2017年03月01日

菊池の初市・御所通をぶらり散歩&お朔日参り

3月になりました。九州・熊本は、朝晩は冷えるものの日中のポカポカ陽気ときたらもう春と呼んでもいいかも知れません(*´▽`*)

初市2017(1) 初市2017(2)

毎年3月1日・2日は、菊池の中心地・隈府(わいふ)御所通りにて【初市】が開催されます♪
400年以上の歴史があり、平日/休日に関わらず1日・2日と決まっています。
ちょうど御所通りに面する菊池高校が卒業式なので、平日でも賑わっておりました。
(ちなみに初市は2月下旬〜3月中旬まで県内あちこちで開催されます)

御所通りでの開催は今年が最後かもと噂されています。来年からは市民広場あたりに移るらしい? 歩行者天国にする必要がなくなりますからね〜・・・。
それに、何故か毎年1日か2日どちらかは雨か雪に見舞われるというジンクス?があり、今年も2日は雨でした(´▽`;)

そう言えば初市名物の「初市飴」が出てなかったのですが、大津にある工場(自宅?)が全壊したため製造をやめてしまわれたそうです。ここでも熊本地震の影響が・・・。

初市2017(3) 初市2017(4)

写真:左=左側にそびえる椋の木は、大好きな「将軍木」。樹齢約600年。
菊池には巨木がたくさん点在しています。商店街の中にもさりげなく。

樹木(2) 樹木(1)

樹木の枝振りが見れるのは冬の時期、落葉樹だけ。何となく好きでよくこうした写真を撮っているのですが、道行く人からは「何撮ってるの?」と不思議がられます(笑)

初市2017(松倉邸) 初市2017(ベトナム料理)

【松倉邸】ではベトナム料理が味わえると聞いて行ってみたら・・・「てぃてぃ」さんじゃないですか!
いつも【江津ふれあいマルシェ】でお世話になっております〜ヾ(*´▽`*)ノ
マルシェでは見たことがないメニューにしました。スープもついておトク♪ 焼肉とパクチーの相性がよくて、ボリュームたっぷりで美味しく大満足でした(^人^)

廣現寺(1) 廣現寺(2)

食後の運動がてら御所通り商店街をぶらぶらお散歩。
久しぶりに【慈雲山 廣現寺】の彫刻を見に行きました。ご近所なのに、10年ぶり!(^x^;
門構えから荘厳な龍の彫刻がどーん!と。見事としか言いようがありません。

廣現寺(3) 廣現寺(4)

宗派は、浄土真宗本願寺派。広現寺が何故これほど龍にこだわっているのか? どこもかしこも龍だらけです。
材木も素晴らしい。本堂への手すりは修復されているものの、元は1本ものの材木だったと思われます。
龍好きさんは是非、ご覧いただきたい。

チャンチンモドキ(1) チャンチンモドキ(2)

菊池高校の敷地内にあるので二の足を踏んでいた熊本県指定天然記念物【チャンチンモドキの木】。卒業式の今日が気兼ねなく立ち入るチャンス! と勇んで校門を抜けると・・・おや?
奥にある、こんもりした木だとばかり思っていたら・・・手前の木!? 落葉樹だったのね!(´Д`;)

案内板によると、昭和63年時点での幹囲3.7m/高さ25m。
中国南部に育つセンダン科の高木・チャンチンに似ているためこの名がつけられました。日本では九州だけにしか生育していない、全国的にも稀な樹木だそう。

チャンチンモドキ(3) 菊池高校の遺跡

この木は元から自生していたものか、栽培された(植樹された)ものかは不明。
雄株で、5月には紫褐色の小さい花が多数集まって咲くそうです。
あぁ・・・葉が生い茂っている時に見に来なきゃ。

写真:右=遺跡もあります。わたしが通ってた高校にも遺跡があったし、そういえばあそこも、ってな感じでけっこう学校に遺跡があるのは珍しくないみたい。

菊池神社(鳥居) 菊池神社(2017/03/01)

時系列通りではありませんが、締めはやっぱり菊池神社で♪ お朔日(ついたち)参りしてきました。
熊本地震でズレてしまった鳥居も、本日やっと修復されて参道入口が通行できるようになりました。
もうすぐ1年が経とうとしているのに修復作業が済んでいないところがまだまだあります。余震も収まっていないし、なかなか落ち着けません。

まめつた 野鳥

*おまけ*
写真:左=何となく好きなマメツタ。絡み付く系の植物は苦手なんですが、マメツタは点描画みたいで可愛いと思える(笑)
写真:右=野鳥がカメラ目線をくれました♪ 名前はわかりません。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用

くまもと菊池さくらまつり 開催期間:2017年2月10日(金)〜3月26日(日)

*関連する過去ブログ記事*
 (旧ブログの【熊本県菊池市】カテゴリ一覧はこちら
・2007年03月01日【菊池探訪〜廣現寺〜
・2010年03月28日【菊池探訪〜御所通りの将軍木・再〜
・2012年10月13日【菊池 秋まつり(松囃子能)
・2013年03月02日【初市と御所通り
・2014年03月13日【癒しのひととき】(足湯)
・2015年02月22日【菊池温泉めぐり・清流荘
・2015年03月10日【菊池温泉めぐり・望月旅館
・2015年03月19日【菊池温泉めぐり・笹乃家
・2015年04月16日【菊池温泉めぐり・湯元旅館
・2016年02月11日【わいふ一番館〜菊池十八外城展〜
・2016年06月13日【妙蓮寺の樟(クス)
・2017年02月15日【菊池の巨木めぐり

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2017年03月05日

トンカラリンと菅原神社

2週間ほど経ってしまいましたが、2/21、またKさんに史跡&古墳を案内していただきました!

トンカラリン(1) トンカラリン(2)

ついに。長年の夢(?)謎の古代遺跡隧道【トンカラリン】初訪問・・・!!
色んなウワサを耳にしつつ、あなぐらは何となく怖くて一人で来たくなかったんですよね(´▽`;)

いつも予習などしないので、新鮮な気持ちでレッツ★ゴー(笑)
空き地の駐車場にクルマを停め、意外と民家の近く、あぜ道のような路地を通って行きます。

トンカラリン(3) トンカラリン(4)

一見、ただの石垣かな?と思われるコチラが・・・トンカラリン!?

トンカラリンは、隧道(トンネル)型遺構。
江田船山古墳(国の史跡)がある清原(せいばる)台地に位置し、全長は464.6m、自然の地隙や人工の石組暗渠で構成されている。
「トンカラリン」という名称は、穴に石を投げ込むと「とんからりん」という音が聞こえることからつけられたという説と、朝鮮語由来という説がある。
また、考古学者の吉村作治によりエジプトのピラミッドとの共通点もいくつか指摘されている。石積みが布石積みという日本では珍しい工法であり、これはエジプトのピラミッドと同じものである。
トンカラリン - Wikipediaより)

トンカラリン(5) トンカラリン(6)

写真:左=ほほぅ〜〜〜これが・・・と怖々しげしげ眺めていたら・・・
写真:右=えっ! ずーっとトンネルじゃなかったの!?Σ(°ロ°;)

いったん切れて、お城の堀みたいな部分を歩いて行くと・・・

トンカラリン(7) トンカラリン(8)

また穴が。でも、これも短くて出口が見えてる。(間に石が挟まってるように見えるけど、石が出っ張ってるだけです)
上部は人が歩ける道になってて、小さなトンネルって感じ。
こういうところを見ると水路説が出るのもさもありなん、と思うけど・・・。

トンカラリン(9) トンカラリン(10)

更に先へ進むと、今度は天井が高い、細く縦長なトンネル?が出現!

トンカラリン(12) トンカラリン(11)

両サイドの壁は水の浸食などで自然にできたと言えなくもないけど、天井には明らかに人工的に切り出された岩盤が蓋をするように横たわっています。

トンカラリン(13) トンカラリン(14)

そしてまた出口。これは狭すぎて人間が通るには匍匐前進でも難しそうです。
調査のために入られた方々は、大変だったことでしょう。(でも嬉々としてたかも・笑)
土嚢でだいぶ修復されていますね。

トンカラリンが謎なのは、いつ・誰が・何のために造ったのか解らないというだけでなく、民間伝承(言い伝え)もないということ!
熊本県教育委員会が1974年に現地調査を行った結果「近世の排水路」との報告書を出していますが、その後、不都合な点が多すぎるため現在は再び「謎の遺跡」とされています。
トンネル内部から灯火具やそれを置く穴が見つかったことから祭祀場ではないかとも予想されていますが、想像の域を出ていません。

作家・松本清張が1975年にトンカラリンを訪れ、『魏志倭人伝』の一節からトンカラリンが邪馬台国の卑弥呼の鬼道であるとの説を唱えたことが、トンカラリンの存在を世に知らしめるきっかけとなったそうです。

先ほど「お城の堀のよう」と表現しましたが、この地域にはかつて鶯原(うぐいすばる)城という山城があったそうですが残念ながら鶯原城についてはネット検索しても有効な情報が得られませんでした。

菅原神社(1) 菅原神社(2)

更に更に、トンネルの地上を歩いて行くと【菅原神社】が鎮座しております。こちらも別名を鶯原神社というそうです。

蛇足ですが九州は太宰府のお膝元、菅原神社がとても多いです。特に菊池周辺は1地区ごとにあると言ってもいいくらい。

こちらには、とっても珍しい狛犬がいるというのでワクワクしながら参拝♪

菅原神社(3) 菅原神社(4)

まず拝殿に向かって左側の狛犬さん。文官のような出で立ちの男性を従えて(いや、従えられて?)います。
足下には子狛犬が2匹。「おちち」がある! ママ狛犬さんだったのですね。
そこが珍しいのかな?と思いきや・・・

菅原神社(5) 菅原神社(6)

向かって右側の狛犬さん。おや?
文官らしき男性が狛犬に組み敷かれて、こともあろうに頭を齧られているではないですか・・・!!
正面から見たら右手を差し出してて「ギブ! ギブ!」って聞こえてきそう(笑)足をバタつかせている描写もコミカルです。

確かにこれは珍しい。あちこち神社をめぐっているけど狛犬を注視してるわけじゃないから定かではないが、こういうタイプは初めて見た。
台座?には、明治2年建立と刻まれていました。石工は櫻井松太郎。奉納したのは(おそらく)小村覚尤ェ門 源正勝、日平住 當村長 榮次(と読める)。
(『中 子 産』の意味が解らないのですが・・・)

この文官?さん、まさか菅原道真公じゃないよね?
どういう意図があってこの構図、何かの故事とか教訓めいたものがあるのかなぁ〜?(´・ω・`)

菅原神社(7) 菅原神社(8)

拝殿や本殿も見事な造りです。彫刻が四方に施されていて、惚れ惚れします!

菅原神社(9) 菅原神社(10)

拝殿を背に鳥居を振り返ると、真正面には「かむろ山」。
これは偶然か必然か? ここにも謂れがあるのかも知れません。

謎が謎を呼ぶトンカラリン、そして菅原神社。
是非一度訪れてみてください(^_^)

撮影:Nikon COOLPIX P900

*関連する過去ブログ記事*
・2011年08月03日【写真で綴る『和水町古墳祭』
・2016年02月01日【巨木を訪ねて〜高野天満宮の楠
・2017年02月22日【巨木・史跡めぐり*巨木と湧水と神社編
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり


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タグ:歴史 神社 遺跡
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2017年03月06日

護摩焚きで邪気退散!

毎月28日はお不動さんの縁日。中でも2月28日は不動明王の祭日(?)だと思っていたのですが・・・ネット検索してみても、判らなかった(´・ω・`)
阿蘇・手野の【垂谷(たるたん)の滝】に不動明王が祀られていて、毎年2月28日にお祭りがあるというのを覚えていたからなのですが、「2月」は関係なかったようです。
(2014年03月05日【阿蘇・手野の名水〜国造神社〜福の神地蔵尊】参照。なお数年前の土砂崩れにより滝へは行けず、不動明王像も行方不明らしい。)

そんなわけで、熊本市北区龍田にある【照水院】で毎月28日に行われる護摩焚きに久しぶりに参加してきました。

・2016年06月12日【照水院16周年祈念法要に参加してきました
・2016年06月28日【二十八日は不動明王の縁日

どうして行こうと思ったかというと・・・
ここのところ精神的に不調というか怒りの感情が泉のごとく湧き出て止まらないのであります(≧∇≦ゞ
前日の27日が特に酷くて、ハッ!と「そうだ! 照水院の護摩焚きに行こう!」と(JRのCMか)
そうしたら護摩焚きの前の法話で27日が新月だったと知りました。新月は始まりの日。本来なら「いいこと」を祈願して満月に向けて増幅させていくべき日。
これ以上、怒りが膨らんでいっては困る・・・!! いいタイミングで来れてよかった。

法話の和やかムードから一転、厳かに護摩焚きが始まりました。
室内で火を焚くので当然のことながら煙が充満します。換気扇はマックスだけど効いてる気がしないくらい。
照水院での護摩焚きは3回目の参加ですが、この日は風邪が治り切っていないせいか、しょっぱなからコンコン咳が出始めた。咳が出るのは悪いものが出て行くサインだそうで、我慢しない方がいいと聞いていたので「出てけ〜」って思いながら咳してた(笑)

照水院(1) 照水院(2)

わたしの邪気は灰になりました。たぶん。なったんじゃないかな。
氣は心と言いますが、少しラクになりました。

なったのに・・・3月3日に爆弾が投下され、「はらわたが煮えくり返る」という言葉を思い出しました。
いかん。いかんぞ。耐えるんだ。
そしてピンチをチャンスに、すべては自分次第、汝の敵を愛せ・・・

−−−って、綺麗ごとばっか言ってられるか!
うおりゃ−−−!!(ノ´□`)ノ ┫:・'∵:.┻┻:・'.:┣∵・:. ┳┳
(未熟者よのぅ・・・)


撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)


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タグ:お寺
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2017年03月09日

菊池川流域の史跡・古墳めぐり

だい〜ぶ日にちが経ってしまいましたが、2/21、Kさん案内の史跡&古墳めぐり続きです。
写真メインにて失礼します!m(_ _)m

江田船山古墳(1) 江田船山古墳(2)

玉名郡和水町【江田船山古墳】。肥後民家村が隣接しています。道の駅【きくすい】から徒歩圏内。

清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで著名な前方後円墳。国指定史跡。
江田船山古墳 - Wikipedia

江田船山古墳(3) 江田船山古墳(4)

なんと! 古墳内部に入れるとは知りませんでした! 重厚な鉄の扉が空くなんて思ってもみなかった。
内部は前日の雨のせいか結露がすごかった。窓が曇って中がよく見えなかったんだけど、回転ノブが壊れてて開けることはできませんでした。

江田船山古墳は5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62m、盾形の周濠をあわせもっています。
古墳は明治6年(1873)以降に発掘され、豊富な副葬品が出土。これらの大部分は東京国立博物館に所蔵され、国宝に指定されています。

虚空蔵古墳(1) 虚空蔵古墳(2)

江田船山古墳の西側に位置する【虚空蔵古墳】。こちらも前方後円墳ということですが、詳細は判っていません。
巨木の根元に虚空蔵さん(石像)があったというのですが、見当たりませんでした。

岩原横穴古墳(1) 岩原横穴古墳(2)

ところ変わって【岩原横穴古墳】。
ここから【二子塚古墳】【県立装飾古墳館】まで遊歩道で繋がっていたようですが、現在ではまったく整備されておらず行けるかどうか怪しい雰囲気でした。

岩原横穴古墳(3) 岩原横穴古墳(4)

案内板によると、
岩原横穴群は、米野(めの)山の北麓に広がる岩原大地の北側から南西側にかけて、6群131基の横穴からなる。このうち8基に装飾が認められる。

とありますが、崖のように高い位置にあるため内部を確認することはできませんでした。

山鹿市立博物館(2) 山鹿市立博物館(1)

【山鹿市立博物館】
ランチのついでにぷらっと立ち寄っただけで入館はしてません。
これほど広大な敷地があるというのに、誰〜〜〜もいないとは! 江田船山古墳(肥後民家村)には、お散歩やウォーキングしている人がけっこういたのに・・・。
もっと早く知っていたら、マリリンと散歩に来たのになぁ。

古代米カレー 古墳めぐりプラン

鹿央物産館】併設の【やすらぎ館】レストランでランチ♪
ここは、やはり場所的に古代米カレーにしました(笑)
以前にも某所で古代米を食べたことがあって、それが固くて固くてイマイチなイメージしかなかったのですが・・・柔らかくてモチモチしてました(´ω`*)
カレーは、ごく一般的で家庭的なカレーでした♪

タクシーで古墳めぐりプランの申し込みがここでできるそうです。1時間前までに、ということなので予約してから食事をすれば、ちょうどいいと思います。

オブサン古墳(1) オブサン古墳(2)

熊本県指定史跡【オブサン古墳】
古墳公園には、あちこちから集められた石棺が無造作に展示(というか放置?)されています。
6世紀後半の築造と見られ、直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳で、主体部は巨石で造られた横穴式石室があります。

Kさんが車内で流していたCD、その名も【古墳deコーフン!】(笑)の、歌詞「スフィンクスみたいな古墳さ〜♪」が脳内エンドレス(笑)

チブサン古墳(1) チブサン古墳(2)

写真:左=オブサン古墳から、よその農地じゃないかってくらいの路地を歩いて、国指定史跡【チブサン古墳】へ。

写真:右=この縁石?は、別に当時の再現ではないようです。芝刈りの時に邪魔だろうに、なんでこんな風に造ったんだろう?

チブサン古墳(3) チブサン古墳(4)

古墳時代後期(6世紀)に造られた墳丘長約44mの前方後円墳で、鮮やかな幾何学模様の壁画が遺されています。1500年前の古代人の文化や風土を伝える、貴重な装飾古墳です。
山鹿市立博物館(開館日)に事前に申し込みをすれば、石室内部の見学が可能です。

原部石棺 貯蔵穴

写真:左=【西福寺第2号方形周溝墓】
築造年代は古墳時代前期と推定されています。

写真:右=【近・現代の貯蔵穴】
甘藷(かんしょ)用の貯蔵穴。なんと縄文時代の貯蔵穴が隣接しています。こんなの、知らずに見たらどっちもただの穴としか思えん。

津袋古墳 頂塚古墳

クルマでちょっと移動しまして・・・
写真:左=【津袋古墳】。道の向こうには一本松公園があり、そこも古墳です。
写真:右=【頂塚古墳】。ホントにクルマでちょっと走れば古墳だらけ!

方保田東原遺跡(1) 方保田東原遺跡(2)

更にクルマで移動しまして・・・
国指定史跡【方保田(かとうだ)東原(ひがしばる)遺跡】
菊池川とその支流の方保田川に挟まれた標高35mの台地上に広がる、弥生時代後期〜古墳時代前期の大集落遺跡。約11haが史跡指定地で、遺跡の推定範囲は約35haの規模を誇る熊本県最大級の集落遺跡。
方保田東原遺跡 - Wikipedia

方保田東原遺跡(3) 方保田東原遺跡(4)

山鹿市出土文化財管理センターに収蔵、展示されている出土品の数々!(許可を得て撮影させていただきました)
コンテナ何百箱と積み上げられており、「展示」という感じではないのですが丁寧に説明していただけます。「この時代にこんなのあったの!?」と驚くような土器の数々。ビアマグ!?なんかもありますよ!
圧巻の収蔵品、興味のある方は是非訪れてみてください!

相良寺の看板 相良寺の猫

次回!【相良寺】ウガヤ陵の謎を追・・・えればいいな(´・ω・`)

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)

*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月20日【菊池の史跡巡り『袈裟尾高塚古墳』
・2011年01月21日【菊池の史跡巡り『瀬戸口横穴群・瀬戸口横穴墓群』
・2016年02月01日【巨木を訪ねて〜高野天満宮の楠
・2017年02月22日【巨木・史跡めぐり*巨木と湧水と神社編
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり

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2017年03月13日

不思議だね 不思議も不思議 人生は

大正7年(1918)生まれ、あとひと月足らずで99歳を迎えようとしていた祖母が他界しました。
90歳を過ぎても矍鑠(かくしゃく)としていて、自分の足で歩いていたし、100歳くらい余裕余裕!って思っていたので・・・何だか今でも実感が湧きません。

俳句

こちらは《卒寿》のお祝いのときに祖母からいただいた俳句。達筆すぎて読めない文字が・・・(´Д`;)

[堰いくつ 超しくるながれ ○澄めり]?

大事な部分が判らないから、意味も解らないという・・・。
誰か教えて(´・ω・`)

俳句集を出版したこともあり、老人養護施設に入所してからも、そこで俳句を教えていました。
昨年10月末に生死の境を彷徨うほどの窮地に陥りながら持ちこたえ、以来ずっと寝たきりになってしまったのですが、驚いたことに意識が回復し主治医に俳句を教えていたというのです。
わたしが見舞いに行ったときは会話はできなかったのですが、叔父が言うにはたまに会話ができたそうで、そこで表題の「不思議だね 不思議も不思議 人生は」を口にしたそうです。
季語も入っていないし俳句とは言えないのですが、これが辞世の句みたいなものかなぁ、と喪主挨拶で語っていました。

お花

大正7年というと、第一次世界大戦終戦の年。第二次世界大戦中の話も、たまに聞かせてもらいました。
お話の数々を歴史書風にまとめたかったのに、いつだって後悔先に立たず。

山鹿市菊鹿に住んでいた時期もあり、なんと歩いて熊本市内まで買い物に行っていたというから脅威です。30kmくらいあるんじゃないかな!? 現代では考えられませんよ。
(GoogleMapでルート検索したら5時間47分だと・・・(´Д`|||)
当時に培われた足腰の丈夫さが、晩年まで元気でいられた基なのでしょうね。背中も曲がってなかったし。

わたしたちからすれば元気だと思っていても、「長生きするのもきつかとよ」と、よく口にしていました。
99年もがんばってくれた肉体を離れ、今ごろは軽い足取りで祖父や親友たちと再会を楽しんでいるかも知れません。


※俳句に関してfacebookやメールで教えていただきました。
[堰いくつ 超しくるながれ 水澄めり]
 水澄む=秋の季語。秋は大気が爽やかに澄み渡り、水の流れも清涼感が増す。
 人生を振り返り、困難をいくつも超えて澄んだ水のようである心境を詠んだのかも知れません。


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2017年03月17日

菊池の桜、もうすぐです。

菊池公園〜菊池神社〜城山公園をお散歩していたら、早咲きのオオカンザクラやヒカンザクラが満開でした(*´▽`*).。・:*:・°`☆、。・:*:・°`
しかし全体からすれば1%にも満たないので、もし今来られても「え、どこに?」って探しまわらなければなりません(´▽`;ゞ
以下↓ピンポイントで撮影しております(笑)

菊池の桜はまだかいな 菊池の桜(2017/03-1)

写真:左=ソメイヨシノの開花は連休明けくらいでしょうか?
写真:右=オオカンザクラ

菊池の桜(2017/03-2) 菊池の桜(2017/03-3)

写真:左は判らないのですが、右はカンヒザクラ。QRコードネームタグがついてました。
ホント数えるほどしかないので、中途半端というか・・・。早咲きももっと植えたらいいのになぁ。

菊池公園周辺には、市民広場(きくち観光物産館、夢美術館、足湯があります)や、総合体育館など駐車場もたくさんあります。
バーベキュー可能な場所もありますよ〜ヾ(*´▽`*)ノ

菊池さくらまつり(2017年2月10日〜3月26日)
 3月26日(日)は【第62回熊日菊池桜マラソン大会】で交通規制があります。
・菊池一族まつり「菊池一族と延寿鍛治展」(2017年4月1日〜5月7日)
菊池一族と延寿鍛冶展「日帰りツアー」選べる3コース

・3月26日(日)は山鹿市でも【全国高等学校選抜自転車競技大会ロード競技】で交通規制があります。

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)



*関連する過去ブログ記事*
・2013年03月21日【三日見ぬ間の桜かな
・2014年03月27日【菊池の桜が見頃を迎えました**
・2014年03月28日【菊池の夜桜ライトアップ
・2016年04月04日【菊池の桜、今年は天候に恵まれず・・・

・2013年05月09日【写真で綴る弘前公園・桜】青森県
・2014年04月10日【高森峠*千本桜は六千本】熊本県
・2016年04月06日【久留米つつじまつり〜朝倉市秋月の町並み散策】福岡県
・2016年06月05日【写真で綴る荘川桜】岐阜県※訪れたのは4月下旬

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2017年03月20日

気分転換に、ややマルシェへ。

晴天に恵まれた三連休の中日、今月からずっと心身ともダウナーな日々が続いていて気が滅入っていたので、植木の【ややマルシェ】に遊びに行ってきました。

ややマルシェ(1) ややマルシェ(2)

まったく写真を撮らなかったので、過去のもので失礼します(´▽`;)
出店者さんの半数は顔見知りなので、ひとりで行っても寂しくない(笑)
「しうさん出店してるみたいに毎月来てない?」'`,、'`,、'`,、(´▽`) '`,、'`,、'`,、

ややマルシェ(3) 陶器レジン体験

【天正窯】さんが初の陶器レジン体験をすると聞いて、さっそくチャレンジ♪
元となる土台?は、素焼きです。色んなカタチ/大きさがあるので、その中から最終的にチョーカーにするのか、ブローチにするのか、マグネットにするのか、想像しながら好きなものを選びます。
油性マーカーで文字や絵を書くのですが、絵が苦手な方はシールを貼ってもOK♪
あとはレジンを塗ってUVライトで15〜20分焼き付けて、後ろにマグネットをくっつけたらできあがり!
「七転び八起き」可愛くできました(´ω`*)

美味しいもの食べて、久しぶりにたくさんお喋りして、好い気分転換になりました〜ヾ(*´▽`*)ノ

写経

【ややの湯】の女将さんが毎週火・水曜日に習字を教えてくれます。昨年は写経をさせていただきました。
年末からの展示会ラッシュで忙しくなり、すっかり通わなくなってしまったのですが・・・(;つД`)
6/28の照水院護摩焚き後に1日で般若心経を書き終えた満足感から失速した気がする(失笑)
やっぱり○級取得!とか目標を持ってやらないと続かない性格なんだなぁ(´・ω・`)

植木温泉旅館ややの湯】さんは、とっても雰囲気が好くて寛げますよ〜(´ω`*)
ランチあり、日帰り入浴500円、無料の足湯もあります♪
【ややマルシェ】は、毎月第3日曜日開催、開催当日は日帰り入浴 100円ですよ〜。

撮影:スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)



※次回の【江津ふれあいマルシェVol,8】(3月25日〜26日)
 わたしはお休みさせていただきますm(_ _)m
 関係各位にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほど宜しくお願いします。

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2017年03月21日

思い出の金峰山

わたしの「どこかへ行きたい病」は今にはじまったことではなく、小学生のころから突発的に現れていました。
普段は部屋に引きこもって1日中でも絵を描いて過ごしているのですが、ふと「あぁ…どこか遠くへ行きたい」という衝動に駆られるのです。

金峰山(1) 金峰山(2)

当時、島崎というところに住んでいて、三賢堂(さんけんどう/菊池武時、加藤清正、細川重賢の座像を祀った円形のお堂)、岳林寺(がくりんじ)〜峠の茶屋〜河内(この地図でいうとピンク&黄色の県道1号線)を通って自転車で有明海まで行ってました。

そんな思い出深い金峰山(きんぽうざん)県立自然公園。
小学生の頃は、遠足?野外授業?か何かで毎年訪れていたものです。

金峰山は、標高665mの一ノ岳(ここ)を中心とするカルデラ式火山。昔は「死火山」と言われてましたが、現在は「休火山」という扱いになっています。
金峰山 (熊本県) - Wikipedia

金峰山(3) 金峰山(4)

「さるすべり」ルートは通行止めになったという噂を何年も前に聞いたのですが、近年に登った方のブログを見ると、どうやら通れるようです。
当たり前だろうけど子どもの頃の記憶とは登山道の風景がまったく違っていて、樹木が生い茂っていました。「さるすべり」の坂なんて、岩がゴツゴツした崖って感じだったけどなぁ。
あれから30年強。すっかり年老いたわたしはクルマで登りましたとさ。

金峰山(5) 金峰山(6)

頂上には無粋なアンテナが林立していますが、眺めは最高です!
写真:左=この錠前は、いつから流行ったのでしょうか? あちこちにたくさん掛けられています。

登拝回数記録の看板があり、フルネームの札がたくさん下がっています。
何十年も毎日登っている人がいるのは有名で、わたしが子どもの頃からそういう人はたくさんいました。
最高は8000回を突破したらしい・・・!
ここを登っていられるうちは健康ですね(≧∇≦)

金峰山神社(1) 金峰山神社(2)

頂上には金峰山神社(金峰山蔵王権現社)が鎮座しております。喪中なので本来は参拝すべきではないのですが・・・ご挨拶だけ。
いやぁ〜、大変ご無沙汰しておりました〜〜〜(´▽`;ゞ

金峰山神社(3) 金峰山神社(4)

写真:右=菊池武重公。
金峰山は、その昔は「飽田山」と呼ばれていました。金峰山 (熊本県) - Wikipediaでは、奈良県の吉野地方にある金峰山(きんぷせん)から勧請した金峰山神社(蔵王権現)が山頂に建立されて以来「金峰山」と呼ばれるようになったと書かれていますが、一説によると神社を勧請したのも「金峰山」という名をつけたのも菊池武重公だと云われています。

奈良の吉野というと後醍醐天皇が南朝を立ち上げた地であり、陵墓もまた吉野の如意輪寺に治定されています。
まったく縁もゆかりもない訳ではなさそうです。

金峰山神社(5) 金峰山神社(6)

神社の裏手にも、由緒不明の祠?が。
写真:左=灯籠に【金峰山龍王神】と刻まれています。ここにも龍伝説が!?
写真:右=石碑に【稲荷大明神】と刻まれているように見えました。

また今度はゆっくり時間を設けて、自然歩道を歩いてみたいなと思います。

金峰山系湧水 草枕の道(鎌研坂)

帰り道は、懐かしの幼少時代を過ごした島崎方面へ。(行きは、花園・本妙寺方面から登りました)

写真:左=こちらの水は、まったく出ていませんでした。地震の影響なのかは判りません。
河内町・松尾町・島崎・花園、また玉名市天水町に点在する湧水は【金峰山湧水群】として『平成の名水百選』に選定されています。

写真:右=通称【草枕の道】、鎌研坂。子どもの頃はこのルートを歩いて登っていました。

延命水(1) 延命水(2)

三賢堂の近くを流れる『延命水』。その昔は、ご近所さんがお野菜を洗ったりしてました。
当時、この辺りではまだ蛍も見られたし、川遊びもしていました。どんこ≠ニか、小魚、エビみたいなのを捕まえたり。
(この湧水ではなくて、平行して小川が流れているのです)

もう少し下流にも『長命水』(肥後藩主・細川氏が茶の湯に使用したらしい)があって、学校帰りとかに水を飲んでたなぁ。
中学生になると通学路が変わったからあまり覚えてないけど、川もどんどん水が少なくなって汚くなり、川遊びをしてる子どももいなくなりました。ほんの5〜6年で変わってしまったのです。

旅先などでも、親や祖父母の代の方々から「昔はこんなだった」と聞くたびに、自然が豊かであったり人情味に溢れていたり、憧憬の思いでしたが、すでにもう自分自身がそういう世代になったんだなぁ。
人の手が入ると自然が変わりゆくのに10年もかからない、というのは恐ろしいものです。

撮影:Nikon COOLPIX P900/スマホカメラ(Xperia Z SO-02E)※魚眼レンズ着用

*関連する過去ブログ記事*
・2010年01月04日【石神八幡宮(熊本市)
・2010年01月05日【長命水(熊本市)
・2010年01月05日【本妙寺(熊本市)
・2010年03月27日【写真で綴る『本妙寺桜灯籠』
・2011年06月12日【吉野路
・2011年08月19日【御手水と柿原養鱒場
・2015年02月24日【霊巌洞・岩戸観音〜雲巌禅寺と五百羅漢
・2015年03月26日【思い出の小萩園

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2017年03月23日

菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(前編)

またまたKさんに史跡を案内していただきました!
今回もまた1日で20ヶ所くらい訪れたので、何回かに分けてご紹介します。

今日は、熊本地震の影響により中止となった【菊池一族と延寿鍛治展】が改めて2017年4月1日〜5月7日に開催されるので、菊池一族に関連する史跡・お寺・神社をピックアップしてお送りします\(^o^)/

菊池で史跡めぐりをしていていつも思うけど、菊池遺産≠ニか教育委員会が看板を立てているものの、そこに至るまでの沿道に案内板があんまりないんですよ。どう行けばいいのかサッパリ。現地に着いていきなり看板ですもん(´Д`;)
今回は1ヶ所ずつGoogleMapへのリンクを貼ってみました。

菊之池城趾(1) 菊之池城趾(2)

菊池市深川にある、菊池氏初代・則隆公の居城跡といわれている【菊之池城(深川城)跡】。畑というか空き地の真ん中に石碑が鎮座しているだけですが・・・。
駐車場もないので、路肩に停めて歩いて行きました。

則隆公は藤原政則の子なので、藤原則隆と記されることもあります。一説には中納言・藤原隆家の孫ともされていたり、出自は不明瞭です。
菊池則隆 - Wikipediaより)

菊池則隆公墓(1) 菊池則隆公墓(2)

同じく深川にある、菊池則隆公墓。

以下、案内板より↓
菊池則隆は大宰府天満宮領赤星荘園の荘官として延久2年(1070)、この肥沃で水運の便のよい菊池平野の一角、深川に拠って居城を構え、地名をとって菊池を氏とした。
深川は穀倉地 菊池の中心であり、当時は佐保川から菊池川本流に通じる交通の要衝でもあったので、この地を拠点に勢力を伸ばし、早鷹天神(菊池市赤星)・老松天神(西合志町弘生)・山崎天神(熊本市)・田口天神(甲佐町)および玉名市の川崎・高瀬・津留の天神を勧請した。これらは菊池氏が荘園の防備・保全のため勧請した荘園神でもあり、荘園内で押領など不法を働く荘官・住人に対し天神の怨霊の力を示すものでもあった。この地には南北朝のころまで累代居館が続いた。
則隆の墓は文化15年(1818)に創建され、明治・大正の工事を経て現在の状態になった。

写真:右=大樹の根元に立てかけられているのは、石棺の蓋ではないかといわれています。だから、こうして遺してある訳ですが・・・無造作すぎる(;つД`)

GoogleMapはこちら

菊池氏発祥の地 菊之池跡

写真:左=菊池則隆公墓の裏手に建つ【菊池氏発祥の地】石碑。

写真:右=ほぼ道向かいにある【菊之池跡】。
以下、案内板より↓
菊池初代則隆が菊池に下向したとき、この深川に館を構えた。『菊池餘芳』によれば、「深川村に広大なる池あり。其形花様をなし、池辺一体菊花乱開して紅白爛漫たり。則隆公即ち名付けて菊の池と称せり。且つ此池池水漫々として漲り、旱魃の際、河水乾涸するも池水は尚涸るることなく郡中の田を濕せり。
是れ当家を起こすの吉端なりとて則隆公即ち氏を菊池と改め、其城郭を菊の城と称し、郡も菊池と称えたりと云ふ。

湧水は現在は涸れて人工池になっています。
元からあったのは手前の池だけで、奥の池は公園として整備するときに新たに造ったらしい。余計なことを・・・!!

三十三観音第十五番(1) 三十三観音第十五番(2)

菊池三十三観音 第十五番札所【延命山観音堂】。すっかり寂れ果てています。おそらく訪れる人もないのでしょう。向かいの家も、空き家になっていました。
近くには放置されたように石塔がいくつかあり、中には他所の地区名が刻まれているものもあって、どういう経緯でここに持ち込まれたのか謎が深まるばかりでした・・・。

GoogleMapはこちら

西福寺(1) 西福寺(2)

菊池五山のひとつ【無量山 西福寺】。先日(2/15)訪れた、同じく菊池五山のひとつ【手水山 南福寺】が廃寺となり落書きだらけの姿を見てしまった後だけに、今なお続いていることに感激しました。

写真:右=半鐘がありました!低い位置にあるし錆びているので現役ではないにしろ、珍しいです。

西福寺(3) 西福寺(4)

写真:左=赤星氏の祖で、菊池武房公の弟・赤星有隆公のお墓。蒙古襲来(元寇)では文永の役や弘安の役で活躍しました。

写真:右=「藤原有隆 ■暦二年卯丁 七月三日死去」の文字が。亡くなられた時点では、姓は赤星ではなかったんですね?

西福寺(5) 西福寺(6)

ちょうど、お寺の方が出ていらして、本堂に上がらせていただけました!
文明13年(1481)の秋に開かれた、一日一万句の連歌の会(菊池万句)で詠まれたという歌も飾られていました。
26日には護摩焚きが行われるそうです。

西寺八幡宮(1) 西寺八幡宮(2)

神仏習合の名残りで、隣接して西寺八幡宮が鎮座しています。
屋根の側面を守るユーモラスな鬼飾り? こういうのも珍しい。破風の彫刻も見事でした!

GoogleMapはこちら

延寿太郎屋敷跡(1) 延寿太郎屋敷跡(2)

西福寺から西に約200m、【菊池一族と延寿鍛治展】の主役とも言うべき延寿太郎国村の屋敷跡があります。
菊池武房によって招かれた延寿国村が京都の八坂神社の銅鏡を守護神としたという縁から、後にこの八坂神社が建てられ延寿大明神≠ニして国村とその父・弘村が祀られています。
延寿は同田貫(どうだぬき)とともに肥後における代表的刀工で、菊池武重が大量に造らせた「菊池千本槍」が名高い。

写真:右=左側は、破風に施された家紋。右側は猿田彦石碑なのですが、立てかけてある竹が面白かったので。これは「カラカラ」と鳴らすためのものなのか、それとも水筒を模したものなのか? 何故ここにあるのか? 旅の友ということなのか?(猿田彦は道案内の神様でもある)

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次回へつづく♪

撮影:Nikon COOLPIX P900

*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月17日【北宮阿蘇神社
・2011年01月18日【菊池三十三観音札所『九儀山大琳寺』
・2011年01月25日【菊池兼朝公の墓?
・2011年02月14日【円通寺史跡公園
・2013年01月08日【菊池神社歴史館
・2014年04月02日【前川水源と亀尾城址
・2014年04月09日【円通寺とシャクナゲ園
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり

※もっと詳しく知りたい方は【熊本県菊池市カテゴリ】をご覧ください(^人^)

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2017年03月25日

菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(後編)

Kさん案内の史跡めぐり。熊本地震の影響により中止となった【菊池一族と延寿鍛治展】が改めて2017年4月1日〜5月7日に開催されるので、菊池一族に関連する史跡・お寺・神社をピックアップしてお送りする後編です\(^o^)/

神尾城趾(1) 神尾城趾(2)

七城町水次(みつぎ)にある菊池十八外城のひとつ、神尾(水次)城趾。実はここ、古墳なんです! 古墳の上に山城が築かれたのです。

写真:左=トラックが停まっているのは、地震で慰霊碑が傾いたため修復作業をしていたからです。
写真:右=額束には「阿蘇三社」と刻まれていました。この三社宮は、応永2年(1417)十七代菊池兼朝公の勧請によるものといわれています。

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菊池兼朝公墓 義光・則光公の墓

写真:左=さて、その兼朝公墓がこちら。ここには道に迷って偶然6年前に訪れています。
左側の近代の墓は、城氏のお墓です。

写真:右=道向かいには【神嶽山 正善寺】跡、阿弥陀堂(長福寺跡)がありますが閉まっています。周囲には菊池兼朝公の供養塔や義光・則光公の墓、五輪塔などが無造作に置かれていました。

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増永城趾 砂田若宮神社

写真:左=七城町砂田にある、菊池十八外城のひとつ【増永城趾】。珍しく平城で、面影を遺すものはほとんどありません。
この石塔は「西郷さんの墓」と呼ばれている五輪塔。

この集落は「西郷」といい、初代城主、西郷太郎政隆は菊池氏初代・則隆の子。その西郷政隆は、なんと西郷隆盛の祖先!
二十六代 西郷九兵衛昌隆のとき薩摩に移り住んだという記録があり、三十二代目が西郷隆盛となります。西郷隆盛が奄美大島に潜居している間、「わが源は菊池なり」という意味をこめて「菊池源吾」と名乗っています。

来年の大河ドラマは「西郷(せご)どん」なので、そちら方面に興味のある方も是非、訪れてみてください。

写真:右=西郷政隆によって建立された砂田若宮神社。すぐ近くには菊池則隆が建立した羽根木八幡宮も鎮座しています。位置的に、どちらも城内にあったのかも。
「西郷南州(隆盛のこと)先生祖先発祥之地」という石碑も建てられています。

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馬渡城趾(1) 馬渡城趾(2)

七城町亀尾にある菊池十八外城のひとつ【馬渡(まわたし)城趾】。別名を蛇塚城といい、代々蛇塚氏の居城であったといわれています。
水運を利用して人馬や物資を運搬・集積する要衝の地であったようで、「馬渡し」という名もそこから付けられたようです。

このお城も、古墳(前方後円墳)の上に建てられています。菊池一帯はホントに古墳だらけ。小高い丘の上に築かれる山城にはうってつけ(笑)
菊池川流域では珍しい円筒埴輪が出土しており、今も頂上付近には石室と思われる巨石や埴輪の破片がゴロゴロしてます。

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打越城趾(1) 打越城趾(2)

写真:左=県道53号線(七城町蘇崎)沿い、打越愛染明王堂の脇から階段があります。
防火水槽の上にお堂が建っているというのも滅多に見れないですよ(笑;)

写真:右=上った先には、菊池十八外城のひとつ【打越城趾】の石碑。綺麗に掃除されています。
樹々や竹が生い茂り眺望はありませんが、意外と高台なんです。

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台城跡(1) 台城跡(2)

※2017/04/03追加です
菊池市七城町台字城ノ上にある、菊池十八外城【台(うてな)城跡】。

以下、案内板より↓

別名「水島城」と呼ばれ、一時期は台地の下の村落名にもなっていました。
台大地の突端部にあり、北東は八筈(やはず)の山地に連なり木野・内田の両川が脚下を流れる天然の要害です。打越城と対峙して中間に馬渡・正光寺・増永の三城と連携して、玉名・鹿本方面からの敵に備えました。
十八外城の中で特に重要であった(戦いの場になることが多かった)ようで、城主は決まっておらず交代制だったようです。

十五代 武光、十六代 武政を相次いで失い、若干12歳で頭領を継いだ十七代 武朝(加賀丸)は、翌 天授元年(1375)、九州探題 今川了俊(りょうしゅん)率いる軍勢をこの城で迎え討ち、数万の軍勢を二千騎で撃破しました(水島の戦い)。
この戦いは激戦であったことで有名であり、その激戦のあまり、自軍の矢が尽きたあと、敵の放った矢を取って放ったということから、大地の下の内田川一帯は「矢取(やとり)」と呼ばれています。

また、この城も古墳の上に建っていました。

GoogleMapはこちら

年賀塚跡(1) 年賀塚跡(2)

写真:左=大元帥陛下駐蹕之處と年賀塚跡(御野立所趾)。
【大元帥陛下駐蹕之處】とは、昭和6年に昭和天皇が陸軍大演習を見に来られたという、それだけで建った碑。

【年賀塚】は、菊池武光が戦の帰途、正月を迎えたのでここで戦勝祝賀を開いたことに由来します。
地元の方が削りに削ってゲートボール場にしてしまい、申し訳程度にしか遺っていない(T▽T)

そしてここも古墳(小野崎古墳)。この地域を治めた有力豪族の墓ではないかと考えられています。
さらに整備事業にともなう発掘調査で、この一帯から多くの住居跡や鏡、鉄器や土器類が出土したことから弥生時代の大規模環濠集落であったと考えられています。

写真:右=眺めが素晴らしいです!

ところで、【大元帥陛下駐蹕之處】石碑の隣に「ピー!」って鳴る装置? コンプレッサーを利用した手づくりっぽいものがあるんですよ。定期的に「ピー!」って大音量で鳴るんですよ。お米の収穫時期なら解らないでもないけど、いったい何のために???

GoogleMapはこちら

松島遺跡(1) 松島遺跡(2)

写真:左=年賀塚跡からも見えるほど近い、松島遺跡。ここも公園になっていますが、駐車場がなかとです。

写真:右=元々はお寺があったそうで、松島に住んでいた菊池武光公の側室のお墓がこちらだといわれています。近くの丸い石は歴代住職のお墓だそうです。

松島稲荷神社(1) 松島稲荷神社(2)

GoogleMapに松島遺跡は載っていなかったので、松島稲荷神社を目印においでください。
写真:右=猿田彦石碑を支えている石、もしかして五輪塔なんじゃないの!? 梵字も刻まれてるし・・・。無造作すぎる。

GoogleMapはこちら

菊池一族ゆかりの地は、以上です。って、ホントはまだまだあるんですが案内してもらいきれない(笑)
次回は大好きな巨木で〜す!ヾ(*´▽`*)ノ

撮影:Nikon COOLPIX P900

*関連する過去ブログ記事*
・2011年01月17日【北宮阿蘇神社
・2011年01月18日【菊池三十三観音札所『九儀山大琳寺』
・2011年01月25日【菊池兼朝公の墓?
・2011年02月14日【円通寺史跡公園
・2013年01月08日【菊池神社歴史館
・2014年04月02日【前川水源と亀尾城址
・2014年04月09日【円通寺とシャクナゲ園
・2017年02月23日【菊池の古墳・史跡めぐり
・2017年03月23日【菊池の史跡めぐり〜菊池一族ゆかりの地(前編)

※もっと詳しく知りたい方は【熊本県菊池市カテゴリ】をご覧ください(^人^)

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