史跡めぐりにともなって色々とネットで調べたりしていて、たまたま見つけたのが今回の「涅槃(ねはん)岩」。
それが謎めいていて公式なページはひとつもなく、紹介していた方のブログでも「10年ほど前に登山が趣味の方のブログで見つけた」と書いてありました。
(その登山が趣味の方≠フブログは見つけられませんでした)
さらに「これを見て足を運ばれても身の安全の保証はできないので、詳しい場所は書かない」というような書かれ方をしていたので不安になり、Kさんにサポートをお願いした次第です。
今回は菊池市ではなく、山鹿市。博識なKさんも涅槃岩のことは初めて聞いたとのこと!
「知らないところに行くのは楽しい」と喜んでいただけました(笑)
※訪れたのは、4月4日です

「たぶん、このへん」とマークした地図を頼りに近くの道をぐるぐる廻り、小原地区に入ったあたりで【観音堂】を発見。涅槃岩とは関係ないし位置も離れているんだけど、この岩をくりぬいた参道にKさんも思わず停車!
これだけの巨岩を、おそらく手で彫ったのでしょうから凄いです。

少し坂を上るとお堂があり、【小原権現】と記されていました。
向かって右から、豊受大神(とようけのおおかみ)、土神(つちがみ?)、八大龍神が祀られています。
中心の「土神」とは、この土地を守る大地の神≠フことでしょうか。
豊受大神は五穀豊穣、龍神は水(雨)にまつわる神ということで、3柱とも農耕の無事を祈るためなのでしょうね。
由緒書きがなく、これまたネットで調べても出て来ず・・・。
YouTubeで見つけた動画を見たら、どうやら石板に由緒が刻まれていたようです。気づかなかった!

道路側に降りて、ちょうどお堂の真下あたりに回り込むと、崖(壁)に石碑などが安置されていました。
真ん中の石柱は1.5mくらいあり、下部には台らしき出っ張りがあります。風化が激しくて、今では何も置けないくらいのものですが、もしかしたら昔はここにお線香などを供えていたのかも知れません。
文字もほとんど読めず、かろうじで上部にマルが確認できるだけです。
左側には石仏が安置されていますが、こちらも破損していて文字の部分が欠けています。
石門といい、小原地区の先人たちは信仰が厚かったのでしょうね。

さて涅槃岩の探索を再開。周辺には小さな集落が点在するものの、ほとんどがこのように畑か空き地です。
地図では【熊本県立教育センター】が最も近いのですが、行ってみたけど道がない。
涅槃岩の歴史に対して熊本県立教育センターは近年できたものだし、森を切り拓くなり谷を埋め立てるなりしたっぽい。
カーナビを拡大してみたら、なんと「涅槃岩」の文字を発見!!!
しかし道はない。前述のブログの方も歩いて探していたので、最終的には歩くようだけど「徒歩10分」とのことだったので、近くまで道があるハズ。
かなり狭い農道にお邪魔して、農作業中の方に尋ねてみました。
「あんた、一人で行くのか?」
ちょっと驚いたような呆れたような感じで「出るぞ」と脅される(´▽`;)
男性(Kさん)と行くから大丈夫、と言っても、あんまりオススメしない様子。はっきりとは言わなかったけど、どうも事件か事故が過去にあったらしい。
60〜70歳くらいと思われる、その男性から昔の思い出話も聞かせていただけました。
それは後述するとして、いざ涅槃岩へ!

「僕が案内してあげる」と、先ほどの男性のお孫さんが着いて来てくれました! 心強い!ヾ(*´▽`*)ノ
Kさんも「天気にも恵まれたし、ツイてるな〜」と笑顔。やっぱり知らないところ、しかもいわくありげな遺跡に行くのは心細いものですよね。
写真:右=崖の向こうは菊池川。かつては、川沿いにも道があったそうです。
台風の影響なのか、何ヶ所か倒木を跨いでくぐって、10分もしないうちに・・・

石塔が現れました。真ん中の石塔には凡字、三つ巴(みつどもえ)と桐の紋が刻まれていました。お墓のようです。「小島」と書いてあるように見えます。
両サイドは常夜灯でしょうか?

写真:左=この巨石が「涅槃岩」なのでしょうか?
元からある自然石なのか、わざわざ運んだのか不明ですが、綺麗な切り口をしています。文字のようなものは見当たりませんでした。
写真:右=その岩の西側に、朽ちかけたお堂がありました。床が抜け、いつ屋根が落ちてもおかしくありません。辺りにはビンやお皿などが散らばっていました。

そして、たくさんの石仏。文字がかなり薄れていますが、「観世音」「美六(みろく?)」など、いくつか読めました。大正時代のものが多いようです。

写真:左=石柱には[樺迦堂]と刻まれているように見えるのですが、ネットで検索してもそのような単語はないし、謎のままです。ツタを払って見ようとまでは思えなかった・・・(´Д`;)
建立に関わったと思しき人の名が連なっています。
写真:右=地蔵菩薩

写真:左=毘沙門天 右=虚空蔵菩薩
男性の話によると、40〜50年前までは尼さんが一人で守っていたそうですが、亡くなられてからは管理をする人もなく、お参りする人もいなくなったそうです。
もっと以前(昭和初期くらい?)までは、とても栄えていて旅館(宿坊?)があったほど参拝者が多かったと言い、お寺の規模も今から想像つかないくらい広くて池や滝まであったとか!
今日のルートはお堂の裏手に繋がっていたから、そもそもは正面に参道があったはずで、そちらに立派な庭園が広がっていたのだと想像できます。
菊池川からも参拝できたというし、おそらく渡し船もあったことでしょう。
毎年、お釈迦様の誕生日「灌仏会(かんぶつえ)」=4月8日には甘茶が振る舞われ、それはそれは賑わったそうです。
かくいう男性も、父・祖父から聞いた話と言いますから、それこそ明治〜大正時代なのでしょう。
「栄枯盛衰は世のならい」とは言え、そこまで栄えたお寺が今や訪れる人もなく朽ちるのを待つのみというのは、まさに「もののあはれ」・・・。
近くの地区、志々岐や小原には最後に務めたという尼さんのことを知る人も、まだいるかも?
最も近いお寺、正徳寺には記録があるのかな。
そうは思うものの、これ以上はそっとしておいた方がいいのかも知れません。

案内してくれた男の子が「近くに閻魔堂もあるよ」と教えてくれたので、道を聞いて行ってみることに。
またしても、ご近所さんが色々とお話ししてくれました!
かつて2度も火災に遭ったそうで、この閻魔堂は昭和初期に建て替えられたものです。昔はもっと大きくて立派なお堂だったそうで、今の倍以上あったらしい。
「鍵を開けましょうか?」って言ってくれたけど、1月にお祭りがあるそうなので、その日のお楽しみにとっておきます♪

写真:左=閻魔堂からの眺め!
この日は霞んでたけど、雨上がりの翌日などは阿蘇・俵山あたりまで見えるそうです!
写真:右=すぐ近く、閻魔堂から坂道を降りきったところに「千人灯籠せんべい」で有名な【
同田貫本舗】があります。
って今日まで知らなかったのですが(´▽`;ゞ
あたり一帯に甘〜〜〜いにおいが漂っていて、たまらず購入(笑)ハネもの1袋500円。
これが好みの味で! やばい、やめられない止らないヾ(*´▽`*)ノ

写真:左=同田貫本舗から閻魔堂へ登る坂道の辻(十字路)に建つ石碑。右側に「元禄六 癸酉」の文字・・・1693年ですよ!!
写真:右=その向かいの角に建つのは六地蔵。ここは「十」というより「X」という感じの十字路で、かなり鋭角です。
もし訪れる際は、車を停める場所がないし道幅がとても狭いので、お気をつけて。
撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用

涅槃岩はGoogleMapには載っていません。だいたい、このあたりです。
(Yahoo!地図には載ってました)
ちょっと離れてますけど、小原権現の場所を貼っておきますね↓
*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【
菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』】
・2011年01月21日【
菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』】
・2011年08月03日【
写真で綴る『和水町古墳祭』】
・2017年02月23日【
菊池の古墳・史跡めぐり】
・2017年03月05日【
トンカラリンと菅原神社】
・2017年03月09日【
菊池川流域の史跡・古墳めぐり】
・2017年04月03日【
菊鹿町・切通しの石仏群】
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