【
奥阿蘇物産館】(
昨日の記事はこちら)から1kmちょっと町道?に入って行くと【草部吉見神社】(くさかべよしみじんじゃ)が鎮座しています。

周辺には【三郎神社】【牛神社】など草部吉見神社と縁のある神社仏閣が点在し、このあたりの地名をひもとくと神話に基づいていることが分かります。時間があれば全部まわると色々と繋がりそうです。

神社の多くは小高い山の上に建っていますが、ここはとても珍しく社殿が鳥居より百数十段下にあります。
真っすぐに伸びた長い階段の左右には、これまた真っすぐに伸びた杉林。

主祭神は、神武天皇の第一皇子である日子八井命(彦八井耳命/ヒコヤイノミコト/国龍神)。
神社にまつわる伝説があります。
日子八井命が高千穂峰からこの地にいたり、しばらく川走りの窟に住まわれたが、宮居を定めようと占ったところ、吉の池が良いということになりました。
この池には人々を困らせる大蛇が棲んでいたので、日子八井命はこの大蛇を退治し、池を埋めて一夜で屋根をはじめ壁も草で葺いて宮殿を建てました。館が草の壁だったのでいつしかこの地を草壁と呼ぶようになったのですが、いつ「草部」と書くようになったのかは不明だそうです。
さらに「此社吉宮床(ここぞよきみやとこ)」と言われた事により、「吉見」という社号を称するようになったと伝わっています。(あとで別の説も出てきます)

写真:左=神楽殿と、かつてのご神木。
ちなみに阿蘇神社の主祭神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)は神武天皇の子・神八井耳命(かんやいみみのみこと)の子。神八井耳命は日子八井命の弟。
つまり、草部吉見神社の主祭神である日子八井命は、阿蘇神社の主祭神である健磐龍命の叔父!
さらに健磐龍命は日子八井命の娘・阿蘇都姫と結婚してます。
(ちょっとややこしいですが
阿蘇神社 - Wikipedia に家系図が載っていますので、ご参照ください)
この後、健磐龍命が阿蘇都姫と協力して阿蘇を開拓し農業を広めたという有名な神話へと続いていくのです。

社殿は、弘治3(1556)年に甲斐左近将親成によって造営され、後に傷みが激しくなったので明和9(1772)年に里人らによって現在の社殿に補修されたと棟礼に記されているそうです。
(その後、昭和51年に大改修が行われています)

「流れ造り」という、彫刻など技巧を凝らした形式です。
拝殿〜本殿をぐるっと廻ってしげしげと眺めるのは失礼かなぁ?と思いつつも、彫刻が本当に見事で、ほれぼれします。
撮影:↑ここまでNikon D5100/↓ここからスマホカメラ(Xperia Z SO-02E)

もともと池であったという言い伝えを示すかのように、お社から更に下ったところに【御塩井】という湧き水があります。

初めて来たので、ずいぶん水が少ないように思いますが、ここの湧出量は多く一度も涸れることがなかったと伝えられているそうです。
日子八井命は火の玉・水の玉を用いて日照や水を自在に操る力を持つという伝説があるので、この泉が祭祀の本体であるとも考えられ、宮の形式がいわゆる「下り宮」になったのもこのためではないかと言われています。

「吉見」という名称も「吉い水」という意味からきているという説もあり、不老長寿の水とも呼ばれています。
自由に持ち帰ることができますが、あの階段を登って帰ることを考えると、あまり欲を出してたくさん汲むことはできません(´▽`;)

草部吉見神社は、鵜戸神宮(宮崎県日南市)、一之宮貫前神社(群馬県富岡市)とともに「日本三大下り宮」の一社とされています。例大祭は7月31日です。
余談ですが、健磐龍命(阿蘇神社の主祭神)は神武東征の逆の道をたどって日向に到着します。それから伯父神である日子八井命の宮居のある草部を目指して進みます。
その途中、幣を立てて天の神地の神をお祭りしたところが【幣立宮(幣立神宮)】と言われています。
草部吉見神社から幣立宮までは車で1時間くらいです。
*参照*
・
草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ) 高森町 - 熊本県HP・
草部吉見神社 - Wikipedia・
なごみ紀行 - ふるさと寺子屋 No.156 「草部吉見神社を語る」*関連する過去記事*
・2011年03月16日【
写真で綴る『幣立神宮』】(何度も行ってるのに、ちゃんと記事にしてなかった・・・)
・2011年08月10日【
神龍八大龍王神社】(下り宮つながりで)
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posted by しう@SOTO at 23:39
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