(逆にウチのカーナビに一宮が載ってないこともある/笑)
榛名山に榛名神社があるように、赤城山にも赤城神社があると思いきや、載ってなかった。
えー、神社ないのかぁ(´・ω・`) とガッカリしてたら、道の駅「ふじみ」に貼ってあった観光地図に【赤城神社】発見! やっぱりあるんじゃん!
※5/30に訪れました


ま、見つけたのはおとーさんなんですけどね(笑)
早朝からトイレがてら外に出て地図を眺めてたら、載ってたぞーと教えてもらって、そのままGO!
わたしにしては眠い時間ですがテンションあがる〜.。・:*:・°`☆、。・:*:・°`
写真:右=レンゲツツジは、まだ蕾がいっぱい。


写真:左=ワインディングロードが続くため、わざと凹凸をつくってスピードを出せないようにしてあります。
写真:右=大沼が見えてきました♪


写真:左=赤城山頂案内図。楽しそうなところがいっぱい! ここも再訪しなきゃな〜。
写真:右=大沼の対岸に赤城神社が見えました!


写真:左=朱色の橋を渡って、神域へ。
写真:右=大分の道の駅で買った「鯉のえさ」。買ったときは冬で、鯉もジーっと動かず食べなかったので鞄に仕舞っておいたのが役に立った♪


鳥居をくぐり、湖畔を歩いて行きます。悠大な眺め(´ω`*)


なんと、遺跡がありました!
「小鳥ヶ島出土鏡」説明板より↓
小鳥が島には、「小鳥が島遺跡」として南北朝時代の経塚遺跡がある。
応安5年(1372)銘の法華経埋納を示す多宝塔下の地中から、銅経筒の残欠と鏡10面が出土した。
これら出土した鏡は、神仏習合における信仰を表すものとして、宝塔・経筒残欠とともに群馬県の文化財に指定されている。


写真:左=手水舎
写真:右=可愛らしい小鳥が出迎えてくれました♪


写真:左=「一掬千金に値する」と云われる御神水の説明板
写真:右=「文政八乙年 酉ノ十月 吉祥日」阿人澤傳七(?)さん奉納。
文政年間は1818〜1830年、第11代将軍・徳川家斉の時代。文政8年は、江戸幕府が異国船打払令を発令した年!


山頂にある赤城神社と区別するため、こちらは【大洞赤城神社】と呼ばれています。
名神大社「赤城神社」(赤城神社 - Wikipedia)
延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』には、名神大社として「上野国勢多郡 赤城神社」と記載があり、以下の3社が論社とされている。
・赤城神社(三夜沢赤城神社) (群馬県前橋市三夜沢町) - 旧県社。
・赤城神社(大洞赤城神社) (群馬県前橋市富士見町赤城山) - 旧郷社。
・二宮赤城神社 (群馬県前橋市二之宮町) - 旧郷社。
創建は不詳。社伝では、豊城入彦命が上毛野を支配することになった際に山と沼の霊を奉斎したという。その後、允恭天皇・用明天皇の時代に社殿を創設したと伝える。(赤城神社 (前橋市富士見町赤城山))
創祀当初は神庫山(ほくらやま:後の地蔵岳)中腹に祀られていたというが、大同元年(806)、大沼(おの)の南の畔(現在の大洞旧社地)に遷座し、小沼の畔には小沼宮(このぐう:後の豊受神社)が建てられた。
その際の年号に因んで神社周辺は「大洞(だいどう)」と呼ばれるようになったといい、通称として「大洞赤城神社」とも記される。ただし「大洞」は「大堂」とも書かれたといい、山頂に堂があったとも伝える。
山の赤城大明神、沼神の赤沼大神として古代から祀られたといい、湖からは古くに祭祀に使われた鏡も発見されている。
社務所は9時からで、ちょうど巫女さんたちが来たので一番に御朱印をいただくことができましたヾ(*´▽`*)ノ
トレッキング中らしき方が数名訪れる以外は、鳥のさえずりや樹々のさざめきだけが聞こえる、ゆったりした静かなところでした。
わたしも次回は1日かけて廻ろう〜〜〜♪
撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)
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