宮が買得し直接経営したことに始まり、中世に行われた下地中分線を境に南方/北方に別れたそうです。
下地中分(したじちゅうぶん)とは、日本の中世に使用された用語で、荘園公領制下の重層的に入り組んだ支配・権利関係の中で、それぞれの主体が一元的に土地を支配すること(一円知行)を目的にして行われた、土地の分割を指し示す用語である。鎌倉時代中期から南北朝時代までを中心に、主に西日本で見られた。
(
下地中分 - Wikipediaより)
まずは南八幡宮から参拝。

重厚な楼門です。

創建は和銅2年(709)と云われ、約1300年以上の歴史ある古社です。現在地に遷座されたのは正平6年(1351)とあり、この時に二社に分かれたのではないかと推測されます。
由緒書きが見当たらなかったので詳細はネット頼み…。以下のことは、境内の掲示板にプリントアウトされたものが貼ってあり判明しました。
御祭神は、八幡三所大神(はちまんさんじょのおおかみ)
・八幡大神
・息長足姫(おきながたらしひめ=神功皇后)
・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇)
天三降命(あめのみくだりのみこと)
・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
・田心姫命(たごころひめのみこと)
・湍津姫命(たぎつひめのみこと)
つまり、宗像三女神。
そして、健磐龍命(たけいわたつのみこと)=阿蘇神社の主祭神。

こちらのナギは樹齢約400年、目通し幹周りは約2m(1995年3月時点)、玉名市指定天然記念物です。
ナギは古来、熊野神社の神木として知られていますが、熊野信仰の伝播とともに多くの熊野神社が勧請され、ナギが植えられました。また、熊野神社は八幡宮の客神としての信仰も厚かったと云います。
伊倉南八幡宮では、氏子は毎年大晦日より元旦未明にかけて参詣し、ナギの葉をいただき家庭の神棚に奉斎して一年の招福を祈り、正月五日にはナギの葉を用いる牛王宝印神事が行われ、古来より重要な祭儀とされました。ナギの葉は海上交通安全、悪病退散、安産のお守りともされています。

どこもかしこも見事な彫刻が施されています。

道路を渡って、北八幡宮へ。
「熊本地震の影響で境内の石垣、燈籠、玉垣が崩れたり、不安定になっています。絶対に近づかないでください」という張り紙があちこちに見受けられました。

「道路を挟んで鎮座している」と書きましたが、こちらの方が少し高い位置にあり、また不思議な事に南八幡宮を向いて建っています。
こちらも由緒書きなどが見当たらなかったため、詳細不明です。
伊倉南北両八幡宮では、毎年春(4月)と秋(10月)に大祭があり、【練り嫁行列】が執り行われます。その謂れは、次のような伝説に基づきます。
昔々、祭りが近づくと若い娘のいる家に白羽の矢がささり、その家は娘を人身御供としてさし出さねばなりませんでした。そうしないと妖怪が作物を荒らしてしまうのです。
ある年、通りかかった旅の六部(ろくぶ=諸国霊場を巡礼する行脚僧)がこれを聞き、娘の代わりに六部が連れていた犬を棺(ひつぎ)の中に入れ、夜中に妖怪が現れたところを見事に退治したのです。妖怪の正体は、大きな狒狒(ヒヒ)でした。
その後、若い娘たちは感謝の意を表すため、大祭の時にお宮参りをするようになったと伝えられています。これが【練り嫁行列】のはじまりです。
犬が妖怪を退治したという伝説は、「光前寺の早太郎伝説」(長野県駒ヶ根市)が有名ですね。その内容は白羽の矢に始まって旅の僧、犬が退治した怪物がヒヒだったというところまで、伊倉八幡宮の伝説とそっくりです。
・
光前寺 - 霊犬 早太郎伝説*春の大祭:毎年4月中旬の日曜日(2019年は4月14日)
*秋の大祭:毎年10月中旬の日曜日(未定)
秋の大祭では【節頭馬追い】も行われ、伊倉の町中を馬が駆け巡り、最後にお宮へと駆け上がります。

南八幡宮に戻り、ご神木の大樟(クス)にご挨拶。玉名市指定天然記念物です。
案内板によると、この大樟は樹齢400年以上、幹の太さ目通り約7.8m、高さ約36m。
高さ8mのあたりで数本の太枝に分かれ、東西 約33m、南北 約25mに広がっています。(1997年3月時点)

古来「雷神木」と称され、江戸時代には一つの社殿として扱われ、社殿の棟数に加えられていました。藩主の御用船用材として指定されましたが、御神木であるため除外されたと伝わっています。
「郷社伊倉八幡宮由緒記」によると、明治10年の西南の役(西南戦争)の際、御神体を密かにこの大樟の上枝に奉遷することで戦禍を免れたそうです。

この御神木には精霊が宿っていると伝えられています。
心静かに、そっと樹の下に佇むと、精霊の氣配が感じられるかもしれませんね。
・
伊倉南・北八幡宮大祭と練り嫁行列(玉名市HP)
・
伊倉の練り嫁行列と節頭馬追 | 熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト

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