2017年04月01日

寂心さんの大樟

昨日、自分のブログ内を「巨木」で検索していて、【寂心(じゃくしん)さんの大樟】を紹介していなかったことに気づきました(´▽`;ゞ 何度も訪れているのにな〜;;
写真は、2015年3月16日に撮影したものです。もっと遠景とか撮っておくべきだったなぁ(´・ω・`)

寂心さんのクス - Wikipedia
鹿子木親員 - Wikipedia

寂心さんの大樟(1) 寂心さんの大樟(2)

熊本城の基礎となった隈本(くまもと)城(現在の熊本城の南側に位置していた)を築いた菊池氏の重臣・鹿子木親員(かのこぎちかかず/のちの寂心)手植えの木と伝えられており、その根元には鹿子木親員の墓が抱き込まれているといいます。
(写真:右に写っているのは、後の世に新たに建てられたものと思われます。)

寂心さんの大樟(3) 寂心さんの大樟(4)

樹齢は約800年。2008年時点での幹周り17.1m、高さ30m、枝張りは東西およそ47m!
熊本県指定天然記念物であり、「新日本名木100選」にも熊本県から唯一選ばれている、まさに銘巨木です。
ただ1本で、小さな森のよう!

寂心さんの大樟(5) 寂心さんの大樟(6)

北迫集落では毎年1月11日を寂心の命日として神事を行い、新年の門出の日としているそうです。
何百年も地元の方々に愛されているからこそ、この樹勢が保たれているのでしょうね。

撮影:Nikon D5100



SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!








タグ:巨木
posted by しう@SOTO at 13:15 | TrackBack(0) | 熊本

2017年04月02日

天聽(てんちょう)マルシェ

天聴マルシェ(チラシ表)

今まで話には聞いていた【天聽マルシェ】、初めて見に行ってきました!

今日は陽が差したり雨がパラついたり突風が吹いたりという目まぐるしいお天気で、外出店の方々はたいへんだったかも(´Д`;)
ですが、出店数、約70店舗! お客さんも多くて大変賑わっていました!

天聴マルシェ(1) 天聴マルシェ(2)

昨年ずっとマルシェなどイベント関連にアンテナを張っていたお陰で、顔見知りの出店者さんがたくさん♪
しかも出店数が多くて、あれやこれや目移りしちゃう!(≧∇≦)
雑貨や飲食などなど写真も撮り忘れて、いろいろ見て廻りました〜。

陶器レジン体験 陶器レジン体験in天聴マルシェ

SNSでつぶやいておりました、天正窯さんの陶器レジン体験! 大盛況でした〜(*´▽`*)
わたしもハマっちゃって、たくさん作っちゃった(笑)

透明標本

雑貨以外にも、トルティーヤとかマフィンとかトマトとか酒のツマミ(笑)とか、コーヒーなんて3杯も飲んじゃったし(´▽`;) ついついいろいろ買ってしまったのですが・・・
今回は念願の! 透明骨格標本を買ってしまいましたよ!
透明骨格標本とは、生物の骨格を観察するため様々な染色法を用いて作成される標本のことで、完成までに2ヶ月くらいかかるそうです。(標本にするために殺すのではなく、死んだものを標本にしています。)

屋号は【アクアママ】さんです。
オタマジャクシからカエルになるまでの3段階を標本にしてあるものもありましたよ!
どこかのイベントで見かけたら、是非、手に取って観察してみてくださいヾ(*´▽`*)ノ

山鹿市【天聽の蔵】は、吉田酒造跡の元酒蔵で、通年で見学できます。豊前街道に面した元店舗は【メトロカフェ】という喫茶店になっています。
天聽マルシェは、年3回ほど開催しています。詳しくは公式Facebookをチェックしてみてください★

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)



*関連する過去ブログ記事*
・2016年01月15日【染色人たちが奏でる「印染-しるしぞめ-」の世界 in 天聽の蔵
・2016年01月17日【印染(しるしぞめ)の世界 in 天聽の蔵・その2
・2016年01月19日【山鹿温泉 元湯さくら湯


SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!









posted by しう@SOTO at 23:23 | TrackBack(0) | 熊本

2017年04月03日

菊鹿町・切通しの石仏群

Kさんの案内で、山鹿市菊鹿町上本分にある【切通しの石仏群】へ。

切通しの石仏群(1) 切通しの石仏群(2)

【仏(ほとけ)記念碑】の説明板より↓
龍徳区の松本長平氏は若い頃から信仰心厚く、74歳のときに四国八十八ヶ所詣りに行き、高野山、京都の名刹、善光寺、浅草観音、九州一円を巡礼し、明治39年(1906)7月に帰郷。
ますます信仰心が深まり、八十八体の石仏を作ることを発起。8年余り刻苦奮闘し、遂に大正3年(1914)11月、志を達成。
厚い信仰の念がなければ到底、成し得ないことである。作った八十八体の石仏は菩薩像の左右に並べ祀る。
長平氏は本年(1915)88歳で、残り幾ばくも無いので、松本家関係者が相談し、氏の特志を後世に伝えるために八十八体石仏の由来を記すために記念碑を建設する。
大正4年8月

我が松本家も祖父の代まで菊鹿に住んでいましたが、たぶん関係ないと思います(´▽`;)

切通しの石仏群(3) 切通しの石仏群(4)

写真:左=この仏様、変わったポーズしてるな〜と思いきや・・・立てられ方が間違ってる! 左に90度倒してください〜 涅槃像ですヨ!

写真:右=無造作に転がされているようなのに、この石に榊が供えられていました。ご近所の方かな?

切通しの石仏群(5) 切通しの石仏群(6)

切り通しの壁面に並ぶ石仏群は、この石碑に刻まれている「八十八体」ではないかと思われますが、ずいぶんと数が減っています。
不届きものが盗んでいったのでしょうか。

ネットで調べても公式のページが見つからなかったのですが、個人のブログがいくつかヒットしました。
それによると、この石仏には干支が彫られているものがあるらしく(現在では確認できません)、自分の干支を拝むとご利益が得られるという評判が広がり、ついには持ち帰ってしまう者が続出してしまったらしい・・・。
真偽のほどは分かりませんが、石仏は今、三十体ほどしか現存しないのは事実です。

切通しの石仏群(8) 切通しの石仏群(7)

それにしても、何故わざわざここ(岩隈山)を切り崩して道を通さなければならなかったのでしょうか?
山と言っても低いし小さいし、ほんのちょっとで、山を回り込むように道があるのです。西方寺や松尾神社へも近いし、おそらくそちらの道の方が古くから存在したと思うのですが。
※松尾神社は、大同2年(807)に山城国(京都府)葛野郡の松尾大社から勧請し創建

切通しの石仏群(9) 切通しの石仏群(10)

完全なカタチの石仏は数少なく、ほとんどがどこかしら欠けています。

切通しの石仏群(11) 切通しの石仏群(12)

切り通しの崖はコンクリートを吹き付けられていますが、以前の面影を遺すように凹みがあちこちに見られます。
かつては、その全てに石仏が安置されていたものと想像するのですが、今ではうつろな空洞です。

切通しの石仏群(13) 切通しの石仏群(14)

どの石仏も表情が澄んでいて、まさしく悟っておられるかのようです。
今ここにはいなくなってしまった石仏のことも、お見通しなのでしょう。

撮影:Nikon COOLPIX P900


切通しはGoogleMapに載っていなかったので、松尾神社の場所を貼っておきます。
それなのに松尾神社に参拝してなくてすみませんm(_ _;)m


SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!









タグ:史跡 石仏
posted by しう@SOTO at 23:48 | TrackBack(0) | 熊本

2017年04月06日

第60回 久留米つつじまつり

久留米百年公園で開催されている【第60回 久留米つつじまつり】、今年も行ってきました!\(^o^)/

久留米つつじまつり2017(1) 久留米つつじまつり2017(2)

熊本市、栃木県鹿沼市と並び、日本三大植木市のひとつ! なんですが・・・
初日だったせいなのか、ちょっと品揃えが間に合ってない感じが(´▽`;) 何だか年々、規模が小さくなっていってる気がするなぁ・・・。
古くは盆栽ブーム、ガーデニングブームも去り、あんまり人気がないんですかねぇ。寂しい。

熊本の植木まつりは半分くらい物産展と化しているなか、久留米つつじまつりは植木メインを貫いているので個人的には好感をもっています(´ω`*)
いや物産展も好きなんですけどね。いろいろ楽しめて。

久留米つつじまつり2017(3) 久留米つつじまつり2017(4)

ツツジと細葉石楠花、常緑ヤマボウシなどなど、今年も好い買い物ができましたヾ(*´▽`*)ノ
どこに植えようかな〜♪

道の駅【久留米】の周辺にも、植木市場や花市場、園芸農協、平田ナーセリーなど園芸屋さんが多数点在しています。
国道210号線を東に10kmほどにある田主丸(たぬしまる)町は、昔から造園業が盛んで、植木や苗木などを扱う業者が数多いことで有名です。ぶどうの「巨峰」発祥の地でもあるらしい。

江戸時代、久留米藩領として豊後街道の宿場町だった吉井にある【白壁の町並み】も見応えありますよ!
小さな美術館「筑後吉井」まち歩き(うきうきうきは|うきは市観光体験HP)
それを過ぎれば道の駅【うきは】です。
ドライブがてら、立ち寄ってみられてはいかがでしょうか♪

【第60回 久留米つつじまつり】
 2017年04月05日 〜 2017年05月05日
 9:00〜17:00
 場所/久留米百年公園(入場無料)



*関連する過去ブログ記事*
・2011年04月07日【筑後国一の宮 高良大社
・2011年10月08日【初訪問の道の駅・福岡
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2014年01月16日【お天気に誘われて〜福岡ドライブ♪
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2017年02月18日【久留米植木まつりと大刀洗公園


SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!








posted by しう@SOTO at 23:22 | TrackBack(0) | 福岡

2017年04月08日

熊本県内装飾古墳 春の一斉公開

少し前の話になりますが、去る3月25日【熊本県内装飾古墳 春の一斉公開】(主催:熊本県立 装飾古墳館)が開催されました。
なんと、年にたった1日のみ!
去年も一昨年も所用で見に行けなかったのですが、今年は長崎の親戚と一緒に見に行くことができましたヾ(*´▽`*)ノ

公開されたのは↓こちらの古墳

・塚坊主古墳(和水町)
・大坊古墳(玉名市)
・石貫穴観音横穴(玉名市)
・石貫ナギノ横穴群(玉名市)
・横山古墳(山鹿市)
・馬塚古墳(山鹿市)
・大村横穴群(人吉市)
・京ガ峰横穴群(錦町)

申し込みは不要。直接、現地へ赴きます。
長崎からフェリーで長州港に到着した親戚と玉名市石貫にある【石貫ナギノ横穴群】で待ち合わせ、【石貫穴観音横穴】と2ヶ所を廻ったのですが・・・どちらも、いつでも見られるというオチ(´▽`;)
ふだん中が見れないところに行けばよかったのに・・・(´Д`;)
あと、大村横穴群(人吉市)と京ガ峰横穴群(錦町)なんて遠すぎて、とても1日じゃ廻れないよ〜。

でも職員さんが解説してくれたから、行った甲斐はありました!

石貫ナギノ横穴群(1) 石貫ナギノ横穴群(2)

写真:左=駐車場は5〜6台くらい、トイレなし。民家の間を抜けて歩いて行きます。
あんまり来る人はいないんじゃないかと思いきや、意外と次々とクルマが入って来て、古墳に興味のある人がこんなにいるのかと驚きました。

繁根木川(はねぎがわ)右岸には、灰石と呼ばれる阿蘇溶結凝灰岩の崖面が多くあり、その崖面250メートルほどの範囲にわたって横穴墓が造られています。
これらは古墳時代後半に造られた墓地で、遺体を置く部分(屍床)が多いもので一つの横穴墓につき3ヶ所設けられています。(玉名市HPより)


石貫ナギノ横穴群(3) 石貫ナギノ横穴群(4)

うっすらと、「べんがら」で赤く彩られた跡が今でも確認できます!

横穴墓は、古墳時代(5〜6世紀)に盛行した、埋葬のためのものです。
当時は殯(もがり)という風習(葬儀儀礼)があり、白骨化した遺体を水で洗って本葬していたので川に近い場所で多く見られます。

横穴墓 - Wikipedia
横穴式石室 - Wikipedia
殯 - Wikipedia

穴が2段階や3段階になっているのは、石蓋をするためです。蓋の数が多いほど、立派な墓ということなのでしょう。
室内(石壁)には舟、弓、矢、太刀などが刻まれており、また鉄製の鉾、鏃(やじり)などが見つかっています。

石貫ナギノ横穴群(5) 石貫ナギノ横穴群(6)

写真:左=家の形をしているあたりに、死者へのいたわりが伺えます。

写真:右=石貫ナギノ横穴群は、48基の横穴墓があるそうです。埋もれている横穴もあり、土を掘り起こせばもっとたくさんあるのではないかと思われます。

石貫ナギノ横穴群(7) 石貫ナギノ横穴群(8)

写真:右=これは後世、近所の地区の方々が洗いものなどをするために水を溜めていたものかな?

石貫穴観音横穴(1) 石貫穴観音横穴(2)

石貫ナギノ横穴群からクルマで約3分、2kmくらいでしょうか? 公民館の近くの空き地にクルマを停めて、石貫穴観音横穴まで民家の間の小径を登っていきます。公民館でトイレを借りられました。

大正10年に、石貫ナギノ横穴群・石貫穴観音横穴と熊本県内の装飾古墳(井寺古墳・千金甲甲古墳・千金甲乙古墳・釜尾古墳・大村横穴群)とともに国の史跡に指定されています。
装飾古墳として日本国内で第一期の指定であり、その存在を広く世の中に広める第一歩となった、記念すべき史跡です。(玉名市HPより)


石貫穴観音横穴(3) 石貫穴観音横穴(4)

写真:左=観音堂が建てられています。ここは、古墳時代の横穴に後世の人が観音像を彫ったという、2つの時代の遺跡が共存する珍しい遺跡なのです。

石貫穴観音横穴(5) 石貫穴観音横穴(6)

写真:左=横穴の前(床)に穴が空いているのが気になって聞いてみたら、近世(明治〜大正くらい?)、まだ文化財として登録される前に中に入らないよう柵が造られていたそうで、その柵を固定するための穴だったようです。等間隔とまではいきませんが、1つの横穴に対して3〜4個の穴がありました。
今なら遺跡に穴を穿つなんて考えられませんが、他所の横穴墓でも近所の方が横穴を貯蔵庫として使っていたり、物干し台を架けるために石壁に横一直線の溝を彫ったりとフリーダムな逸話を聞くので、昔の人は「文化財」という意識がなかったようです。実用第一!(笑)

写真:右=ここも、べんがらの赤色が遺っています。職員さんの話によると、赤地に白でマルが描かれているらしい。

石貫穴観音横穴(7) 石貫穴観音横穴(8)

こちらが、横穴の壁に刻まれた千手観音様。5基ある横穴墓の中でもこの横穴がもっとも広くて、3畳くらいあるでしょうか。

屍床上部の庇(ひさし)には軒丸瓦状の円形突起があり「軒下」のようになっているのも特徴的です。
十一面観音のレリーフは、どうやら手法などから平安時代の作ではないかと考えられています。石像も、後に安置されたものでしょう。

古跡に興味がある方は、5月14日(日)に開催される【菊池川流域 古代史サミット】に参加されてみては?(参加費:1,500円)
かつて菊池平野は湖だった!という話や、それにまつわる遺跡の話、邪馬台国などなど盛りだくさんですよ。

撮影:Nikon COOLPIX P900



*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』
・2011年07月10日【三内丸山遺跡(と、青森県立美術館と、アスパム)】(青森県)
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2012年09月01日【美利河☆ピリカ】(北海道)
・2013年06月04日【南茅部・大船遺跡〜しかべ間歇泉公園〜ひょうたん沼公園】(北海道)
・2013年06月09日【余市・フゴッペ洞窟と西崎山環状列石】(北海道)
・2014年05月28日【長岡百穴古墳】(栃木県)
・2015年07月23日【白滝ジオパーク交流センター&遠軽町埋蔵文化財センター】(北海道)
・2015年07月29日【ポー川史跡自然公園&標津湿原】(北海道)
・2015年09月16日【モヨロ貝塚と北方民族博物館】(北海道)
・2016年03月16日【都農神社〜川原自然公園〜高鍋湿原〜西都原古墳〜綾町・綾城】(宮崎県)
・2016年09月14日【国指定史跡・七ツ森古墳群の彼岸花】(大分県)
・2017年02月14日【岩戸山古墳】(福岡県)
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり

SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!









posted by しう@SOTO at 16:17 | TrackBack(0) | 熊本

2017年04月10日

忘れられた信仰の遺跡・涅槃岩

史跡めぐりにともなって色々とネットで調べたりしていて、たまたま見つけたのが今回の「涅槃(ねはん)岩」。
それが謎めいていて公式なページはひとつもなく、紹介していた方のブログでも「10年ほど前に登山が趣味の方のブログで見つけた」と書いてありました。
(その登山が趣味の方≠フブログは見つけられませんでした)
さらに「これを見て足を運ばれても身の安全の保証はできないので、詳しい場所は書かない」というような書かれ方をしていたので不安になり、Kさんにサポートをお願いした次第です。

今回は菊池市ではなく、山鹿市。博識なKさんも涅槃岩のことは初めて聞いたとのこと!
「知らないところに行くのは楽しい」と喜んでいただけました(笑)
※訪れたのは、4月4日です

小原権現(1) 小原権現(2)

「たぶん、このへん」とマークした地図を頼りに近くの道をぐるぐる廻り、小原地区に入ったあたりで【観音堂】を発見。涅槃岩とは関係ないし位置も離れているんだけど、この岩をくりぬいた参道にKさんも思わず停車!
これだけの巨岩を、おそらく手で彫ったのでしょうから凄いです。

小原権現(3) 小原権現(4)

少し坂を上るとお堂があり、【小原権現】と記されていました。
向かって右から、豊受大神(とようけのおおかみ)、土神(つちがみ?)、八大龍神が祀られています。

中心の「土神」とは、この土地を守る大地の神≠フことでしょうか。
豊受大神は五穀豊穣、龍神は水(雨)にまつわる神ということで、3柱とも農耕の無事を祈るためなのでしょうね。

由緒書きがなく、これまたネットで調べても出て来ず・・・。
YouTubeで見つけた動画を見たら、どうやら石板に由緒が刻まれていたようです。気づかなかった!

小原権現(5) 小原権現(6)

道路側に降りて、ちょうどお堂の真下あたりに回り込むと、崖(壁)に石碑などが安置されていました。
真ん中の石柱は1.5mくらいあり、下部には台らしき出っ張りがあります。風化が激しくて、今では何も置けないくらいのものですが、もしかしたら昔はここにお線香などを供えていたのかも知れません。
文字もほとんど読めず、かろうじで上部にマルが確認できるだけです。
左側には石仏が安置されていますが、こちらも破損していて文字の部分が欠けています。

石門といい、小原地区の先人たちは信仰が厚かったのでしょうね。

涅槃岩(1) 涅槃岩(2)

さて涅槃岩の探索を再開。周辺には小さな集落が点在するものの、ほとんどがこのように畑か空き地です。
地図では【熊本県立教育センター】が最も近いのですが、行ってみたけど道がない。
涅槃岩の歴史に対して熊本県立教育センターは近年できたものだし、森を切り拓くなり谷を埋め立てるなりしたっぽい。

カーナビを拡大してみたら、なんと「涅槃岩」の文字を発見!!!
しかし道はない。前述のブログの方も歩いて探していたので、最終的には歩くようだけど「徒歩10分」とのことだったので、近くまで道があるハズ。
かなり狭い農道にお邪魔して、農作業中の方に尋ねてみました。

「あんた、一人で行くのか?」
ちょっと驚いたような呆れたような感じで「出るぞ」と脅される(´▽`;)
男性(Kさん)と行くから大丈夫、と言っても、あんまりオススメしない様子。はっきりとは言わなかったけど、どうも事件か事故が過去にあったらしい。
60〜70歳くらいと思われる、その男性から昔の思い出話も聞かせていただけました。
それは後述するとして、いざ涅槃岩へ!

涅槃岩(3) 涅槃岩(4)

「僕が案内してあげる」と、先ほどの男性のお孫さんが着いて来てくれました! 心強い!ヾ(*´▽`*)ノ
Kさんも「天気にも恵まれたし、ツイてるな〜」と笑顔。やっぱり知らないところ、しかもいわくありげな遺跡に行くのは心細いものですよね。

写真:右=崖の向こうは菊池川。かつては、川沿いにも道があったそうです。

台風の影響なのか、何ヶ所か倒木を跨いでくぐって、10分もしないうちに・・・

涅槃岩(5) 涅槃岩(6)

石塔が現れました。真ん中の石塔には凡字、三つ巴(みつどもえ)と桐の紋が刻まれていました。お墓のようです。「小島」と書いてあるように見えます。
両サイドは常夜灯でしょうか?

涅槃岩(7) 涅槃岩(8)

写真:左=この巨石が「涅槃岩」なのでしょうか?
元からある自然石なのか、わざわざ運んだのか不明ですが、綺麗な切り口をしています。文字のようなものは見当たりませんでした。

写真:右=その岩の西側に、朽ちかけたお堂がありました。床が抜け、いつ屋根が落ちてもおかしくありません。辺りにはビンやお皿などが散らばっていました。

涅槃岩(9) 涅槃岩(10)

そして、たくさんの石仏。文字がかなり薄れていますが、「観世音」「美六(みろく?)」など、いくつか読めました。大正時代のものが多いようです。

涅槃岩(11) 涅槃岩(12)

写真:左=石柱には[樺迦堂]と刻まれているように見えるのですが、ネットで検索してもそのような単語はないし、謎のままです。ツタを払って見ようとまでは思えなかった・・・(´Д`;)
建立に関わったと思しき人の名が連なっています。

写真:右=地蔵菩薩

涅槃岩(13) 涅槃岩(14)

写真:左=毘沙門天 右=虚空蔵菩薩

男性の話によると、40〜50年前までは尼さんが一人で守っていたそうですが、亡くなられてからは管理をする人もなく、お参りする人もいなくなったそうです。
もっと以前(昭和初期くらい?)までは、とても栄えていて旅館(宿坊?)があったほど参拝者が多かったと言い、お寺の規模も今から想像つかないくらい広くて池や滝まであったとか!
今日のルートはお堂の裏手に繋がっていたから、そもそもは正面に参道があったはずで、そちらに立派な庭園が広がっていたのだと想像できます。
菊池川からも参拝できたというし、おそらく渡し船もあったことでしょう。

毎年、お釈迦様の誕生日「灌仏会(かんぶつえ)」=4月8日には甘茶が振る舞われ、それはそれは賑わったそうです。
かくいう男性も、父・祖父から聞いた話と言いますから、それこそ明治〜大正時代なのでしょう。

「栄枯盛衰は世のならい」とは言え、そこまで栄えたお寺が今や訪れる人もなく朽ちるのを待つのみというのは、まさに「もののあはれ」・・・。
近くの地区、志々岐や小原には最後に務めたという尼さんのことを知る人も、まだいるかも?
最も近いお寺、正徳寺には記録があるのかな。
そうは思うものの、これ以上はそっとしておいた方がいいのかも知れません。

閻魔堂(1) 閻魔堂(2)

案内してくれた男の子が「近くに閻魔堂もあるよ」と教えてくれたので、道を聞いて行ってみることに。
またしても、ご近所さんが色々とお話ししてくれました!

かつて2度も火災に遭ったそうで、この閻魔堂は昭和初期に建て替えられたものです。昔はもっと大きくて立派なお堂だったそうで、今の倍以上あったらしい。
「鍵を開けましょうか?」って言ってくれたけど、1月にお祭りがあるそうなので、その日のお楽しみにとっておきます♪

閻魔堂からの眺め 同田貫本舗

写真:左=閻魔堂からの眺め!
この日は霞んでたけど、雨上がりの翌日などは阿蘇・俵山あたりまで見えるそうです!

写真:右=すぐ近く、閻魔堂から坂道を降りきったところに「千人灯籠せんべい」で有名な【同田貫本舗】があります。
って今日まで知らなかったのですが(´▽`;ゞ
あたり一帯に甘〜〜〜いにおいが漂っていて、たまらず購入(笑)ハネもの1袋500円。
これが好みの味で! やばい、やめられない止らないヾ(*´▽`*)ノ

石碑 六地蔵

写真:左=同田貫本舗から閻魔堂へ登る坂道の辻(十字路)に建つ石碑。右側に「元禄六 癸酉」の文字・・・1693年ですよ!!

写真:右=その向かいの角に建つのは六地蔵。ここは「十」というより「X」という感じの十字路で、かなり鋭角です。

もし訪れる際は、車を停める場所がないし道幅がとても狭いので、お気をつけて。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用

涅槃岩Map

涅槃岩はGoogleMapには載っていません。だいたい、このあたりです。
(Yahoo!地図には載ってました)
ちょっと離れてますけど、小原権現の場所を貼っておきますね↓



*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月05日【トンカラリンと菅原神社
・2017年03月09日【菊池川流域の史跡・古墳めぐり
・2017年04月03日【菊鹿町・切通しの石仏群


SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!









posted by しう@SOTO at 23:50 | TrackBack(0) | 熊本

2017年04月13日

山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(前編)

2年前からチェックしていた、毎年4月の第2土・日に執り行われる岩屋神社の【岩屋まつり】。
今年こそはと心待ちにしておりました。

ところが週末は雨の予報だったため役場に電話してみたところ「よほどの大雨でない限りは決行します」との返事。
タイムスケジュールを調べてみたら、8日(土)の方が神様を招く「奉銭(ほうせん)の儀」や、暴れ神輿も神楽も見れるのですが、紫橙(さいとう)大護摩供養は9日(日)。わたしの目当ては、どちらかというと大護摩供養&火渡り神事。
8日当日は予報通り雨だったので断念しましたが、本命の護摩焚きが行われる9日は曇り! 天気が変わるかも知れないけど、早起きしたし東峰村へ2時間弱のドライブがてら出発♪
なんと晴れ間も見え、汗ばむ陽気となりましたヾ(*´▽`*)ノ

岩屋神社(岩屋まつり2日目) 岩屋神社(岩屋まつり)

イベント会場では物産品の販売や、天狗の下駄飛ばし大会、太鼓の演奏、カラオケ大会、餅まきなどが開催されます。

岩屋神社(案内図) 岩屋神社(吊り橋)

写真:左=岩屋山の全体図
写真:右=イベント会場から、吊り橋を渡って行きます。

岩屋神社(護摩行準備) 岩屋神社(石柱門)

写真:左=ご神木の一つでもある樹齢700年の大銀杏の前で、護摩供養の準備が進められています。
宝珠山一帯は、朝鮮半島の金剛山と対馬以外ではここにしか見られない玄海ツツジ、高さ約18メートルもの大ツバキが自生し、いずれも県天然記念物に指定されています。

写真:右=本来は、こちらが山門にあたると思われるので、一旦出てから撮影、あらためて入山。

岩屋神社(洞門) 岩屋神社(五百羅漢)

写真:左=大銀杏の脇から石段を登ると、大岩をくりぬいた洞門が。
写真:右=向こう側の高台、尾根を歩いてる人が! あそこまで行くのね。

岩屋神社(五百羅漢) 岩屋神社(五百羅漢)

写真:左=手前の真ん中に、お気に入りの「合掌童子」像。一昨年よりも苔むして、お顔が半分くらい隠れてきました。邪魔だろうなぁ。

写真:右=右側の洞門をくぐって、鳥居の先にそびえる権現岩、その懐に岩屋神社が鎮座しております。

岩屋神社(鳥居) 岩屋神社(石段)

最初の難関、急峻な石段です!
両サイドには数多の石仏が「がんばれー」と見守ってくれています。

岩屋神社(本殿) 岩屋神社(本殿からの眺め)

写真:左=岩屋神社本殿は権現岩の窪みを利用して造られた彦山山岳修行の第3窟で、国指定重要文化財。
およそ1500年前の継体天皇25(521)年、中国・北魏からの渡来僧「善正」が修行場「日子山(ひこさん/彦山・英彦山)」を開山した翌年(532)、宝珠山宝泉寺大宝院として開かれたのがはじまりとされています。

写真:右=本殿から見下ろすと、崖の角度がよく解ります。

案内板より↓
現在は岩屋神社と呼ばれている本社は、明治以前は、神仏混淆(こんこう)の天台宗系修験道寺院でもあったので、宝珠山宝泉寺大宝院岩屋三所大権現社と、また、彦山・宝満山を中心とした山伏たちの修行場、彦山四十九窟の一つとしては宝珠山窟、入峰修行の彦山春峰・宝満山秋峰四十八宿の一つとしては、玉置(玉来/たまき)宿とも呼ばれていました。

岩屋神社(本殿) 岩屋神社(本殿)

本殿には氏子総代さんが御神酒を振る舞われていて、本殿内部の写真も撮らせてくれました!
(ちなみに御神酒は飲めなかった・・・;つД`)

ご祭神は英彦山権現と同じく、観世音菩薩の化身・伊弉冉尊(いざなみのみこと)、釈迦如来の化身・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、阿弥陀如来の化身・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)。

宝珠山には、とある伝説があります。
それは欽明天皇8(547)年、突然の霊光とともに空から「星の玉」(つまり隕石?)が降って来たというものです。
社僧はこれを「宝珠石」と名づけ、社殿を造ってご神体として大切に祀りました。
「宝珠」とは仏教用語で、仏の教えの象徴であり、何でも願いが叶う不思議な玉という意味。この宝珠石=宝珠山が村名・村章の由来です。(宝珠山村は小石原村と対等合併し2005年に東峰村が発足、現在は福岡県朝倉郡東峰村宝珠山という地名となっています)

大化4(648)年、村人に「星の玉・宝珠石を茅薦(かやこも)で包んでまつれ」と神のお告げがあり、以来、閏年の旧暦9月19日(10月19日)に「薦替えの儀」が行われています。
「宝珠石」を見ると目がつぶれるという言い伝えがあるため、薦替えの儀は目隠しをし、榊の葉を咥え、かつては夜中に手さぐりで行われていましたが、現在は昼間に行われているそうです。

写真:右の中央、柵で囲われた丸いものが、その宝珠石です!!!
まさか見られるとはー!来てよかったヾ(*´▽`*)ノ

岩屋神社(馬の首根岩) 岩屋神社(馬の首根岩からの眺め)

写真:左=一昨年は断念した、本殿・権現岩の東側にそびえる、馬の首根岩。いざ行かん!
写真:右=右も左も断崖絶壁の鎖場、と書くと大げさかも知れませんが(笑)その先には、こんな絶景が待っていました!

岩屋神社(馬の首根岩からの眺め) 岩屋神社(馬の首根岩から権現岩を振り返る)

写真:左=ちょうど後から来た男性2人組がいいポジションに座ってくれたので写真を撮らせていただきました。
そして驚いたことに、読経を始めたのです!
会話を聞いていたら(盗み聞き;;)ここで3日間、断食をしながらUFOを待っていたことがあるらしいΣ(°ロ°;) おにいさん、ナニモノ!?

写真:右=法螺貝の音が聞こえて来て、振り向いたら本殿近くで吹いているではないですか。
おにいさんたち「あ、●●ちゃんだ」Σ(°ロ°;) 知り合い!? つか女性だよ!!
なんとコアな人たちが集まってるんだ、岩屋まつり・・・。

岩屋神社(針の耳) 岩屋神社(針の耳 胎内くぐり)

馬の首根岩から本殿に戻り一礼して、西となりに位置する権現岩と梵字岩の境目(割れ目)へ。ここも、一昨年は忘れてスルーしてしまった場所です。
この割れ目は「針の耳」と呼ばれ、親不孝者が通ると上から石が落ちてくるという伝承があります。
(そこそこ大きな石が引っかかってます)
また、左側の「梵字岩」には、修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が彫ったという梵字がかすかに遺っているそうです。通るのに気を取られていて、確かめるのをすっかり忘れてしまいました! 絶好調トリ頭!(T▽T)

岩屋神社(熊野神社) 岩屋神社(修験道)

写真:左=熊野岩に抱かれた熊野神社。
写真:右=その東側から、奥社への修験道が続いています。前回は時間がなくて廻れなかったので、今日は張り切って行きますよ!

岩屋神社(修験道) 岩屋神社(修験道)

烏帽子岩を回り込むような感じです。鎖がかけられているので助かります!

岩屋神社(修験道) 岩屋神社(修験道)

烏帽子岩を過ぎ、見晴岩へ登ります。
お社があるわけじゃないし、登らなくても修行に支障はなかったと思われますが、きっと名前が示すように見晴らしがいいに違いない!!

岩屋神社(見晴岩からの眺め) 岩屋神社(基準点)

写真:左=見晴岩からは、「竹地区の棚田」が一望できました!ヾ(*´▽`*)ノ

案内板より↓
標高差160mの急斜面と約11ヘクタールの土地には、石積みの棚田が約400枚と24戸の集落が広がる日本の原風景に立ち返ったようなのどかな景色。
「竹地区の棚田及び岩屋神社などの山岳信仰遺跡群」は「日本棚田百選」や「美しい日本の歴史的風土100選/準100選」にも選定されています。

写真:右=基準点に写るわたし♪

岩屋神社(見晴岩からの眺め) 岩屋神社(烏帽子岩)

案内板より↓
岩屋山内に林立する奇岩は天から神が降りてくる依代(よりしろ)・目印で「陽」を、また窟は他界への入口・神仏の母胎内で「陰」を現し、奇岩と窟とで陰陽が一体となった、神仏が降臨する神聖な場所として考えられており、山伏たちは、この宝珠山窟に籠り、神仏と一体化するため断食・瞑想・読経などの荒行を行っていました。

写真:右=さっき通って来た烏帽子岩。上から見ると凄いな!

岩屋神社(鎖場) 岩屋神社(鎖場)

眺めを堪能したら、見晴岩を降りて登って・・・鎖場に次ぐ鎖場。

岩屋神社(道標) 岩屋神社(鶯窟)

写真:左=要所要所に、こうした道標があるので心強いです。
写真:右=鶯窟。こちらは特に“何か”を感じる場所でした。

岩屋神社(お大師様) 岩屋神社(舟玉地蔵)

写真:左=岩肌をくり抜いた穴に、お大師様が鎮座しておりました。
写真:右=舟岩には、舟玉地蔵。

岩屋神社(修験道) 岩屋神社(舟岩)

そろそろ佳境だと思われるのですが・・・この先は行けるのか?

後編へ続く!

岩屋まつり(東峰見聞録|東峰村観光情報サイト)

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年07月02日【出羽三山神社
・2011年11月04日【筑波山
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2014年05月18日【多氣山不動尊・大火渡り祭
・2015年01月15日【樹齢約200〜600年の巨木群・行者杉
・2015年04月18日【筑前岩屋駅前の釈迦岳湧水
・2015年04月19日【彦山山岳修行の第3窟・岩屋神社
・2016年02月16日【巨木を訪ねて〜津江神社の樟(クス)
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2016年06月06日【白山比め神社と弘法池

SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!








posted by しう@SOTO at 14:38 | TrackBack(0) | 福岡

2017年04月14日

山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(後編)

2017年04月13日【山岳信仰の岩屋神社・岩屋まつり(前編)】つづき
※訪れたのは4月9日です

山岳信仰の地、福岡県東峰村の岩屋神社を訪れ、修験道を奥之院まで向かって鎖場に続く鎖場を行くこと約2時間・・・そろそろ、奥之院ではないかと思いながら、どうも行き止まりっぽい雰囲気で不安になり、道を間違えたかなと振り返ると・・・

岩屋神社(奥の院) 岩屋神社(奥の院)

ありました! 奥の院!ヾ(*´▽`*)ノ

岩屋神社(十三仏と奥の院) 岩屋神社(木の幹に落書き)

写真:左=十三仏
写真:右=すぐそばの木。幹を削って文字(名前?)が刻まれています。
これって、いわゆる落書き!? なんというバチあたりな!

この手前までは後続の人の声が聞こえていたのですが、一人で参拝したかったから「追いつかれる前に辿り着かなきゃ!」と焦っていたので喜びもひとしお。
お参りして写真を撮らせていただいて、しばし感慨にふけっていたのですが、ついぞ後続のグループが来ることはなく。どうやら鶯窟かお大師様を奥之院と勘違いしたか、時間的に諦めて降りられたようです。

前編に載せていた案内板「岩屋公園マップ」を見る限り、位置関係がちょっとズレているから勘違いするのも無理はないと思います。
−−−とか言って、もしかしたら自分も勘違いしてるかも(´▽`;)
間違っていたら、すみません!!!

岩屋神社(鎖場) 岩屋神社(立会地蔵と不動明王)

写真:左=さぁ、また急な石段を鎖を頼りに降ります。雨上がりだから、滑るんです(;つД`)
写真:右=あまり怖くない、ユーモラスな不動明王さまと、立会地蔵。
2年越しの念願叶って、無事に踏破してきましたよー!ヾ(*´▽`*)ノ

この時点で法螺貝や太鼓の音が聞こえて来て、護摩行が始まってしまいましたが、行≠止める訳にはいきません!

岩屋神社(大日社へ) 岩屋神社(大日社)

ラスト、大日社へ。何度目かの急な石段! ひぃ〜〜〜〜

案内板より↓
鎌倉時代半ばの記録「彦山流記(ひこさんるき)」には、彦山四十九窟の第三窟・宝珠山窟として記録されており、五間四面(一辺が五間で四方に庇が付く・一辺約12m)の大日堂があり、丈六(約3m)の大日如来などが祀られていて、行者は必ず宝珠石に祈るようにと記されていました。

室町時代に彦山から宝満山の尾根筋を踏破する入峰(にゅうぶ)修行が確立されると、玉置(玉来)宿として修行の重要拠点の一つとされました。
戦国時代初期の文明年間(1469〜1486)には、岩屋六坊(いわやろくぼう)とも呼ばれ、多くの堂社が建ち並び祭祀も盛んでしたが、戦国時代末の永禄(1558〜1570)〜天正(1573〜1592)年間には、豊後の大友宗麟と彦山座主(ざす/住職最上位の別称)家との確執から、大友軍により焼き討ちされ荒廃しました。

江戸時代初めには堂社の再建も始まり、彦山末を離れ、聖護院(しょうごいん)末の宝満山の末寺となります。
元禄11(1698)年には、四代福岡藩主 黒田綱政によって現在の本殿が再興されました。
しかし明治初年の神仏分離令・修験道禁止令・廃仏毀釈運動により衰退し、岩屋神社として再出発、2005〜2006年に本殿の解体・復元工事が行われました。

岩屋神社(行者の列) 岩屋神社(行者の列)

大日社から降りたら、ちょうど行者さんたちの列が! タイミングに恵まれました。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

護摩 - Wikipedia より
修験道で野外において修される伝統的な護摩法要を、柴燈・採燈(灯)(さいとう)護摩という。日本の伝統的な二大修験道流派である真言系当山派では、山中で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたために「柴燈」と称する一方、同じく伝統流派である天台系本山派では、真言系当山派の柴燈から採火して護摩を修するようになったため「採燈」と称する。

近年では、伝統的な本山派・当山派の流派には属さない寺社、また、分派、独立した宗団や密教系新宗教などでも、独自の方法と解釈により「斉燈護摩」(真如苑真澄寺)や「大柴燈護摩供」(阿含宗)、「お火焚き」「火祭り」などの別称を用いて実施されている。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

写真:左=四方を弓で射る儀式。この弓は拾って持ち帰っていいようで、破魔矢と同じ意味があるようです。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

ついに火が点けられました。ものすごい煙がもうもうと立ちこめます。
同時に、周りの行者さんたちが一斉に真言を唱え始めました。

そう言えば、法螺貝が鳴り響くと周りのカエルも一斉に鳴きだすんですよ!
音に呼応してるんですかね?

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

写真:左=大僧正?が護摩木をくべはじめます。
写真:右=中心に立てられていた五色の御幣は、途中で取り出されました。

この護摩供養がはじまる直前に、四方を囲っていた御幣を参拝者が勝手に取って行ってて「ひどいなぁ」と思っていたら、これは持って帰っていいのだそうです!
玄関などに魔除けとして飾っておいて、来年の岩屋まつりの日にお返しするのが倣いだとか。
最後に、この中心に立っていた御幣も、祭壇の五色(五本)の御幣も、みんなそれぞれ早い者順で持ち帰られました。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

炎は上昇気流を巻き起こし、煙が渦を巻きながら天に昇る様は圧巻でした。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

護摩木をくべ終え、燃え尽くされた頃合いを見て、檀が崩されます。
両脇に丸太を避けて中心に道を開け、炎を叩いて鎮火させ、いよいよ火渡りの準備です。

岩屋神社(護摩供養) 岩屋神社(護摩供養)

実際に火渡りを見たのは「多氣山不動尊・大火渡り祭」が最初で、今回は2度目なのですが、大僧正がアッサリ渡っちゃって「あれっ!?(°°;)」
写真を撮る間もなかった・・・。多氣山不動尊の時は、巨大な護摩木を抱え「エイヤー!!!」氣合とともに走り抜けたので、そういうものだとインプリンティングしてしまっていました。

その後も、みなさん慣れた様子で次々と火渡り。
小さなお子様は行者さんに抱かれて、足下がおぼつかないようなお年寄りも手を引かれて歩いていました。
宝珠山地区の方々にとって、岩屋まつりは1年の無事を祈る、なくてはならない行事のひとつなのでしょうね。

護摩・火渡りには、浄火により煩悩を焼き尽くし災厄を祓うという意味があります。
今回も火渡りはしなかったのですが・・・どこかで三度目の正直となるか?(≧∇≦)

岩屋神社では、7月下旬の日曜日には夏祭り「ヨド(夜渡)」、10月19日には秋季大祭「オクンチ」が行われます。
機会があれば是非、訪れてみてください。

岩屋まつり(東峰見聞録|東峰村観光情報サイト)

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2011年07月02日【出羽三山神社
・2011年11月04日【筑波山
・2013年04月06日【秋月の町並み
・2014年05月18日【多氣山不動尊・大火渡り祭
・2015年01月15日【樹齢約200〜600年の巨木群・行者杉
・2015年04月18日【筑前岩屋駅前の釈迦岳湧水
・2015年04月19日【彦山山岳修行の第3窟・岩屋神社
・2016年02月16日【巨木を訪ねて〜津江神社の樟(クス)
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策
・2016年06月06日【白山比め神社と弘法池

SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!








posted by しう@SOTO at 18:03 | TrackBack(0) | 福岡

2017年04月17日

前原の一本桜

小国町役場の公式facebookで、12日に「前原(まえはる)の一本桜が二部咲き」と報告されていたので、暖かい日が続いたし、そろそろ見頃ではないかと15日に見に行ってきました。
GoogleMapをナビ代わりにしましたが、案内板が要所要所に立てられているので、迷わず行けると思います。

前原の一本桜(1) 前原の一本桜(2)

湧蓋山(わいたさん)を眺望できる下城田原地区の牧場に、ぽつんと佇んでいます。
詳細は定かではないそうですが、牛神桜と呼ばれ、樹齢は数百年とも言われています。枝わたり約12m。

前原の一本桜(4) 前原の一本桜(3)

以前は二本だったそうですが、一本が枯れて一本桜となったそうです。

しかし、ぜんぜん咲いてない・・・。
枯れている枝もあり、蕾がいっぱいついているようにも見えないし・・・。
ただ単に、まだ時期が早かっただけかも知れないけど。周辺地域の桜は満開もしくは散り始めていたので、陽当たり独り占めの一本桜が遅い開花というのも不思議です。

今日(17日)は、熊本は強い暴風雨に見舞われたので、桜にとっても災難だったことと思います。
観光パンフレットに載っているような光景は、今年は見られないかも知れません。

前原の一本桜(5) 前原の一本桜(6)

前原牧場は私有地のためマナーを守って、牧草地などには立ち入らないように注意してください。
駐車場は未舗装で10台分くらい、トイレなし。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用



*関連する過去ブログ記事*
・2012年04月06日【杖立温泉の鯉のぼり
・2014年01月07日【阿蘇のストーンサークル? 押戸ノ石 石群
・2015年04月17日【鉾納社(宝来吉見神社)
・2016年02月20日【巨木を訪ねて〜南小国町・湯田天神宮の榧
・2016年08月12日【下城公孫樹と遊水峡
・2016年09月08日【裏見の滝・鍋ヶ滝
・2016年09月09日【小国郷のシンボル・阿弥陀杉
・2016年09月10日【福運三社めぐり・小国両神社
・2016年09月11日【福運三社めぐり・鏡ヶ池
・2016年09月12日【福運三社めぐり・けやき水源
・2016年11月02日【下城の滝と下城公孫樹(大イチョウ)
・2017年02月01日【竹の熊の大欅と満願寺・金比羅杉
・2017年02月02日【三県またがりドライブ

SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!








タグ: 巨木
posted by しう@SOTO at 23:36 | TrackBack(0) | 熊本

2017年04月18日

山伏師さまの逆さ杉

ドライブがてら山道を何ともなしに入り込むことがよくあるのですが、10年ほど前に大分県との県境近く、兵戸峠あたりの旧道で「山伏」と額束に書かれた鳥居を見つけました。
ボロッボロだったものが5〜6年前に建て替えられ、訪れている人がいることに驚きました(´▽`;) 近くの地区の方々か、林業に携わる方々かが管理されているのかな?

山伏師さまの逆さ杉(1) 山伏師さまの逆さ杉(2)

以下、案内板に書いてあった文章を、日本語がおかしいし誤字もありますが(笑;)原文ママで書き起こしました。
此の上、二十五メートルの所にある杉の老木は、今から七百五十年の昔、阿蘇一の宮の眞角坊と言ふ山伏の墓に植えた大杉も有ります。
杉の老木は杉の枝をさかさまに植えたと言ふ伝設が有ります。
下の方から大きな枝が付いて居ます。
菊池市の老木として有名であります。
祭日 毎年 正月十七日、七月十七日

この看板自体もかなり古くて、錆びてるし文字もかすれてよく読めなくなっています。

山伏師さまの逆さ杉(3) 山伏師さまの逆さ杉(4)

ネットで検索したら、【上津江公民館だより】平成25年6月号がヒットしました!
「山伏師(やんぼし)さまの逆さ杉と湧水」
国道387号県境のトンネル上のスーパー林道から旧道を入った兵戸峠に山伏師さまが祀られていて、ここには780年前より厳しい山での修行の安全と達成を願い祀られた山伏師さまのやしろを守るように逆さ杉と言われる老木があります。
幹周りが5.5mの上に複数の枝があり、ちょうど根が伸びている姿に見えることから、逆さ杉と言われるようになりました。
近くには「山伏のうしろ飛び岩」と言われる巨岩があり、山伏師が修行をしていたと言い伝えられています。
また、笹野は広大な国有林を抱えており、水の綺麗な地としても有名です。


山伏師さまの逆さ杉(5) 山伏師さまの逆さ杉(6)

さらに「広報きくち 1989年8月1日 494号」も発見!!

「鉾の甲」(ほこのこう/地名です)
細川藩のころまでは、住家はなかったという。鹿狩りに来られて住居を構えたのが川の上であったため、鉾の甲川上家と名づけ、それが区の始まりと伝えられている。
(略)
山の神祭り(1、9月の16日)/山伏祭り(1、7月の17日)/先祖祭り、敬老会、疫病祓い、八朔祭り、村祭り

山伏師さまの逆さ杉(7) 山伏師さまの逆さ杉(8)

「山伏宮の大杉」
750年の昔、阿蘇一の宮の眞角坊という山伏(修験者)の墓に植えた杉。
下の方から大きな枝が伸びて、さかさまに植えたという伝説がある。枝は阿蘇の方角へ伸びている。

写真:右の、屋根が架かっている石柱が、山伏師さまのお墓なのでしょうか?
今でこそ立派な道路が通っていますが、かつては鬱蒼とした険しい山獣道だったことでしょう。

鉾の甲公民館のすぐ傍に菅原天満宮、道があるのか定かではありませんが東に300mほどで心福寺奥乃院、そこから直線距離にして北へ約400mで、この逆さ杉があります。
そして道はありませんが、同じく直線距離で西へ約1.5kmで鳳儀山聖護寺という立地から見ても、山伏(行者)がいても何ら不思議ではありません。

看板によると、毎年1月17日と、7月17日に祭祀が行われるようです。
7月はたぶん無理だけど、来年の1月17日(覚えてたら)行ってみよう!!

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用


地図には載っていないので、鉾の甲公民館を貼っておきます。
菊池方面からすると、兵戸公園の手前(左)から旧道を北へ3kmほど走ると発見できると思います。

*関連する過去ブログ記事*
・2012年02月04日【菊池と上津江のあいだをドライブ
・2014年03月19日【お水を汲みに

SOTO Home Page
 TwitterFacebookInstagramYouTubeフォトライブラリー
+SOTO+全国ご当地ソフトクリーム
全国道の駅情報+SOTO+

人気ブログランキングへ ←応援クリックお願いします♪


【キャンピングカー放浪旅生活】2017年5月、再始動予定です!








タグ:神社 巨木
posted by しう@SOTO at 23:44 | TrackBack(0) | 熊本県菊池市